草刈り

昨日は、放課後、中学部の職員でグランドの草刈りをした。
グランドには芝をはじめとして、たくさんの雑草も生えており、
各部各科が持ち回りで、一年に一回ずつ、芝刈り機を使って、刈るのだ。

芝刈り機は一台だけで、最初に手にしたのがわしだったので、わしが草を刈りはじめた。
右のレバーを握ると、前へ進む。
左のレバーを握ると、刃が回転する。
グランドを何度も往復しながら、間隔を開けずに並行に線を引くようにして、草を刈っていく。
機械が一台だけなので、それを使う一人以外の人は、機械で刈った草を集めて、荷車に乗せて運ぶ。

しばらくして、わしは自分がとても上手に、真っすぐに草を刈っていることに気づいた。
そして、去年の今頃、一年目のド新人だったときに、同じように草刈りしたときのことを思い出した。

去年は、大きな芝刈り機の、ブルビルブルビルという爆音にビビり、慣れない機械を使った作業ということもあり、全然上手に草を刈れてなかった。
真っすぐに進むこともできなかったし、刈り進めた道に間隔が開いて、刈り残しがいっぱいできてしまっていた。へたくそだった。

うまく刈れなかったのは、機械の手応えと音にビビッていたからだけではない。先輩を含むまわりの同僚たちに対しての遠慮もあった。
しばらく刈り進めると、「そろそろ代わったほうがいいのかな?」などと考え、「代わりますか?」などと言って、機械の操作を明け渡していたのだ。

機械を扱う一人は、微妙に周りから注目される。私はそれを意識しすぎてしまう。仕事ぶりや、立ち振る舞いがいちいち評価されている気がして、いても立ってもいられなくなってしまう。ちゃんと刈れているだろうか。鼻毛は出ていないだろうか。
要するに、ちょっとだけ「自意識過剰」なのだ。というより、一年目のド新人というのは、そういうものなのかもしれない。
何をするにも、どうでもいいことにまで、「これでいいのだろうか」と思い続け、自然体で行動するということができない。
やっぱりそれはいつも、ベストな結果にはあんまり結びつかない。

そんなこんなで、去年はうまく刈れていなかったのだが、さすがに今年は二年目なので、うまく「無意識に」草を刈るということができていた。

しかーし。去年のことを思い出したとたん、自分のなかの「自意識」が復活して、「草を刈っている自分」を急に意識し始めてしまった!
刈り進めた道は、曲がっていないだろうか。鼻毛は出ていないだろうか。
いかん、余計なことは考えてはいけない。無意識に進めることだ。
(私は、ブルビルブルビルという、爆音の中で考える)
しかし、一度意識してしまった自分の状態というのは、なかなかもとの「無意識」に戻らない。
草を刈ることより、草を集めて荷車で運ぶ作業のほうが進度が早いので、手持ち無沙汰になった同僚たちが私を見ているのが分かる。
もしかしたら、刈る作業を代わりたい、と思っている人もいるかもしれない。
そういうのを、意識したらだめなんだ、と私は思う。
タイガー・ウッズのように、自分を凝視している大勢の人々の無言のプレッシャーを、やりすごし、うまく操ってこそ、いい結果が生まれる。
わたしはいつも、「誰かに見られている」と思ったとたん、自然体でなくなってしまうところがあった。
それは素の自分への自信の無さから、来ているのかもしれない。
(それは、エンターティナーや芸術家などの表現者に憧れた、きっかけだった気もする)
しかし、いい大人になって、いつまでもそんな思春期みたいなこと、言ってられないのだ。
わしはもう少し、図太くならねばいかん。図太くならないと、実際に体重も増えない気がする。
図太く、草を刈り続けろ、関口。このグランドは、お前の物だ。
芝刈り機だって、去年とは打って変わって、自分の体の一部みたいに感じられるではないか。
右のレバーを握ると、前へ進む。
左のレバーを握ると、刃が回転する。
ニラとレバーを炒めると、ニラレバになる。
いかん、また雑念が混じってきている。
グランドの草を全部刈り終えるまで、あともう少しじゃないか。
刈り取られろ、芝!
舞えよ、オオバコ!
さらば、シロツメクサ!

そんなこんなで、わしはグランドの草を刈り終えた。
エンジンを切ると、同僚たちは、世間話をしていた。
(わしは、梶井基次郎の「檸檬」の主人公が画集から顔を上げたときのように、やっぱりちょっと恍惚としていた)
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by syun__kan | 2008-06-21 17:50 | 日記 | Comments(0)
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