ボリさんは、さすがに本名ではない。
可愛い娘に「ボリ」は付けない。
ブログ上の通称である。
ボリさんから学ぶものは多い。
感じることも非常に多い。
ボリさんは魔の2歳児を過ぎ、
3歳になって少しは理屈が通るようになったが、
よく言われるように、
理屈っぽくなってめんどくさくなった部分もある、
という感じだ。
奥さんが寝かしつけようとしても、
なんやかやと布団上で話し続け、
枕の位置、掛け布団の種類等々に文句を付け続け、
果たして奥さんを怒らせる。
わしは間に入り、
「もうお姉さんだから一人で寝れるんじゃない」
と、どちらにというわけでなく、その状況に対して話しかけ、
奥さんと一緒に一階に降り、
ボリさんを二階の寝室に一人で残す。
しばらくすると泣き出すボリさん。
泣き寝入り(違うか?)を期待して放っておくが、
なおも泣き続けるボリさん。
母性を突かれ、二階に行こうとする奥さんを、父親としての一家の大黒柱的な亭主関白風の威厳的なサムシングで制し、
「お前が行っては元の木阿弥じゃ。
わしが寝かそう」
と言って寝室に出向く。
暗い寝室に入ると、布団の上に座っているボリさん、
わしが隣に寝転ぶと、
「お母さんがいいいい!」
と足をバタバタさせる。
「お母さんは今ね、お風呂入ってるから」
と、虚偽の報告をし、少し離れて
「お父さんここにいるから、お母さん来るまで待とう」
と、
待っている間に寝入ることを期待して声をかける。
わしは速攻で居眠りしてしまう。
動きを止めるとすぐ寝る。
これはわしの特性だ。
プラネタリウムとか、いつも最初の一分半くらいの記憶しかない。
少しして、これじゃだめだと目を開けると、
ボリさんは布団上に座ったまま、顔をゆがませ…
何かあの、誰だか分からないけど有名なアルバムジャケットのイラストのような目つきで、
眠気に耐えていた。
ものすごくぶさいくだった。
しかし同時にものすごくかわいかった。
ぶさいくであると同時にかわいいって、「行ってQ」のイモトアヤコさんみたいだな、と、
ぼんやりした意識で思った。
ぶさいくであると同時にかわいいということが、
人間の究極の状態かもしれないとも、思った。
みんなそれを目指すべきなんじゃないかと…
ボリさんは後ろに揺らぎ、
左右に揺らぎ、
前のクッションにボス!っと倒れる、また起きる、
を何度か繰り返した。
わしはまた居眠りし、
二人とも寝たところを、
実際に入浴を終えた奥さんに、
わしだけ起こされた。
翌朝、ボリさんは自分で「あたし今日も元気だよ!」と述べ、
朝の支度をしていて、
幼稚園の体操着を着ようとし、
袖穴から手の先を出し、
首の穴から顔を出したものの、頭頂部が引っ掛かったようで、うまく着られず、
そのまま「ふきー!!」という不満の声をあげ、
憤怒の顔で泣いた。
その姿は、太陽の塔にそっくりだった。