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告知、世界まる見え

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明日の「世界まる見え!テレビ特捜部」に少しだけ出ます。

4月17日(月)春なのに事件です!
ミステリークイズ スペシャル!
<19時00分~21時00分>

とのことで、
わしが出るのは最後の最後のコーナーだそうで、
8時半以降だそうです。
映ってるのは、1分間にも満たないかもしれませんが。

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by syun__kan | 2017-04-16 20:30 | 日記 | Comments(0)

替え玉5玉食べようとしたことがある。
予備校の時だ。
従って高3の時だ。
わしが通っていた予備校は高崎美術学院といって、
4階建ての洗濯機のような小さなビルで、
目の前に二等辺三角形の公園があって、
二等辺三角形の一番狭い角度の頂点の近くに、ラーメン屋があった。
替え玉と言えば九州の豚骨ラーメンというイメージだが、
そのラーメン屋は北海道のどこかの地名を名乗っていた気がする。
しかしまあ、とにかく替え玉をやっていた。

そしてだ、替え玉4玉すると、
要するに最初から入っている麺と合計し、5玉食べると、
記念に写真を撮ってもらえて、
壁に貼ってもらえる、
という、なんだ、
プロジェクト、と言っては大げさだな、
企画?サービス?ちがうな、
もっと些細な、そう些細な何か、
ルールといっては変だな、
まあ、そういう何かをやっていた。
麺と壁に関するサムシングだ。
現代芸術のタイトル風に言うと、
「麺・反復的試行によるミニマルな作用~壁面の肖像」
という感じか。

わしはあほだったので挑戦した。
予備校の友達5人くらいで訪れたときだった。
最初の一杯、これは軽く入る。
続いて替え玉1玉目、これも問題ない。
2玉目、大丈夫。
たくさん食べたいときの必勝法は、
深く考えないことだ。
体が「あれ?今満腹なんじゃ?」と気づく前に、
隙をついて入れてしまうのだ。
既成事実を作ってしまうのだ。
替え玉3玉目にして、脳が徐々に、
麺が無節操に取り込まれていることに勘づき始めた。
急がなくてはいけない、
わしは4玉目を注文し、もぐもぐと飲み下す。

替え玉4玉食べたので、最初に入っていた分と合計し、
無事5玉完食した。
お店の人に、「5玉食べました」と申告するが、
「まだ4玉ですよ」と。

おそらくお店の人の、数え間違いである。
わしは間違いなく、5玉食べた。
しかしながら、判定は覆らなかった。
仕方なく、わしは5玉目の替え玉を注文した。

…ここからが、入らないのである。
どうしても、食べられないのである。
ゲートがピタッと閉じてしまった感じだ。
よく、大食いのテレビ番組等で、
「もう限界、おなか一杯だ。しかしもう少し頑張る」
と言って食事を再開する展開があるが、
わしはそのリアリティを怪しんでいる。
少なくともわしの摂食的限界は、もっと数学的でドライだった。
100パーセントに達したら、それは100パーセントであって、その先は無かったのである。

わしは口に入れた麺を飲み込めずに、フリーズした。
しかしながら、ギブアップはしたくなかった。
もったいないではないか。
据え膳食わぬは男の恥という言葉も存在する。
しかし、友達にもスケジュールが存在する。
皆は、ひとり、またひとりと、帰路に就き、
ファービーというあだ名の友人だけ、残ってくれた。

わしは涙目で椅子に佇んでいたが、
やがて、飲み込むことを諦め、
リスの様に、とにかく頬張ることで何とか替え玉5玉目を組み敷こうとした。
そしてついに、器をとりあえず空にすることに成功し、
口をもごっとさせたまま、苦し気な表情でポラロイドカメラに撮影された。

