図工くん

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稀ではあるが、新聞やネットなどの媒体が、わしのことを紹介してくださる機会がある。
その際、
「ダンボールや新聞紙、ガムテープを使って立体作品をつくる」
と紹介される場合がある。
これはわしにとって、それなりに興味深い。
なぜなら、わしはダンボールを使ったことがないからだ。
材料は、いつも新聞紙、ガムテープ、木材のみである場合ばかりで、
他に石膏やアクリル絵の具を使ったこともあるが、
ダンボールとは無縁の人生を送ってきた。
なのになぜダンボールを使ってると思われるんだろう?
ダンボールをいかにも使いそうなオーラを、わしは醸しているのか。

べつにー。ダンボールくんのこと嫌いじゃないし―。
でも実際しゃべったこともないのになんか申し訳ないっていうかー。

マイケルが中折れ帽とローファーシューズをおそらく愛していたように、
わしは新聞紙とガムテープを愛している。
新聞紙とガムテープは、いかにも身近で、図工っぽい素材である。
ダンボールさんもかなり図工テイストの素材であるからして、
図工っぽいつながりでなんとなく使ってそうなのだろう。

そう、わしは大学で4年間彫刻を学んだのに、
例えば鉄とか、石彫とか樹脂とか、そういう専門的な技術を何一つ身につけていない。
いまだに、図工レベルの素材で制作している。
そして仕事では、図工(または美術科)を子どもに教えている。
図工っていうのは、わしの人生にとって大事なキーワードなのかもしれない。

ちょっと理屈っぽい話しをさせてくれ。
図工とは、自己決定の力を育てる教科だと思っている。
こーくごさんすうりーかしゃーかいーでは、「これを覚えなさい、これをできるようになりなさい」という目標を、与えられる。
それをクリアしようとがんばる。
しかし図工は、題材によってある程度のしばりを与えられたら、
その範囲内で、いろいろ自分で決めなければならない。
モチーフや、色や、素材など。
要するに、学習の到達点が、各生徒で違う。
だからこそ、自分で色々な要素を選びとる力が育まれるのだよ。
それは人生においてもとても大切な力だと思うんだ。
そして、与えられた目標をクリアするのではなく、自分で決めてたどり着いた到達点を、教員に「いいねこれ」と認められることで、
子どもの自己肯定感を養える。作品は自分の分身であるからして。
これも大事なことである。

しかしまあ、世の中の図工の授業も、はっきり言ってピンキリである。
「○年生が描いたとは思えない絵を描かせる!」
みたいに、コンクールや保護者ウケ重視な「○○式描画法」的な図工は、わしは認めない。
図工は、子ども自身が発揮され、自己決定の要素が多分に含まれていなければ意味がない。
教員のため、親のために利口な絵を描いてもしょうがない。

であるからしてということで、
わしは大人になってホウレイ線が深くなっても図工をやり続け、やりとおしてしまっている立場として、
なお図工の楽しさを満喫し、楽しさを伝えていこう。
アートは世の中的にはかなり好き勝手なジャンルだが、それでも不自由はある。
アートはこうでなくてはならないというモノ言いは意外とたくさんなされる。
個人的に、子どもの図工の作品の方が意表を突かれる機会が多い。
まっさらな自由に出会えるからだ。
だからわしのすることも図工でいい。
指導者としてもプレーヤーとしても。
わしの作品が鑑賞の教材になれば良いなと思うし、
日々のお仕事の延長で、子ども、場合によっては大人と直に触れ合い、
図工の授業を食らわせることもやぶさかではない。
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by syun__kan | 2012-02-05 22:09 | 日記 | Comments(0)
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