カテゴリ:日記( 513 )

私とマイナスドライバー

マイナスドライバーは、ふだんあんまり使わない。
マイナスドライバーを使ってネジを締めた経験は、ほんの数えるくらいしかない気がする。
でも、プラスドライバーを探していて、引き出しや工具入れの中から、
マイナスドライバーをつかみとり、
「惜しいなあー、これじゃないんだよ」
と思った経験は、何度もある気がする。

書きたいことはこれで終わってしまった。

マイナスドライバーについての話題は、これ以上、自然には、広がらなかった。

むりやり広げてみよう。

なにしろ、マイナスドライバーは、本来の「ネジを締める」という役割よりも、隙間に差し込むことで何かを「こじ開ける」ために使われることが多いのだから。

「広げたい」みたいに、何か「○○したい」という欲求を形にするには、
「型」が便利だ。
例えは俳句の五七五。
マイナスドライバーで俳句を作ればいい。

★遠足に マイナスドライバー 持ってかない

短歌も作れるのではないか。

★先っぽが 毛だらけなのは 歯ブラシで 平べったいのは マイナスドライバー

歌も作れるだろうか。

★持つところは樹脂・・・

歌は作れなかった。まあそれもいいだろう。
文章は、長く書けばいいってもんじゃないのだから。

「先生!書かないという手は無かったんですか?」
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by syun__kan | 2008-08-30 16:30 | 日記 | Comments(0)

私とクラウザーさん

7月上旬、通勤中のコンビニで、「デトロイト・メタル・シティ」のポスターを見る。
そこには、「僕がしたかったのは、こんなバンドじゃない!」「おしゃれポップが歌いたい!」というキャッチコピーが書かれていた。
おしゃれなポップスを歌いたい主人公が、何かの因果でメタル系のバンドになってしまう話であることはすぐにわかった。
主演と思われる人は、キムタクとか、そういうわしの知っている人じゃなかった。
デトロイトと書かれているからには、アメリカで話が進むのだろうと思った。

7月中旬、西武池袋線の電車内に「デトロイト・メタル・シティ」の中吊り広告が貼ってあった。
ここで、この映画は漫画が原作であることを知る。
映画の公開にあわせて、CDが発売されることも知った。

7月下旬、西武池袋線の池袋駅改札を出たら、「デトロイト・メタル・シティ」のポスターが、天井からおびただしい数で吊り下がっていた。
ポスターには、「クラウザーさーん!クラウザーさーん!クラウザーさーん!」と、3回書いてあった。
ということは、おびただしい数×3回「クラウザーさーん!」という文章を見たことになる。

8月上旬、羽田空港に角川文庫かなにかのポスターがいっぱい貼ってあった。
そこには、すごい男前の役者さんがキメ顔を作っていて、
「自分の頭で考えろ」「言いたい奴には言わせておけ」とか、挑発的でかっこいいキャッチコピーが書いてあった。
すると、いっしょにいたHさんが、この役者さんが「デトロイト・メタル・シティ」の人だよ、ということを教えてくれて、びっくりした。
男前を、オカッパ頭にして「おしゃれポップが歌いたい」の感じにして、フェイスペイントしてメタルな感じにしていたのか。

8月中旬、映画館にポニョを見に行って、「デトロイト・メタル・シティ」の予告編を観ることになる。
いっしょにいたHさんは、「松雪泰子が出てるから観たい」と言っていた。
どうやら話は、デトロイトではなく日本で進むらしいことを知る。

別の日に、池袋パルコの別館に言ったら「デトロイト・メタル・シティ」のコーナーができていて、
ポスターや、映画のシーンの写真や、原作の漫画が展示されていた。
ここでは、監督の存在に思いを馳せた。
ポスターには、主演の俳優さんの名前や、加藤ローサの名前は大きくクレジットされていて、
監督の名前は、その10分の1くらいの大きさだった。
この監督は、ほんとにこの映画を撮りたかったのかしら?
おそらく、監督が発案した企画ではないだろう。
誰か別の人が、「男前をオカッパにしたり、フェイスペイントしたりして、漫画やCDと連動して、いろんなキャンペーンを組んで、お客さんを呼ぼう」という案を出して、
企画が進んで行ったんだと推測する。
監督は、雇われただけな気がする。
自分の撮りたい映画を撮れる、岩井さんとか中島さんとか井筒さんとかビートさんとかっていうのは、ほんの一握りの存在なんだろうなあ。
友達の三宅は映画監督を目指しているけど、一握りの存在になれるのだろうか。