エピソードは以上である。
無意味な挑戦に思われるかもしれないが、
少なくとも、真の満腹というもののフィーリングが分かったし、
自分の限界の指針を得ることができた。
ただしそれは、18歳の時の指針なので、
経年によって変化が生じていないか少し気になっていた。
なので、この間の福島でのワークショップの帰りに、
池袋で、一人で33歳の替え玉の限界に挑戦してみた。
やはり、替え玉4玉で限界が来たので、
もちろん5玉目は注文しなかった。
そして、背筋をピンを張る必要があった。
細長い袋に綿を詰めると、まっすぐにピンと張るだろう、
あの感じだ。
その日のラーメン屋で、わしは最も座高が高かったと思う。

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by syun__kan | 2017-04-11 21:26 | 日記 | Comments(0)

ミミズのハート

職場で仕事しながら、敷地内を行ったり来たりしていたら、
屋外のコンクリートの部分に、
干からびた小さなミミズが死んでいたのだが、
見事に、ちょうどハートマークの形に死んでいて、
ファンシーな気持ちになればいいのか、悲しい気持ちになればいいのか、
分からなかった。

ということを、誰かに伝えたくて、
仕事している同僚たちの中に入っていくのだが、
こんな些細なこと、
しかもおじさんのつぶやく些細なことの受け入れ先を見つけられず、
悩んだ。

アート系の仲間の中に入っていくなら、迷わず伝えたと思う。
いや、イッセイミヤケのレセプションとかそういうハイクラスな場では無理だが、
もっと身近な年齢の近い友人たちになら。
さっきミミズ死んでたんやけど、と。
しかし職場の方々は一般市民というか立派な社会人たちなので、
あまり些細で脈絡や実益とは無縁なつぶやきは、正直ご迷惑となる恐れがある。

だれか、ハートのミミズのことを話せる可能性のある人、この職場にいなかったっけか、
わざわざ話に行くわけではないけど、可能性だけでも見いだせたら、
それで満足してこの件は終わりにしましょう。
そう考えて、N先生を思い出す。
N先生は、わしが2年目くらいの時に組んで担任を持った方なのだが、
自己主張とは無縁な、控えめな感じなのだけど感性が地味に鋭敏というか、
些細な事でも大変に面白がれる方だった。
おそらくこの話も、あの声にならない笑いで受け入れてくれる。

しかしN先生は、昨年度末に退職されたのだった。
最近は違う部署で働かれていたので、N先生がいないことで自分への影響はどんなものがあるのか、
あまり考えていなかったが、
ハートのミミズの受け入れ先がこの職場で完全になくなっていることに気づき、
わしは改めて、N先生の不在を感じたのだった。

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by syun__kan | 2017-04-08 01:14 | 日記 | Comments(0)

メメント・プリキュア

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3歳になるボリさんと、プリキュアの映画を観に行った。
ボリさんももうすぐ幼稚園に上がるので、
入園準備としてプリキュアくらい押さえておいた方が良いだろうということで、
今シーズンのプリキュアをワンセグで見せていたら、
彼女は容易く魅了された。

もっとも、わしとしても、映画に行くのは、やぶさかではない。
うちにはテレビがないので、ガラケーのワンセグで見せるわけだが、
電波がいまいちなので、
視聴する際はわしがアンテナを押さえ、
自らが人柱というか人アンテナとなる必要があり、
必然的にわしも大体毎回、「キラキラ☆プリキュアアラモード」を視聴し、
戦闘の最中に突然ケーキを作り出す展開にドキモを抜かれ、
クリームに砂埃が入らないかハラハラしたが、
それなりに楽しんでいた。

映画館のある大泉学園は、東映の本拠地である。
春休みの館内には、プリキュアのフィギュア等の展示物があり、
小さな女の子連れの家族がたくさん。
子どもだけ、うさぎ型の小さなペンライトがもらえ、
客席はほどよく埋まっていた。

わしは3回泣いた。
最初は、主人公である「うさみいちか」ちゃんが、
キュアホイップに変身する場面。
変身すること自体、まったく予想外ではなく、
非常に当たり前な展開なのだが、
やはり泣いた。

