今年印象に残った作品5点。2015

毎年恒例、一年のうちで印象に残った作品を5点記す日記、
ちょっと気が早いけど、年末忙しくなるといけないから、
書いてしまおう。


1、「ジャスタジスイ」/DJみそしるとMCごはん
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朝に洗い物するとき、目線の高さの棚に携帯電話を置いてワンセグという機能で「めざましテレビ」を見るのだが、
そこで偶然、「DJみそしるとMCごはん」さんを知った。

「食いしん坊ラップ」と称し、料理のレシピをラップに乗せて歌う。

そう、このように、
「料理のレシピをラップに乗せて歌う」というように、
概要を一言で表せるということは、
エンターテイメントコンテンツにとっては強みである。
大体において、人は見出しくらいの分量の情報しか、
最初はインプットしてくれない。
わしの作品も、
「新聞紙とガムテープで作った巨大彫刻」というように、
なんとか一言で表すことができる。
わしが細々なりとも造形活動を継続できるのは、この強みによるところも大きいだろう。

話が逸れた。
わしはめでたく「DJみそしるとMCごはん」さんに興味を持ち、
動画サイトなどで検索する。
そこでまず強力に惹かれたのは、
NHKにおいて、彼女を主演に据えて製作されている、
「ごちそんぐDJ」という番組だった。
音楽と調理がややカオスな構成で5分程度にまとまったこの番組は、
わしと1歳のボリさんの心をとらえ、
ボリさんの子守歌に、と称して(偽って)、二人で繰り返し見た。
彼女のアルバム「おりおりのりょうり」「ジャスタジスイ」も鑑賞した。

彼女の作品に流れるのは、

この現代社会、
いろいろあるよね、
しゃかりきに働かなきゃ家庭なんて持てず、
親は仕事に時間を取られて子どもと向き合えず、
低賃金に過労に災害に環境汚染に政治的な不安に、
年長者は昔は良かった昔は良かった言うし、
それでも、それでも…

この生活を愛せ!

というメッセージだ。
「DJみそしるとMCごはん」さんはおそらく20代前半だろう。
昔の生活なんか知らないわけで、
そんな若者が「今のこの生活を愛して良いのだ」と、
さり気なく宣言する様は、
けっこう勇気づけられたものだ。


2、「父の詫び状」/向田邦子
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ワークショップ等で、一人で交通機関に乗ることが多かっただろうか、今年は比較的よく本を読めた。
働き始めのころは、一年で文庫本一冊しか読めなかったりしたものだ。

わしは、本は、たいてい古本屋で100円になっているやつを買う。
本は値段と内容が、比例していない場合も多いわけで、
中古になるとさらにその傾向は拍車がかかり、
人生を変える文化的な体験を、100円で得られる可能性だってあるわけだ。

100円、よくて350円までで買った本を、わしは非常にぞんざいにリュックに放り込み、
ぐしゃぐしゃに読みつぶす。
読み終わったら捨てる。
定価で買われたあと、古本屋を転々とし様々なカスタマーに抱かれたかもしれない本の人生に、とどめを刺すのだ。

「父の詫び状」も、100円だった。
向田邦子は、昭和の脚本家。
わしが生まれた次の年、1984年に飛行機事故で51歳で亡くなっている。
書かれているのは、
戦前、戦中、戦後の復興期の生活を、
好奇心旺盛に社会に出張った女性である向田邦子の視点から捉えたエッセイ。

エッセイというものをあまりちゃんと読んだことがなかったので、それだけでまず新鮮で面白かった。
そして驚異的な記憶力(とわしには思える)で生活を丹念に記した文から感じられる、昭和の雰囲気が面白い!
特に東京大空襲の様子を記した部分は、他の昭和の情景からさらに浮きだって強烈だった。

向田邦子は若干のマイブームとなり、その後他のエッセイ等も図書館で借りて読んだ(これは読みつぶすわけにはいかずちゃんと返却した)。

そして時代は違えど、ここに流れるのも、

「この生活を愛せ!」

というメッセージだった。


3、「喜嶋先生の静かな世界」/森博嗣
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「この生活を愛せ!」というメッセージは、非常に受容的な感性の表れだと思う。
女性的とも言える。
良いも悪いも、白も黒もグレーも、全部ひっくるめて受け入れられる。
あいまい、なあなあ、誤魔化し、そういうのが自然とできる。
そのようにして初めて、この生活を、この世界を、愛することができる。
先に紹介した2作品は、そういう作品だ。

このような、受容的な感性が全く無いのが、森博嗣といえる。

非常に断定的だ。断罪的と言ってもよい。
良いものは賛美し、悪いものは貶す。
白は白、黒は黒であり、
そのきっぱりとした判断の積み重ねで、世界が成り立っていてほしいと願っている。
男性的、そして理系の感性。

しかしわしは、それはそれで、好きだったりする。

どうして好きなのかといえば…
やはりそこまで極端に理系的な世界観を持つということは、社会においては少数派なのであり、
マイノリティだからこそ、社会と軋轢が生まれたり、かみ合わなかったりする様子が時にコミカルに描かれていて、

美術的感性ばかりを偏って持って生まれた、同じく紛れもないマイノリティであるわしは、そこに共感できるからである。

この作品で描かれた、喜嶋先生という究極的に理系な研究者と、そこに師事する、かなりの理系的な才能を有する学生である主人公との関係、
主人公が将来について考える内容、
ガールフレンドの寝顔を見て「大切にしたい」と思う(思ってしまった)瞬間の心理、
それはまさに芸術を志した若者のそれと全く同じである。

