近所のスーパーに買い物に行ったら、お総菜コーナーに目が留まった。
ナポリタンカツという商品があったからだ。
ハムの上にスパゲッティーナポリタンが盛ってあり、それがカツにされている。
衝撃を受けた、というほどではない。が、見過ごせなかった。
心に引っかかってしまった。
ナポリタンカツ?
わしは自分がお総菜コーナーの従業員になったところを想像し、
上司が、
「今日はナポリタンカツ作るから」
と言ったら、どう思うだろうと考えた。
「え?ナポリタンカツ??」
と思うに違いない。
家に帰って、家族に、
「今日ナポリタンカツ作ったんだぜ!!」
と言って、笑い話にすると思う。
などと考え、レジに並んだら、自分のカゴにナポリタンカツが入っていることに気付いた。
え?誰が入れたんだ?イタリア人か?違う、わしだ。
いや、イタリア人かもしれない。カゴに入れた瞬間のわしはイタリア人だったかもしれない。
とにかくわしは、ナポリタンカツを購入している。
なぜわしはナポリタンカツを買ったのか?
さっきちょっと笑いものにしていたではないか?
この問いは、わしをさらなる思索に追い込んだ。
そこに、哲学的な命題がある気がしたからだ。
美術における、送り手と受け手の意識の問題。
でたらめをやったつもりの送り手が、受け手のインプットを予測できていない。
案外すんなり受け入れられてしまっている。
ここにはどのような意識の齟齬があるのだろうか…。
答えは出なかった。
家に帰って、その日は食べる用事がなく冷蔵したのだが、
翌日出して食べてみた。
そしたら、非常にパッとしない味だった。
まるでナポリタンをカツにしただけのような。
それにより、わしの抱えた命題は質的な変化を帯びた。
わしはあの時イタリア人だったのではなく、好奇心溢れるおじさんだったのではないかという可能性だ。