なぜって?
この作品には、作家のエゴのようなものが、全く無い。
おそらく、会議に会議を重ねて、たどりついた形だろうし、
テレビアニメ、映画作品、
CD、DVD、各種イベント、
玩具、書籍、文房具、衣類、生活用品等々、
様々な媒体が、全部絡み合い、一緒になって練り上げられた、壮大なビジネスプロジェクトである。
壮大でありながら、何の破たんもない世界。
そういうものが、
うさみいちかちゃんの決めポーズと共に、
無事こちらにどーんと届けられたと実感され、
そのダイナミズムに、感極まった。

内容的には、今シーズンのプリキュアと、
昨年、一昨年のプリキュアが出てくる形で、
わしは今シーズンのメンバーしか分からないのでリアクションを取りづらい場面もあったが、
おそらくこの映画用のオリジナルキャラクターである「さくら」という小さな女の子も出て来て、
さくらと仲の良いキツネの「しずく」も出て来て、
二人の友情が描かれ、
しずくが敵の悪い奴の手中に落ち、
「もう一度しずくに会いたい」と言ってさくらが泣き、
はい、この辺でわしは2度目の泣き。

さくらは5歳くらいの年齢設定と思われる。
幼少期に、どれくらい濃密に関わり、愛情を伝え合うか。
それが非常に大切であることが、ここでは示されている。
月並みに言えば「絆」のようなリレーションシップを育む時期があったからこそ、
さくらは、いなくなったしずくをこんなにも求めるのだ。
となりのボリさんは、
戦闘シーンに興奮して、ペンライトを「エイ!エイ!」と振り回しているが、
その横でお父さんはむせび泣いている。

歳を重ねるごとに、だんだん、涙もろくなる。
若いころは、逆にまったく涙が出なかったのに。
いろいろなものが、「泣ける」ようになった。
なんでだろう?と考えて、
だんだん、人生の残り時間が短くなっていくからかもしれない、
などと真面目に思った。
まだ若いのに大げさだ、とも思うけど、
30過ぎて、人生の短さに頻繁に思いを馳せるようになった。

うさみいちかちゃんが「大丈夫、一緒に行こう」というようなことを話し、
きらびやかな格好をした女の子たちが一致団結して敵を倒す。
しずくは戻って来る。
プリキュアたちの勝ちだ…ネタバレかもしれないが。
まあ良いだろう。
正直、「この敵に今回ばかりは倒されてしまうかもしれない」と感じる場面は無かった。
「辛そうな人は助けるべきである」
「みんなで協力すれば、大変と思われることでも達成できる」
そういったメッセージが、高らかに謳われた。

案の定、わしはまた泣いている。
「辛そうな人は助けるべきである」
「みんなで協力すれば、大変と思われることでも達成できる」
こういったメッセージは、人生を歩み進めるにつれ、
だんだん例外が出てくる。
世の中はもっと複雑で、ややこしい。
「倒せない気配が全然しない敵」というのも、
現実的ではない。
そういった例外、複雑さ、ややこしさが極まったところで、人生は終わるのかもしれない。

でも3歳なら、今はこれでいいだろう!
間違っていない!
ボリさんよ、
辛そうな人は助けるべきだし、みんなで協力すれば、大変と思われることでも達成できるのだよ!
ビジネスプロジェクトだとしても、そのメッセージには血が通っている。

劇場を後にし、
翌日にはテレビ版のプリキュアの放送があった。
わしは新居に引っ越したばかりで、何と、
ついにテレビを購入したのである。
そんなに大画面ではないが、ワンセグよりは遥かに大きな画面で見るエンディングテーマは、
やはり鮮明で、
ダンスの振り付けがよく分かった。
わしとボリさんは、せっせと振り付けを模倣した。

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by syun__kan | 2017-04-03 22:14 | 日記 | Comments(0)

