わしは予備校で柳健司という彫刻家に教わった。
近寄りがたい険のある先生だったが、
単なる受験のためのテクニックを超えて、芸術の本質的なことを指導してくれた気はする。
「うさぎの模刻をするなら、作品を外の道において、窓から見下ろしても(アトリエは4階)、うさぎだってわかるように作らなきゃだめだ」
と言われたことをよく覚えている。
しかしまあ、わしはたかだか高校生であった。
芸術家の審美眼にかなうものなど何も持っていない。
描くデッサン、作る模刻像、全て見透かされ、浅はかな計算、打算、
妥協、甘え、
全部ダメ出しに次ぐダメ出しに次ぐダメ出し。
唯一、何か救いのある声かけは、
「悪くないよ」
というもの。
褒めるための言葉は、唯一これだけ。
これだって、かなりレアで、一年以上通って数回言われただけだと思う。
わしらは、この「悪くないよ」をゲットするために、肩の筋肉をガチガチに凝らせて、
鼻の穴の中を木炭の粉まみれにして、努力したものだ。
たぶん三宅感氏も、戸坂明日香氏も。
何だかんだで、大学にいた頃に匹敵するくらい、彫刻とは何ぞやということを教わった気がする。
わしの中には、柳先生イズムが残っている。
もう一つ覚えている台詞は、
わしがデッサンの調子が良かった時期、「こんなものでいいのか?」という変な打算を抱いてしまったがために、その後に描いたモリエールの石膏像のデッサンが全然良くなかったときに言われた、
「あの頃のお前はどこ行ったんだ」
というもの。
この一言で、自分の慢心と実力の無さを思い知らされ、目の前が真っ暗になったものだ。
わしも最近、その台詞を使った。
「あの頃のお前はどこ行ったんだ。
餃子焼いても、すぐつるっと剥がれてたじゃないか。
全然焦げ付かなくて。
テフロン加工の申し子だったじゃないか。
テフロンテフロンしてたじゃないか。
それがいまじゃあ、なんだ。
餃子も全部分解してるよ。
薄焼き卵も剥がれなくてぐちゃぐちゃだよ」
相手はフライパンである。
それを聞いた奥さんが、
「新しいの買えば?」
とのリアリスティックなコメント。
わしは、いったん
「わかった。じゃあ西友で買うか」
と答えた。ものの、すこし間を置いて
「ちょっと話してからにする」
と言い、フライパンに話しかける、
「お前、やる気ある?
もしやる気無いなら、出てってもらってもかまわないんだ。
台所の他のみんなの雰囲気も悪くなる。
うち貧乏だけど、新しいフライパンくらい買えるんだよ。
今日パエリアする。
初めて作るよ。
フライパンが重要なメニューだ。
お前、できるのか?」
フライパンは黙っていたけど、滑らかな表面が、
「やります。やらせてください」
と言っていた。
初めて作るパエリアは、意外と簡単で、いい感じに焦げ付いておいしかった。
「悪くないよ」