しかしの多いオフ

ハンバーガーは好きだけど、
しかし一日三食ハンバーガーが一週間続いたら、さすがに嫌になる。
ベーコン、チーズ、アボガド、等、
挟むものをマイナーチェンジしながらだったとしても。
そしてこれは比喩であって、
実際にわしはハンバーガーを食べ続けたわけではない。
このたびのわしが陥った「一日三食が一週間」的なことは、
要求されることだ(と言っただけでたくさんの大人たちの共感を得られるんじゃないか?と踏んでいる)。
一週間どころではなく、数ヶ月…一年位か?

仕事中は、当然、成果をあげることを要求される。
家に帰れば、奥さんやボリさんの要求に応えようとする。
「何を言う、おぬしは新聞とガムテープで好きなもの作ってるじゃないか!」
と言われそうだけど、
フラッと制作して人に何らかの感慨を与えられるような天才ではまったくないため、
アートするときは、それはもう食うか食われるかの戦いで臨んでいるので、
リフレッシュにはまったくなっていない。
逆だ。相当なストレス。
天からの、というのは大げさだな、
内外からの要求を受けて制作する感じだ。

しかし何だか最近弱ってきている自覚があったので、
これは要求され続けているからなのでは?と仮説を立て、
連休中という良い機会でもあり、
今日は誰にも何も要求されない一日を過ごすことにした。

だらだらするぞ、だらだら!
この日記もだらだらだぞ!
誰かが読んで面白いかとか、そういうのも気にしない。今日はオフなんだから。

しかし、ハンバーガーはやはり好きなので、
朝、もうすぐ5ヶ月のボリさんが寝転がっていると、かわいいので添い寝してごろごろしていると、
半日が過ぎていた。
このまま一日ボリさんとごろごろしようか…という考えが頭をかすめる。
わしはボリさんを離れることが理論上可能だが、
一定時間ごとに母乳をあげなければいけない奥さんは、ほぼ片時も離れることもできない。
奥さんが一人で出かけられるのなんて、ずーっと先の話だ。
そういう奥さんへの遠慮もある。

しかし断ち切った。
1時半ごろ、わしは一人で電車に乗った。
「一日ごろごろしていようか…」という考えが浮かぶこと自体、
弱っている証拠と言うか、何というか、良くない。
思い切りが悪くてアートの風上にも置けない。

しかし何をすればいいのか?一人で何をしたいのか?
以前は「あれを見たいこれが欲しい」とか、いろいろあったと思うけど、
なんだかそういうアンテナが、もう畳まれていたようだ。

曇りだったこともあり、わしはすぐに居眠りした。
池袋に着く。

わしは、
「新宿駅の東口と西口をつなぐガード下の近くのいかがわしいTシャツ屋さんでマイケル・ジャクソンのTシャツを買う」
を一応の旅の目的にして、山手線で新宿に。

ガード下を歩くとき、地面に、小さい、オレンジ色のクマのキーホルダーが落ちていた。
何だか美しい風景に思えたのだけど、どうすることもできない。
例えば写真家でカメラを常に持っているような人であれば、一発スナップを撮って、
この素晴らしい休日の断片を生け捕りにできるのだろうけど、
わしはそういうタイプのアーティストではない。
というかこの程度の美しいものならば、一定時間街を歩けばいくつも目にする。
いちいち覚えていられない。
さみしいことだ。
いや、それらは一つひとつのつぶつぶ…錠剤のような記憶としては残らないけど、
しかし溶けてぼんやりとした色合いになって頭に残るのだろう。
日記にでも書けばつぶつぶのまま残せるかもしれないな、しかし家まで持ち帰れるだろうか。
みたいなことを考えたため、忘れなかった。
クマのキーホルダーの情景は。

ガード下のTシャツ屋さんは今日も変わらずいかがわしく、
いい加減な店員さんがごちゃごちゃした店内で毒々しい色合いのマイケルTシャツを売っていたので、購入した。

しかし少し先にある同様のいかがわしいTシャツ屋さんに、これまたいかがわしい別のマイケルTシャツと、
オレンジ色の素敵なビートルズTシャツを見つけてしまったので、困る。
経済的に、3枚も買うことはかなり躊躇された。

そこで奥さんから、
「吉田戦車さんの『まんが親』の最新刊買ってきて」
という内容のメールが入る。
わしはTシャツへの未練を引きずったまま、紀伊国屋書店に向かう。
しかし探し方が悪いのか、コミック売り場を見つけられず。
書店を出てふらっとしているところに、いつの間に開業したのか?
ブックオフを発見して入店し、ぼやっとする。

思えば最近、文化的な探究心から遠ざかっていた。
ブックオフにいながらして、何も欲しいものがない。
何か欲しいんじゃなかったっけ、と思いながら売り場を見る。
しかし欲しいものがないというのも、お金がかからなくて良いではないか。
しかしそれでいいのか。
しかし写真集等、何冊か立ち読みしているうちに、徐々に、ふつふつと、
文化的な探究心が固い土を割って芽を出してきて、
「これ欲しいな…」
と思える本が出てきて、値段を見たりした、
しかしこれで充分だ、頭が解きほぐされればよい、
どちらかというとTシャツが欲しい。
わしは隙を突いて(何の?)店を出て、ガード下に向かい、
2枚目のマイケルTシャツを買った。
ビートルズはあきらめた。

池袋へ戻ってリブロという大型書店ののマンガのフロアへ。
奥さんに頼まれたおつかいを済ませなくてはならない。
しかしわしは、マンガに非常に疎いので、
フロアの中のどこに吉田戦車さんの「まんが親」があるか、さっぱらこっちゃわからない。
周りのお客さん同様、わしもメガネでボタンダウンのシャツで猫背で、風景に溶け込んでいるかもしれないが、
マンガ売り場にはほとんど来たことがないんだ。

家にある「まんが親」の既刊はわしも読んだことがある。
漫画家・吉田戦車さんが自らの子育てを描いた、いわゆるコミックエッセイだ。
そのフロアには、コミックエッセイの棚があった。
ここにあるだろうと思い、探す。

実に様々なコミックエッセイがあるものだ。
探し中の「まんが親」は、親が漫画家で子育て中というパターンだが、
躁鬱病だけど子育て中だったり、
配偶者が欝だったり、
ダーリンが外国人だったり、
奥さんが中国人だったり、
オタクだけどサラリーマンだったり、
子どもが思春期をこじらせていたり、
子どもが二十歳を過ぎても家を出て行かなかったり、
そういった内容が、背表紙から読みとれた。
何か一つ、どちらかというと困った感じの要素を抱えた家庭の顛末を描くものが多い。
これ、わしの家でもいけるんじゃないか?
「お父さんは彫刻家」とか…
しかしわしのワークスは、彫刻家という感じでもないしな…
堅気の仕事もしているし、いまひとつ弱い。
そうだ、奥さんはもとは鬱だったではないか。
「ツレが以前鬱で自分は造形作家で子育て中でして」…
長いな…実にタイトルにキレがない。
というかわしはマンガが描けない。

「まんが親」はその棚ではなく、他の場所にあった。
無事購入して、おなかが減ったので500円で博多ラーメンが食べられる店に行ったのだけど休業日で愕然としてから帰った。

家について6時半。
一人でいたのは5時間くらいのものだったが、
結果的に、ものすごく頭がリフレッシュされていた。
元気になった、わしは。
そうかこれが必要だったのか。
軽視するところだった。
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by syun__kan | 2014-05-05 23:48 | 日記 | Comments(0)
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