練乳

福島に向かっている。
特急ひたちという電車の様だ。
上野から乗った。
満席で、指定券は買えなかった。
前日以前にインターネットなり窓口なりであらかじめ券を買っておけばよいわけだが、
わしは下調べおよび下準備というものが全体的に苦手である。
できればなるべく行き当たりばったりに生きてゆけたら。

車内に乗り込んで、通路で長嶋有の文庫本を読んでいたら、
女性の車掌さんに特急券は持っていますかと聞かれ、
持っていませんと答え、
2700円くらいを支払って券を買った。
いわきまで2時間、立ったまま過ごす、軽い覚悟のようなものはできていたが、一応、
席が空いても座れないんですかね?と聞いて、
緑のランプが赤になったら座って良いと言われ、
ランプとはどれ?と聞いて教えてもらった。
特急とかっていうのは乗り方のルールがいろいろあってややこしいよな、と思っていたら、
その車掌さんが歩いて戻ってきて、
「10番のBが今なら空いている」
と、教えてくださった。
ご親切に、ありがたい。
本来ならばこんな行き当たりばったりなやつは立ち続ければよいのだ。

席に着き、
出発駅の大泉学園の「トモニー」で買った菓子パンを食べようかと思うが、
周囲は誰も物を食べていないので、
いったん保留する。
隣に座っている人が降りたら、
もしくは向こう三軒両隣くらいの人が何か食べ始めたら、
わしも食べようか、と思う。

続いてノートパソコンを、膝の上に出す。
字を打ちたいのだ。
そう、現在打っているこの文のことだ。
字を打つことは、わしにとって、それなりに有意義かつ一番素早く時間が過ぎる方法だ。
しかしながら、パスワードを入力して立ち上がるデスクトップは、
昨年の夏に作った「大人魚姫の城」というわしの作品の大写しで、
事情を知らない方から見ると相当に得体の知れない印象を与えると思う。
ので、はやく「マイクロソフト・ワード」を開こうとするが、
今起こされたばかりのPCはぐずぐずしていて
わしはアイコンを数回繰り返してクリックする。

少し疲れているかもしれない。
何しろ最近は、
新居への引っ越しで多忙だった。
6年住んだ旧居からは、
ゴミが45ℓで20袋くらい出た。
大学で4年住んだ下宿から越す時は、6畳一間から13袋出たと記憶しているが、
さすがに大人二人、子ども一人、犬&猫で過ごした集合住宅の一室からは、
それを超える量が出た。

先日の連休、明後日引っ越し業者が来るというようなシチュエーションで、
奥さんとわしは必死になって追い込みの片づけをした。
徹夜に近かったが、
やってもやっても、終わらなかった。
準備期間はあったはずで、
少しずつ断捨離していたつもりであったが、
それは新幹線に追いつこうとして竹馬に乗り、
「いや、進んではいるんだけどね」
と、言い訳するようなものだった。
の、だろう。
と、思い知る。
名誉のために言っておくと、奥さんはちゃんと準備していた。
しかしわしは、仕事で朝から晩まで家を空け、
その上、ここ最近は岡本太郎記念館に飾る作品づくりや、
搬入、設置、レセプション等のスケジュールを抱えていたのだ。
最後追い込めば何とかなるだろう、と思っていたが、
案の定、練乳のように甘かったので、
青汁のような苦汁を飲む。

結局片付けきらないまま、
べんきょうしまっせ、引っ越しの、何だっけ?
そのような名称の業者がやってきて、
えっさほいさと、タンスや冷蔵庫等、運び出していった。
犬は奥さんが散歩に連れ出していたが、
猫は、
我が家で飼っているオレンジ色の大きなトラ猫であるコマちゃんは、
気難しく普段からあまりさわれないので、部屋に残っていて、
ソファの下に隠れていたのだが、
業者のお兄さんがソファを持ち上げた瞬間に、
「ニャー!!!!!!」
と飛び出してきて、別室の押し入れに入ろうとしたが、
あいにくそちらにも別のお兄さんがいたため、
踵を返し、
玄関まで開け放たれているためドアを塞ぐように構えていたわしに突撃してきて、横をすり抜け、
まずい、このままでは逃げてしまうと思ったわしは尻尾を掴んだものの、
持てる力をフルに解放している覚醒コマちゃんは、
「シャー!!!!!!」
とわしを振り切り、玄関方面に向かったと思われたが、
そのまま風呂場に突入し、
桶に入った水をひっくり返してびしょ濡れになりつつ空の風呂釜に飛び込んだ。
お兄さんAがソファを持ち上げてからここまで、2秒間くらいである。
灰は登場していないが、
けっこう毛だらけ猫灰だらけという文句を思い出した。

