三人

黒い画面の中で、骸骨が揺れている。
画面が切り替わると、今度は土色の不定形。
壁がうごめく茶色の洞窟のようだが、
その凹凸が突然顔のような形に浮かび上がる。
わしの子どもだ。19週だ。今日初めてリアルタイムに見た。
仮名は「ボリジロウ」。

はたから見れば、それはちょっと不気味なだけの、展開のない、つまらない映像であるが、
わしは大変感動している。
妊娠、出産、育児。
それは世の中で、主観と客観のギャップが、最も大きく広がる出来事なのだろう。

わしは、マイケル・ジャクソンのことを、素晴らしく歌がうまくて、革新的なダンスを踊る、と思って大絶賛している。
それは、世の中の人々も、そこまでスペシャルには意識しないにしても、だいたい同じ意見だと思う。
主観と客観がだいたい一致している。

しかし、わしがボリジロウのもぞもぞする姿に感動していても、
世の中の人が見たら、愛想で「かわいいね」と言ってくれるかもしれないが、
正直、どうでもいいだろう。

なにせ、わしもこれまで、携帯の待ち受けに誰かの赤ちゃんの写真を認めても、
正直、どうでもいいと思っていたから。

その待ち受けがペットであれば、あるいは永作博美さんとかの芸能人だったとすれば、
もう少し面白く見れたと思う。
しかし、だれかの赤ちゃんの写真は、本当に興味が湧かない。
想像の入る余地がないのだ。

犬の写真であれば、
「こんな犬を飼ったらどんな感じだろう」
とか想像できるし、
永作博美さんだとしたら、
「永作博美さんと付き合うのってどんな感じだろう」
などどファンタジーを膨らませられる。
しかしその赤ちゃんという存在は、絶対的にその親のものであって、
どう考えてもわしにはフィットしようがないのである。

そう考えると、そういえば、奥さんが妊娠するにあたって、若干、他のおうちの赤ちゃんにも、興味は出てきていた。
赤ちゃん本人や、本人と親との関係性をよく観察するようになった。
「赤ちゃんって、どんなだろう」
と、想像する必要性がわしの身の回りに満ちている。

そしてその、絶対的にわしのものである、わしと奥さんだけの完全に切っても切り離せない一心同体で一蓮托生である、ボリジロウが、いよいよ300グラムになっているのである。

ブラックホールのように、わしの「思い入れ」を吸い込んでいく、ボリジロウ。
周囲がどう思っているか、それは世の中にとってどうか、全然関係なしに。

そして今日は20代最後の日。
10代最後の日、すなわち19歳から20歳になるとき、わしは橋本の下宿で、完全ひとりぼっちで迎えた。
まえにブログにも書いたが、
http://sekiguti35.exblog.jp/16185426/
あのとき一人で夜通し歩いて何かに目覚めて、
アメリカまでマイケル・ジャクソンに会いに行ったときから、わしの20代は始まった。
本当にいろいろあって楽しかった。
途中で奥さん(今はベッドの上でおなかにジェルを塗られている)と合流し、「関口」にした。
関口軍団は三人に増殖しそうだ。
30代は三人で生き抜くことになる。

なんというか、幸せだ。
生まれてよかった。楽しいよ。
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by syun__kan | 2013-07-30 21:24 | 日記 | Comments(0)
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