ナイー部

来年30歳になる男性としては、わしはかなりナイーブなほうだが、それについて「よくないなあ」とは思わない。
少年はナイーブであることが許されるというか、似合うが、
大人はナイーブであることが許されないというか、恥ずかしい感じがする、でも、
これがないとアートができなくなってしまう。
大人になってもアートをやり続けるためには、少年ぽいナイーブさを残していかなくてはならない。
まあ、なくそうと思ってなくせるものではないが。

少年と大人は違う。
少年から大人になるためには、変化をしなくてはならない。
でも、アーティストたるためには、すべての面においておっとなーになってしまっては、おしまいだ。
ある部分を少年のままにして、ある部分は大人に変化させる、みたいなことが必要になる気がする。
残すところと変えるところを、うまく間違えなければアーティストになるけど、
残すべきところを変えちゃって、変えるべきところが少年のままになってしまうと、ただの変なおじさんになってしまう。
ここがけっこう難しい。
と感じる今日この頃。
美術大学を卒業して、7年になる。
30歳を控え、それでもアートをやり続ける仲間の一人、
わしには三宅感という友がいる。
とはいえ、三宅さんとは一年に一回くらいしか会わない。
三宅さんがどう思っているかは分からないけど、多分わしらはライバルであり、何だかんだで張り合っていて、
へたなところを見せたくないのだと思う。
予備校から一緒だった。
彼の木炭デッサンは美しかったなあ。
描く絵本も面白かった。
身近にいた人で、彼は最も芸術的な能力に長けていると感じた人物の一人だ。
わしなんかより遥かに上を行く。
これは身内をお世辞で褒めているのではない。
本気で世の中レベル、いや、その上を行く、戦慄するような才能を感じさせていた。
ただ、なっとくの行くものしか世に出したくないのか、大作志向なのか、わしのように貧乏性でないのか、作品をなかなか発表しないところがある印象なのだけど、
今日ネットで、彼の監督した映画を見つけた。
「メシアは生まれたか」という映像作品だった。
こんな作品を完成させていたなんて全然知らなかった。
このみずくささよ。
彼の世界のほんの一端という印象を受けたが、
金太郎飴のように、確かに三宅感の世界観だった。
感動してだいぶ元気付けられた。

今日は同じく大学の同級生のウッチーの展示にも行ってきた。
こちらもナイーブで、いとしい世界観だった。

アートは、作者の知らないところで、作者の意図を超えて、誰かを元気にしていたりする。
これが、アートが世の中に存在していい意義の一つだ。
わしが細々とした制作も、そうあってほしい。
そうすれば、苦しい思いをしてナイーブであり続けることも、何らかの意味を持つ。
ということで、同世代のアートのプレイヤーを、ナイー部という仲間として捉えることにする。
ほぼ全員幽霊部員だけどな!
アー!!元気出していこうか!!
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by syun__kan | 2012-09-30 00:26 | 日記 | Comments(0)
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