風呂場のドアを閉めて猫を確保し、
わしはお兄さんたちが大物を運び出したため露わになった床面を清掃した。
食器棚をどけた後の床には、
食パンのビニールを結わえる、凱旋門みたいな形の平たいプラスチックが25個くらい出て来て、
わしは何かの呪いかと思った。

引っ越しは、本来トラック2台分なのだが、
繁忙期で料金が高いため、節約し、
1台に、大物を優先して積めるだけ積んで運んでもらい、
残った分は自力で運ぶことにした。
案の定、思ったよりたくさん残った。
練乳。

新居はものが揃わず、
旧居の片付けも済んでいない。
旧居の退居日まではまだ少しあり、
仕事の合間を縫って片付けに行き来している。
いわゆる落ち着かないとはまさにこのことなり。
生徒はもう春休みに入っているので、多少疲れててもいいやと思い、
睡眠も若干削り気味だ。
よってなう、少し疲れているかもしれない。

そんな中、種々の片付けを奥さんに押し付け、
住み始めたばかりの新居にも住まず、
一人福島に行くのはやや心苦しい。
そうそう、なぜわしが福島に向かっているかというと、
25日、26日にいわき市立美術館でワークショップをするためである。

このあと、24日20時15分にいわきに着いたわしは、
20時半ころ美術館に着き、
明日のワークショップの準備をする予定だ。
美術館は23時頃まで開けていられるとのことだったが、
さすがにそんなには遅くはならないと思う。
思いたい。
フタバスズキリュウをモチーフとした首長竜を作る計画なので、
木材をそんな形に組む。
その後ホテルに行き、たぶんネット環境はあると思うので、
この文章を投稿するだろう。
文を打っているうちに状況は変わって、
わしはもう菓子パンを食べきっている。
そして明日は、ピッカピカの元気で参加者を迎えることをここに誓う。

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by syun__kan | 2017-03-24 23:18 | 日記 | Comments(0)

東京

わしの職場の学校の生徒たちは、電車が好きである。
鉄道ファン率は、おそらく過半数になるのではないか。
確かに、鉄道資源に恵まれた立地の学校ではある。
練馬区東大泉に位置し、
北に西武池袋線、南に西武新宿線に挟まれ、
副都心線も直通してるし、
足をのばせば武蔵野線もあるし、練馬からは大江戸線も出ているし、
20分ほど乗って山手線駅の池袋に着いてしまえば、
そこから先は日本一の鉄道網がびっしりと広がっている。

わしの故郷の群馬には、こんなに鉄道は無かった。
わしの実家から最寄り駅の前橋までは、徒歩45分くらいであり、
移動は基本的に自動車と自転車に委ねられている。
でも、一部の都会以外の、日本の大部分はこのような田舎であるはずで、
こうした鉄道資源の少ない田舎に住む特別支援学校の子どもたちは、
一体何を嗜好しているのだろう、
と気になってしまうくらい、
職場の子どもたちは電車が好きだ。

先日は終業後、作品の設置作業のため、
大泉学園から池袋線に乗り、
表参道に向かった。
石神井公園でFライナーに乗り換える。
ピンクと赤のラインで、東急4000系だ。
そういった車種とかに関して、以前はこれっぽっちも興味なかったが、
職場では頻出する話題なので、
わしも基礎的な知識は付いてしまった。
いつか黄色い西武2000系の車両がラストランになるときは、
はっきり言って、わしもお別れに見に行きたいかも知れない。

