「生きる力」を発揮しちゃったかもしれない

トイレと風呂と洗面所。
このお三方の組合せは、住居選びの際に重要である。
または、ステイタスである。

当然、すべてが別々になっていたほうが、グレードの高い物件であるといえる。
学生時代に住んでいた物件は、このお三方がすべて同時に存在していた。
いわゆるユニット・バス・トイレ・ルームであった。

働いてからの物件は、「せめて風呂トイレ別々で!」という願いを込めて、
古いけれど風呂トイレが別々の物件を選んだ。

しかし住み始めて気づいたのだが、この物件には洗面所がなかった。

(洗面所とは、主に歯磨きと洗顔をするための水道、及び洗面台である)

もちろん、料理をするための水道と流し台はある。
しかし、歯磨きと洗顔に適したサムシングが、この家からは欠けていた。

仕方ないのでいつも流し台で歯磨きをしていた。
もう住み始めて一年半になる。

ところで今日は、東急ハンズに出かけていた。
2学期の美術の授業で、イーゼルを使用したいと考え、
パネル2枚を蝶番で止め合わせた、簡易的なイーゼルを作るための材料を買いにいっていたのだ。

2学期には、美術の時間に造形遊びを取り入れたいと考えている。

造形遊びとは、昭和52年から小学校低学年の図工に、平成元年からは中学年の図工にも取り入れられるようになった活動で、
それまでの、完成した作品のみを評価する「作品主義」の授業に対するアンチテーゼとして、
遊びを通して子どもの生き生きとした表現を取り戻し、また教師に意識改革を迫る目的で取り入れられた。

この活動では、従来のように「一人が一作品を仕上げる」のではなく、
例えば大勢で大きな紙に自由に絵を描いたり、
校庭にある木や石などの自然物を使って並べたり見立てたりしながら「遊ぶ」中で、
それぞれが内面活動を活発にする。

「こういうものを作らせたい、描かせたい」と教師が思い、
それに向かって子ども達に造形活動をさせるのではなく、
何をどうしたいか、遊ぶ中で子ども達が自ら発見していくのだ。

そこでは、完成した「作品」ではなく、子どもがどのように考え、感じながら素材に関わったかという、「過程」が授業の評価の対象になる。

(わしが小学校のころはすでに始まっていたはずだけど、
そういう「造形遊び」、やらなかったなあ・・・)

世の中を生きていく上で、「答えのある問題」よりも、「答えのない問題」のほうが、多くぶつかる気がする。

「答えのない問題」にぶつかった場合、人間は自分の価値観や、人生観、美意識で判断し、
どうするべきかを決めなくてはならない。

だから、「答えのない問題」にぶつかった時に必要になる、価値観、美意識を育てるためにも、図工や美術は大切なのだ。

数学や国語みたいに、答えが決まっていないのが図工、美術だからね。

そういう力が、何年か前に文部科学省が「ゆとり教育」によって打ち出そうとした「生きる力」なのだと思う。

わしは「ゆとり教育」「生きる力」賛成だよ。

東急ハンズをうろつくうちに、自分のうちに洗面所を作りたくなってきた。
うちの風呂には、なぜか水道が二つあるのだ。
このうちの一つを使えば、風呂場の中に洗面所を作れるかもしれない。

そう思って、いろいろ検討を重ね、

・ろうと
・角度が変わるシャワースタンド
・ホース

を購入した。
家に帰ってきて、風呂の蓋を円柱状に丸め、その上にろうとを固定し、
水道とろうとにホースを挿し、
小型の洗面所を作ることに成功した。
水道の水がホースを通ってろうとに流れ出し、ろうとの下に付いてるホースをつたって、風呂桶の下の排水溝に流れこむ。
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我ながら、秀逸なデザインだ。
極限まで無駄を省いた、マルセル・マルソーの信念を具現化したような究極的なミニマリズムだ。

こういうのを発想し、実行する力が、生きる力なのではないだろうか??
なんちゃって。

しかしこれが本当に生きる力が発揮された具体例だとしたら、
やっぱり、ゆとりは必要なのだろう。
なにしろ、今が夏休みだから思いついた、というか、やる気になったことだ。
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by syun__kan | 2008-08-17 17:27 | 日記 | Comments(0)
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