落ち込んだこと

ひとつ真剣な物書きをしていいだろうか。
というか、グチを書いてしまうことを許して欲しい。
わしは今、はっとして、驚いて、戸惑っている事項がある。
それは、自分の加齢と、体の衰えだ。

教育関係の本で、思春期についての記述を読むと、たいてい
「思春期は、自分の体の変化に戸惑い、不安になる」
と書いてある。

わしは自分の思春期のことを思い返してみると、
いろいろめんどくさい事象はあり、たくさん踏んだり蹴ったりしたものの、
「自分の体の変化に戸惑い、不安になる」ことはなかった。
たぶん、まだ自我がなく、無意識的に生きていたのだろう。
わしは、一般的な水準よりも、無意識で生きていた期間が長く、自我が訪れるのが遅かった気がする。
そんなわけで、わしは自分の体に第二次性徴的な変化が表れても、
自分を客観視することがなく、不安や戸惑いも感じなかった。
みんなは「自分の体の変化に戸惑い、不安に」なっていたのだろうか?

むしろ今、わしは戸惑っている。
一般的な人は、戸惑わないのだろうか?自分の加齢に。
社会人は、夏休みが短くて忙しいから、戸惑わないのだろうか?

わしは職業の関係で、一般的な社会人よりも長い夏休みがある。
休みに入って、数日間は、何もできずに倒れていた。
我ながら、繁忙期の、わしの仕事は、ハードだ。消耗度が高い。
積もり積もった疲労を回復するのに、しばらくの「何もしない日」は、必要だった。
そのうちに、7月の31日になって、わしは26歳になった。
そして、頭と体が回復すると、わしはかねてから興味のあった、ダンスを習いに行ってみた。
そこで、ストレッチをした。
そして、股関節のストレッチをしているときに、自分の足の裏を見た。手指も見つめた。

自分の足の裏や、手指を見つめるのは、いったい何年ぶりなのだろう?
仕事をしている期間は、自分の足の裏や手指など、ゆっくり見つめることはない。
仕事をしている期間は、なにしろ忙しい。一日6時間寝れない。
朝5時半に起きて夜中に寝付くまでの間、無駄な10分間が一つもない。
こうして、夏休みに入ったからこそ、わしは自分の足の裏と再会した。
その足の裏は、カサカサしていた。カカトの部分が特に。
手指は、前よりももっとしわが増えているように感じた。
そう、わしの体には、加齢が表れていた。
同じ部屋でストレッチしている、ティーンエイジャーの女の子とは、明らかに在り方そのものが違うのだ。

このところ、他にもわしは自分の体の変化を感じていた。
体が野菜を欲している。
野菜を摂ることなど、あまり気にせずに生きてきたが、このところ、意識が自然に、野菜を摂ることに向かうようになった。

そして、自分がくさい。
体臭が、前と違うにおいになった。強くもなった。
これは、中学生の頃からたまに検査で引っかかっていた、わしの腎機能に関係しているのかも知れない。

そう、わしの体は、ゆっくりと下り坂に入っていた。
もちろん、その傾向がとっくに始まっていることは知っていた。
人の肉体は、20歳くらいがピークだろう。身長も、その時期に伸び止まる。
精力的な部分は、思春期が山場だ。
それらのポイントを越え、わしの体は基本的には、後はしぼむだけ。なのはわかっていたが。
でもここ何年かは、わりと適度に体を動かす仕事をしていたし、
体力的には、衰えていない気がしていた。
ある部分では、それは当たっているのだろう。
でも、知らない間に、気づきにくいところから、わしの体は緩やかに、おしまいに向かい始めていたのだ。

そんな些細なことで、なにを悩んでいるのだ?と思われるかも知れない。
大したことないじゃないかと。
しかし、わしにとっては、全ての物事において、五体満足が前提だったのだ。
何かをするときに、体のことを気にしなくて良い。これが売りだった。
確かに、20歳過ぎから、思わしくない兆候はあった。えらく風邪をひきやすかったり、他にも諸々と。
それでも、気にしないようにして、やってきた。
作品の制作も、就職も、その五体健康の前提の上に成り立っていた。
ところが、ごまかしがきかなくなってきた。
とりわけ、体臭に関しては、変化が明らかであり、
ずっとこのままなのかと想像すると、がっかりする。
なので、わしはけっこう落ち込んでいる。
加齢の表れや、体の不具合が、すぐに制作や仕事に影を落とすわけではないが、
それらの要素は、わしに、残り時間を意識させる。
わしはナイーブだ。ボディソープのようにナイーブだ。
わしは26歳になった。20歳ではない。
未確定要素だったことは、どんどん確定事項になっていく。
わしは、未確定要素の事を考えるのが好きだ。自分の未来のことを考えるのが。
ところがこのまま、未確定要素が減っていくと、
やがてわしは「今」と「過去」しか語れなくなる。
「未来」とは、掛け値なしに美しい。
例えば子どもは、膨大な量の未確定要素、つまり未来を含有している。
だから、無条件に美しい。
例えば、夜明け前に、10歳の子どもが、
親に気づかれないように家を出て、自転車に乗って旅に出る、という情景があったとする。
それって、美しいよね??
わしは、この世でもっとも美しい情景の一つなんでないかと思う。
「夜明け前」も、「子ども」も、未確定要素がたっぷりだからだ。
わしは、そういうものを、美しいと見なしてきた。
もちろん、そればっかりが美しいわけじゃないけど、「もっとも美しい」のは、そういうものだと思っていた。
(ここでは、家に置いていかれた親は、美しくないものとして扱われているのだ)

もちろん、自分がどんなに歳をとり、未来の割合が減ったとしても、
「未来のある、美しいもの」を、作品として表現することはできる。
でも、美しい物を作る前に、自分自身が美しくありたい!
自分自身が、夜明け前の少年でありたい!

希望を語りたい!!!!!!!!!!
わくわくしたい!!!!!!!!!!!

わしは人と、未来について語り合いたい。
今と、過去についてだけ語り合って、盛り上がれる人が、理解できない。

ハンデや年齢を乗り越えて、美しく活躍する人というのは、いる。
たくさんいる。思い出そうとすれば、たくさん思いつく。
そういう存在は、昔から知っていたけど、その人たちの状況や心理を、深く考えたことはなかった。
わしはこれから、本格的に、そういう人をつぶさに分析し、参考にしていく必要があるのかもしれない。
そうやって、どうにかして、胸張って生きれる道を探していくしかない。
希望を持ち続けるしかない。

ただ、今はちょっとの間、落ち込んでいていいかな。
無駄な落ち込みではない。現状を確認したことによる、一時的なショックだ。
このままずっと落ち続ける訳はない。また必ず上がる。
とりあえず、足の裏と再会できた夏休みに感謝しよう。
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by syun__kan | 2009-08-12 18:01 | 日記 | Comments(0)
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