西武線沿線は西武グループが強いようで、スーパーマーケットでは西友がよくある。
西友には「やっぱコスパ」というポスターが掲げられている通り、
電車に乗って来る人も、コスパと実用性重視の格好をしている気がする。
しかしFライナーが、東京の地下を走り、東京深くに食い込んでくると、
徐々にファッションも、それっぽくなってくる。
髪型も、切りそろえたり、刈り上げたり、撫でつけたりがとてもキッパリとした調子で行われるようになり、
服装も、ズボンの裾が短かったり、
カラフルな人はどこまでもカラフルに、レザーな人はどこまでもレザーに、
細い人は細く、ふわっと着る人はふわっと、
それぞれに顕著になる。
それが実用的かは分からないが、例えばメガネまで丸かったりでいちいち特徴的だ。
その傾向は、明治神宮前(原宿)から表参道あたりで最高潮になる。
表参道A5の出口を出て通りを歩くと、
それぞれ何かしらの主張が発せられている老若男女が歩く、
高級ブランドが立ち並ぶストリート、
凹凸のあるガラス壁に囲まれたプラダの店内は、
そんな壁なので中がよく窺えないが、
おそらく「やっぱコスパ」のポスターは貼ってない。

ショーウィンドウに映る、歩いている自分の格好を省みると、
職場から直行なので砂埃にまみれたジャージであり、
実用性に重きの置かれる池袋線沿線から来たから、では済まされない。
自分の責任である。

岡本太郎記念館に着くと、梱包されたわしの作品がある。
梱包を取り、展示室の中心に置き、
照明の角度を決める。

表参道とかでオシャレな格好をして過ごすのは非常に素敵なことだが、
少し離れた地域で、表参道とかに置ける作品をつくり、
時々置きに行くということも、
それもまた別のかっこよさがあるのではないかと考えている。

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by syun__kan | 2017-03-13 00:24 | 日記 | Comments(0)

千夜不動産屋物語

「不動産屋」と呼び捨てにするのは何となく気が引ける。
八百屋は八百屋さんなわけだし、魚屋は魚屋さんなわけだから、
あくまでもビジネスというフィールドでフェアにコミュニケーションしようというわけだから、
なるべく「さん」付けしたい。
それはやまやまなのだが、
いかんせん「不動産屋さん」と言うと、
「ふどうさんやさん」となるわけで、
後半が「さん」続きになってしまい、
まあ「さん」は二回付けば良いということになるが、
正しく呼べたか、いつも少し不安になる。
多すぎないか、少なくなかったか。
だから、間違えたときのリスク回避というか、
照れ隠しの為に、
奥さんに敢えて「不動産屋さんやさん」と言ってみせる。

この照れ隠しは、引っ越しすること自体に向けてのものかもしれず、
いや、何も引っ越しは照れるべきものでもないのだが、
ローンを背負う恐怖と共に、多少の晴れがましさはある。

途上の金消契約というのは、
利用した銀行の方針で関係者で集まるようなものはなく、
かわりに池袋の雑居ビルの一室、
阿修羅原なら大丈夫だろうがジャンボ鶴田なら頭をぶつけるであろう天井の低い廊下を抜けてインタフォンを押し、
雑居雑居した雰囲気をふんだんに味わって司法書士さんと面談した。

手続きはわしの最も苦手とするものだが、
わしもそれなりに気合が入っているし、
不動産屋さんやさんの指示も入っているので、
仕事とアートの合間を縫ってスケジュールを消化していくのは苦ではない。
登場する様々な職業の人たち(ほぼ総じて、おじさんたち)を、
多少の緊張感を伴いながら観察するのも、社会勉強として楽しい。
というか一戸建てへの引っ越しに際しては、
哲学、社会学、様々に勉強になり、
わしの人生観も若干変化した。

