教員と芸術家の醍醐味

1学期が終わりました。
肩の荷が、下りました。
今学期は、スリリングでした。
今年度からはじめてのことが多く、プレッシャーが大きかったです。
悔しい思いもたくさんありました。
この悔しい思いを食べて、2学期がんばります。

通信簿も、書きました。
(いつも思いますが・・・まさか、自分が、通信簿を、書く側になるとはな!)

私の学校は特別支援学校なので、
普通級の通信簿のように、各教科が1~5で評価されて、
出席状況が載ってて、
最後に担任からちょこっと文章が添えてるような通信簿とは違います。

たぶん特別支援学校の通信簿というのはどこでもそうなんだと思うのだけど、
学期の初めに、個別の目標をいろいろ立てて、支援の方法を考えて書いて、
学期の終わりに、どのくらいの変化が見られたかを書く。
ようするに、自分がその生徒に対してどれだけ適切な目標を立てられて、適切な支援をできたか、
自分で評価するようなもの。
自分への評価に限りなく近いのです。
なので、結果が出ていないと落ち込むし、結果が出ていればとても喜びます。

私は大学を出るとき、ずっと芸術だけをやり続けていくという生き方の選択肢も、無くはなかったのだと思います。
でも私は、養護学校の教員になりました。
私の今の仕事の醍醐味を聞かれたら、私はこう答えるでしょう。

世の中には、いろいろな仕事があるけれど、
走る、踊る、歌う、絵を書く、字を書く、パソコンを打つ、植物を育てる、掃除する、料理する、
そういった要素がすべて詰め込まれてる職業はあんまりないと思う。
特別支援学校の教員は、そういうことを全部やります。生きていることを実感します。
その意味では、健全で、健康的で良い仕事だと思う。
いろいろ大変なことはありますが。

私は、大学が終わりそうになって、将来のことを考えなければならなくなったとき、
芸術家一本で生きていこうとは思いませんでした。
芸術だけやっていると、人間的成長がないように思えたのです。
自分の弱点を強化しなければと思いました。

とはいえ、私は芸術をやることの醍醐味っていうのも、知っています。

あれは大学3年の時。
私は親しい友人と、3人で「みはじ展」というグループ展を開きました。
友人も、とても力のある作品を作る人なので、私達はお互い張り合って、
小さな草の根的な展示に過ぎないのに、人生を賭けるような勢いと集中力で作品制作に取り組んでいました。
部屋を暗くして作品を展示する予定だったので、私は巨大なボックスアートの要領で、
暗い中に等身大の部屋が浮かび上がるような、「海が好きな男」という作品を学校で作っていたのですが・・・

バイトや教習所通いでとても忙しかった当時。制作は難航し。
身を削りながら、作っていました。
搬入の日の前日、やっと仕上がりました。
出来上がった作品を、そこに居合わせた非常勤講師の池ヶ谷先生と一緒に眺めます。

「ふっ・・・ふはははは!なんだこれ。あほだ。はっははは!
あはははは。これあほだ。ははは」

と、池ヶ谷先生と私は、一緒になって爆笑し始めてしまいました。

これが、私にとっての、美術をやることの醍醐味です。
意味がわかりますか?

制作に没頭し、集中し、
ふと顔を上げて、自分の仕事を客観視し、「こんなものができてた」と認識した時、
私は思わず、笑ってしまいます。

なにかこう、そのものが、自分の力ではない力が働いて、作られたような気がするのです。
あまりにもばかばかしかったり、あまりにも美しく感じられたり。
でもそれは、幽霊や神様が力を貸してくれたとか、そんなはずはなく、自分の手でやったことに間違いないのです。
そうなると、私は普段は出てこない、自分の中の可能性を、お腹の中からえぐり出したような気分になります。
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それはとても気持ちのいいものなのです。

これこそが、美術をやることでしか得られない、醍醐味だと思うのです。
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by syun__kan | 2008-07-20 14:42 | 日記 | Comments(2)
Commented at 2008-07-24 20:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-07-25 10:52
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