開館前の国立新美術館に運び込まれた、わしの「靴」。
長さは110センチ。
そう、4月の17日には、新美術館でワークショップしてきた。
そのためのアイキャッチとして作ったもの。
ワークショップは、午前中は20名を定員にして事前募集したメンバーと造形的に遊び、
午後は通りすがりの方も受け入れて新聞&ガムテープ工作した。
午前中の定員数に対して数倍の応募があったので、午後の自由参加タイムはすごい大盛況になるかなと思ったけど、
外は暴風雨だったので、ほどよい来客数で、
無事、スムーズに行うことができた。
国立の立派な会場で、楽しくできて良かった。
ちなみにその一週前の日曜、10日には、わしはハーフマラソンを走った。
パラカップという、川崎の河原で行われるランの大会で、昨年は10キロを54分で走ったのだが、
今年は、ハーフマラソンを自分は走り切ることができるのか、ということが知りたくて、出てみた。
結果的に、わしは2時間4分でハーフマラソンを走り切れた。
(途中トイレに寄らなければ、あと数分縮められたと思うのだが)
最後スパートかけたので脚が疲れたけど、
ゆっくりと、4時間半くらいかけていいなら、たぶんフルマラソンも走れるだろう。
(次はフルを走ってみようか。しかし何のために?)
ちなみにその大会で、奥さんとボリさん(2歳4か月)は、親子で400メートル走る「親子ラン」に出場し、バナナをもらった。
わしが走っている間は、ひたすら待っていてくれた。
わしが走り終わって、皆で帰ったのだが、
途中でわしだけはぐれて向ケ丘遊園に向かった。
三宅感君の、岡本太郎賞展の搬出を手伝いに行くのだ。
彼の人生を賭けた展示の最後に、立ち合いたかったのである。
大賞受賞という夢のような展示が、終わってしまうということが寂しいか聞いてみたら、
三宅感君は、「ほっとした。早く終わってほしかった」と言っていた。
その気持ちはわかる。
作品を展示するというのは、自分の内臓を風雨に晒すようなものだ。
まして、目立つ場所や、目立つ立場で展示した場合、
良いことばかり言われるわけじゃない。
嫌なことを言われた場合など、言われた方は2・3日引きずるものだ。
その辺のストレスとどう向き合うかというのも、表現者の一つの課題だろう。
三宅一生展に出しているわしの造形物だって、持たれる感想はまちまちだ。
搬出でわしは、美大生なら誰でも知ってるインパクトという工具で、100本くらいビスを抜きまくった。
ここでわしの腕は、完膚なきまでに疲労した。
帰り道、自宅の最寄り駅に着いたのは夜10時半、
わしはお使いの米を買って、ぶら下げて20分の道のりを歩いて家に向かった。
脚も腕も打ち抜かれたように疲弊し、しかし頭だけはたくさんの刺激でリフレッシュしていた。
新年度の学校の仕事でバタバタしている頭に投げ込まれる、
展示やワークショップやマラソンや家庭における父としての役割や三宅感君や三宅一生さんなどの様々な要素、
それらは相互に、消耗させたり増幅させたりリフレッシュさせたりしているが、
年度が終わるころには全部混ざり合って、おいしいドレッシングとなって完成し、
頭からとろーりと流れ出すと良いな。
みたいな、そんなことをイメージしつつ過ごす。