最後の決済というのは、平日に司法書士と売主と不動産屋さんやさんやさんの集まる多少きちっとしたもので、
話の後に、わしは銀行に移動し、
いろいろな都合でデスクを借りられないので、
記帳台にて、様々なところにお金を振り込むためのたくさんの伝票を書いた。
わしは今まで、杉原千畝の仕事について、
今一つリスペクトを払っていなかった。
何か発明したとか、すごい場所に行ったとかでなく、
机に座ってビザ書いただけやん、
と思っていた。
しかしこの決済によって、わしは杉原千畝の凄さを知ることとなる。
間違えないように、細心の注意を払いながら、
たくさん伝票を書き込み続けるということの、大変さたるや。
筆記の身体的負担に、金額が動く事実の重さが加わる。
多少気合の入っているわしでも、これは堪えた。
短期間に数千人のビザを書いたわけでしょ、
すごいよ、杉原千畝は。
バンテリンも、ピップエレキバンも無い時代にさ。

何はともあれ、これにより、
わしはついに鍵を受け取り、
かの一戸建てはわしの物になった。
わしはこの場所の王である。
昨日は、ガス屋さんが開栓に来るということで、
しかし来るかもしれない時間が2時間ほど幅があるため、
わしはほとんど何もない新居で待機した。
暖房もない我が家で、暖かい場所を探し、
二階のシャッターを開けて陽を取り込んだ床で、
職場で学校行事の委員長をしていたために消耗した体を横たえ、
わしは30分ほど、よだれを垂らして仮眠した。

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by syun__kan | 2017-02-27 21:35 | 日記 | Comments(0)

ローンとコーヒーと時空

一杯のコーヒーが飲みたいとします。
例えばスターバックスコーヒーでトールサイズを買ってしまうと、340円かかるわけです。
これを毎日、一か月飲んだら、1万円以上になってしまうわけで、
そんな大金は固定資産税分として取っておかなくてはならないのです。

ミスタードーナッツで飲めば、もう少し安くなるし、
おかわりも自由です。

しかしそもそも、お店の中で飲まなくとも、
自動販売機で缶やペットボトルを買えば、もっと安いです。
同一商品でも、スーパーマーケットに行けばさらに安いです。
100円前後で買えるでしょう。

コンビニに行けば最近は、ドリップコーヒーのSを100円で飲めます。

しかしやっぱり、おうちで飲めばもっと安いです。
インスタントコーヒーを淹れましょう。
ああでも、一本一本のスティックになってるやつは、まだ高いです。
一杯数十円といったところでしょうか。
ペーパードリップもけっこう安いと思いますし、
何といっても顆粒が瓶に入っている、いわゆるインスタントコーヒーは、
一杯10円もかからないはずです。

もっと言ってしまえば、職場とかにある共用のお茶・コーヒーセットか何かを利用すれば、
ほとんど無料です。

しかしそのお茶・コーヒーセットを自分ばっかり飲みまくっていては、
やはり周囲の目が痛いわけです。
そのようなときは、江戸時代を想像します。
文明開化前、コーヒーの普及はまだ先でした。
飛脚が走っているわけです。
「てやんでい」と言っています。
喉が渇きました。
コーヒーなどありません。ましてやお茶もないのです。
どうするか、飛脚?!
飛脚は沢の水を飲みました。
「うめえや、ちくしょう」
そう言って走り出します。
飛脚の生活は、コーヒーなどなくても充実しているのです。
幸せなんて結局、比較論なのです。
周囲にコーヒーなど存在しているから、
世の中がコーヒー・ビジネスで溢れているから、飲みたくなっちゃうのです。
コーヒーなんて無い世界に身を置いたらいいんです。
そのようにして私の意識は時空を超えます。
私は飛脚。
私は足軽。
私は兵馬俑。
私はパラサウロロフス。
そのうちに私の意識は、幼いころの記憶に着地します。
幼稚園の園庭で遊んでいる私、
砂場で泥水を作ったときは、いつも「コーヒーみたい」と思ったんだ…
桜の木には、梅雨時期に毛虫が発生し、
昆虫好きの友達がそれを「毒モーラー」と呼んでいたので、
先生たちも含め、みんなそれを「毒モーラー」と呼んでいたんだ…
「そこに毒モーラーいるから気を付けて」
という感じで。
毒モーラー、毒モーラー。