ところで、巨大な彫刻を作り出す、展示する際は、
必ず、瞬間的にでも、断罪的な感性が必要になる。
唯我独尊、断罪の感性なくして、「大きめの事象」は執行できない。
わしの中にも、当然だが、受容の感性と断罪の感性、どちらもある。


4、「カラフル」/森絵都
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受容と断罪。
今さらながら、今回の日記のテーマはそこ、
ひいては今年のテーマはそこだったのかもしれない。
同じ「森」だが、こちらの森絵都さんは、
DJみそしるさんも向田邦子さんも差し置いて、
まさしく受容的世界の権化というか、わしの中では代表選手である。
一見悪と思われた人物の、隠れた良い面を描く。
良い人物の、裏のずるさも描く。
本当に丁寧にそれをする。
「白か黒だけじゃない、カラフルな世界に、再び飛び込んでいく…」
記憶で書いているので正確でないが、この本のそんな感じの一節にも、それは表れていた。

実はこの本自体、今年読んだものではない。
何年か前に読んだもので、忘れていたのだが、
そこに込められていたメッセージが頭に残り、
なぜか時々思い出すのである。

そう、森絵都さんの物語は、受容的な感性で愛に溢れ、
素晴らしいバランス感覚の元で非常に丸く収まっているので、
目立ってぶっ刺さることがない。
人に「ぶっ刺さる」のは、やはり森博嗣のような、
極端で三角定規のように尖った形なのだろう。
しかし森絵都さんの素晴らしい丸さは、
「ストーリーとか全然覚えてないけど、作品から感じたメッセージは、何年経っても覚えてる」というような、
地味な形で存在感を示す、わしの中で。

そしてこの作品のもう一つのメッセージは、
「借り物の人生だと思って軽く考えて生きたほうがむしろうまく行く」
ということだった。
これはわしにとって、一つの素晴らしい啓示だった。


5、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」/村上春樹
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受容、受容、断罪、受容と並べて、最後どうしようかと思い、
断罪にしてみた。
ネタばれ注意。

村上春樹作品は、わしは18歳から20歳の間に一通り読んで、長編は大体読了したが、
「ノルウェイの森」を読んだところ、精神を病んだ彼女を持ちながら浮気をする主人公が出てきて、
「こんなのただのムッツリスケベがうじうじと自己肯定してるだけじゃないか!」
と思い、
その後は村上春樹的世界観そのものまで敬遠するようになってしまった。

村上春樹さんそのものは大作家で真のアーティストであるが、
村上春樹的世界観の中でしか生きようとしない人は、基本的に突き抜けない人だと思っている。
あえて断罪的に言ってしまえば。

そして村上さんは、断罪の人である。
最近出た、自伝的な本の一ページ目を立ち読みしたら、
「小説家とは、自分の考えが正しくて他の考えは間違っていると思っている人が多く、
その割合は92パーセントくらいだと踏んでいる」
という内容が書かれていた。

なんとなく、92パーセントという数値は違う気がする。
森絵都のような受容的な小説家も多い。
92パーセントという高数値で予測するのは、他ならぬ村上さん自身が断罪タイプのパーソナリティだからだろう。

良いものは良い!悪いものは悪い!

しかし、あれもこれも断罪しすぎて、
結局何が良いのかわからなくなり、ボワッとして終わる、
そんな傾向も感じる。

この本は知り合いに借りて読んだ。
主人公の多崎さんが、大学生の時に、古くからの親友4人に突然絶縁される。
多崎さんはショックを受ける…
死ぬことまで考える、その精神的な移ろいが非常に克明に描かれる。

そして大人になった多崎さん。
まだ引きずっている。モヤモヤし続けている。

聡明な彼女と出会い、モヤモヤを断ち切るために4人に会いに行くことを提案される多崎さん、
事態は解決するのか…

いや、しない。
モヤモヤし続ける。
堂に入った、としか言えないモヤモヤっぷり。
最後まで…モヤモヤモヤモヤして、そして話は終わった。

わしは、ごく控えめに言って、とてもびっくりした。
なんだこれは。
複雑な手法で、様々な角度から描写された「モヤモヤ」を、鑑賞する小説だったのか、これは?
こんなモヤモヤ、平安寿子だったら7ページ目くらいでビール飲んで吹っ切るだろう。

とはいえ、アンチっぽいこと言いながら、なんだかんだで読んでいるのだから、これもファンのうちなのかもしれない。
勝手に愛憎入り混じられてこそ、本当のスターなのだろう。
そして、高校卒業間近に、図書館で借りた「ねじまき鳥クロニクル」を読んだことが、
わしにとっては大人の読書への入り口だったのだ。
親同様、感謝せねばなるまい。

以上、5点でした。
そして、前にも書いたけど、
わしの読書体験において、現代を舞台にした文学で、
「煙草」「コーヒー」「ビール」、
この3つが、出てこなかった試しがない。
今回紹介した本4冊にも、もちろん漏れなく、この3種の神器は登場しているはずだ。
よっぽど、この3つは、「文学的」なモチーフなのだろう。
煙草は肺に悪く、コーヒーは摂りすぎると胃に、ビールは肝臓に悪い。
生きているのに体に悪いものを意図して取り込むという矛盾、
こうした「矛盾」こそが、芸術を生むのかもしれない。
この3つは、受容的なものだろうか、断罪的なものだろうか。

では、来年も良い作品との出会いがありますように、乾杯!
コーヒーで。
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by syun__kan | 2015-11-14 23:02 | 日記 | Comments(0)
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