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by syun__kan | 2017-02-06 23:10 | 日記 | Comments(0)

前橋の美術

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アーツ前橋において、
前橋にゆかりのあるアーティスト48人の作品が集った展覧会、
「前橋の美術2017 ~多様な美との対話~」
が開催されています。

わしは「サンダーストーム・チャイルド」を出品しています。
お近くの方はどうぞ。

【会期】 2017年2月3日(金)~2月26日(日) 21日間
【開館時間】 11:00~19:00(入場は18:30まで)
【休館日】 水曜日
【会場】 アーツ前橋(群馬県前橋市千代田町5-1-16)

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by syun__kan | 2017-02-05 21:47 | 日記 | Comments(0)

こんぺい

小さいころ、「笑点」という番組をよく見ていた。
落語家が横一列に並ぶ。

左端に、きれいな深いブルーの着物を着た「えんらく」が座る。
彼は司会者であった。
まず、えんらくさんがかしこまった挨拶をする。

次に、その横の「こゆうざ」が挨拶をする。
彼は水色の着物を着ていて、貧乏で恐妻家のキャラクターであったと思う。

次に、ピンクの着物の「こうらく」が挨拶をする。
彼は比較的キャラが薄い。
小さいころのわしには、そう感じられた。

次に、黄色い着物の「きくぞう」が挨拶をする。
きくぞうさんは、ラーメン店を経営している。

次に、鶯色の着物の「うたまる」が挨拶をする。
彼は痩せぎすであった。

次に、紫の着物の「らくたろう」が挨拶をする。
彼は、インテリなキャラクターなのか、少し難しい話をする。

最後に、オレンジの着物の「こんぺい」が、開口一番、
「あたしにはそういう難しいことはよく分からないんですけど…」
と述べ、観客が笑う。

問題はここである。
今思うと、こんぺいの言う「そういう難しいこと」とは、
直前のらくたろうの挨拶を指しているのであるのだが、
小さいころのわしは、
「こゆうざ」~「らくたろう」全ての挨拶に対して述べられていることだと思っていた。
だって小さいころのわしには、大人が大人の言葉で大人のスピードで話している内容は、
基本的に理解の範疇を超えていたからだ。
「こゆうざ~らくたろう」は、全員何言っているか分からんかったのである。

それに対し、「こんぺい」の言うことは理解できた。
「そんなものはね、全部まとめて、食っちまえばいいんです!!チャラーン!!こんぺいでーす!!」

全部まとめて食う!この分かりやすさ!

だから小さいころのわしは、
「こんぺいふつうにおもしれーな」と、こんぺいさんを評価していた。

しかし、小学校低学年を経て小学校中学年くらいになってくると、
まず、きくぞうさんの言うことも理解できるようになった。
次第に、「こゆうざ~うたまる」の言うことは、大抵理解できるようになり、
「そういう難しいこと」は、「らくたろう」の挨拶のみを指していることに気付く。

つまり何が言いたいかというと、子どもたちは、
「こんぺいレベル」の話しか理解できない世界で生きているということだ。
もし周囲の大人たちが、何も配慮しなければ、
全然理解できない内容がわーわー飛び交う世界が、彼らの生活になる。
それは不本意なものだろう。

だから大人は、子どもと接するときは、「こんぺいレベル」を心がけるべきである。
すなわち、「全部食う」といった内容だ。
食う。
この、生命維持に最も不可欠な、非常に根源的な行為こそ、子どもという小宇宙の中心に響くのである。

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by syun__kan | 2017-02-01 00:06 | 日記 | Comments(0)