タワーレコードは「デトロイト・メタル・シティ」とタイアップしているようで、
セールのキャラクターがクラウザーさんだった。
クラウザーさんが新宿のタワレコの街頭スクリーンで、
「半端なセールなら潰してやる!」と吠えている。
なんだか、うんざりしてしまった。観ていないけど、飽きてしまった。

このあいだ、池袋に行ったら、「デトロイト・メタル・シティ」を上映している映画館に長蛇の列ができていた。
こうしてクラウザーさんは、私の体を駆け抜けていった。
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by syun__kan | 2008-08-26 20:53 | 日記 | Comments(0)

明るい夜に出発だ

去年の5月に、絵本を描こうとして構想を練りながら、
文章を書いたんだ。
結局絵本は描かなかったけど、文章は残ってるから、
もったいないのでここに載せよう。


「明るい夜に出発だ」

七月の雨が三日続けて
じとじとじとじと降り続く
外の景色が雨で見えない
今日は先生が魔女に見える
ななめの雨は傘では防げず
くつとくつ下が重くて冷たい
いつもは動かないはずのバス停が
今日は私についてきたんだ
ゴミ捨て場のバケツのふたが
雨に叩かれてバチバチバチバチ
音にのせられてゴミたちも
ガラガラユラリと立ち上がる
オリの中にはシベリアンハスキー
雨でにおいを倍増させて
鉄の格子をぐにゃりと曲げる
うんこといっしょに寝るのはもうやだ
みんな私についておいでよ
一緒に帰ろう通学路
横断歩道がブリッジしてる
ごろごろ転がるガスタンク
もっと明るく光れ信号機
道路がめくれて立ち上がる
雨はきらいだもう止んでおくれ
かがやけ夕日街をかわかせ
二酸化炭素を酸素に変えて
見てわかるくらい育て植物

ついたよここが私の家です
たくさんの家がかさなった家
401のカギを開けたら
窓の外には虹が出ている
むし暑い空気を追い出すために
どの部屋もエアコン全開だ
まわれ!エアコンの室外機
すべての部屋の室外機!
まわれまわれまわれまわれ
まわれまわれまわれまわれ
みんなが本気を出しさえすれば
このマンションは飛べるはず
いくぜどこかへオーバーザレインボー
明るい夜に出発だ
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by syun__kan | 2008-08-24 19:33 | 日記 | Comments(0)

「生きる力」を発揮しちゃったかもしれない

トイレと風呂と洗面所。
このお三方の組合せは、住居選びの際に重要である。
または、ステイタスである。

当然、すべてが別々になっていたほうが、グレードの高い物件であるといえる。
学生時代に住んでいた物件は、このお三方がすべて同時に存在していた。
いわゆるユニット・バス・トイレ・ルームであった。

働いてからの物件は、「せめて風呂トイレ別々で!」という願いを込めて、
古いけれど風呂トイレが別々の物件を選んだ。

しかし住み始めて気づいたのだが、この物件には洗面所がなかった。

(洗面所とは、主に歯磨きと洗顔をするための水道、及び洗面台である)

もちろん、料理をするための水道と流し台はある。
しかし、歯磨きと洗顔に適したサムシングが、この家からは欠けていた。

仕方ないのでいつも流し台で歯磨きをしていた。
もう住み始めて一年半になる。

ところで今日は、東急ハンズに出かけていた。
2学期の美術の授業で、イーゼルを使用したいと考え、
パネル2枚を蝶番で止め合わせた、簡易的なイーゼルを作るための材料を買いにいっていたのだ。

2学期には、美術の時間に造形遊びを取り入れたいと考えている。

造形遊びとは、昭和52年から小学校低学年の図工に、平成元年からは中学年の図工にも取り入れられるようになった活動で、
それまでの、完成した作品のみを評価する「作品主義」の授業に対するアンチテーゼとして、
遊びを通して子どもの生き生きとした表現を取り戻し、また教師に意識改革を迫る目的で取り入れられた。

この活動では、従来のように「一人が一作品を仕上げる」のではなく、
例えば大勢で大きな紙に自由に絵を描いたり、
校庭にある木や石などの自然物を使って並べたり見立てたりしながら「遊ぶ」中で、
それぞれが内面活動を活発にする。

「こういうものを作らせたい、描かせたい」と教師が思い、
それに向かって子ども達に造形活動をさせるのではなく、
何をどうしたいか、遊ぶ中で子ども達が自ら発見していくのだ。

そこでは、完成した「作品」ではなく、子どもがどのように考え、感じながら素材に関わったかという、「過程」が授業の評価の対象になる。

(わしが小学校のころはすでに始まっていたはずだけど、
そういう「造形遊び」、やらなかったなあ・・・)

世の中を生きていく上で、「答えのある問題」よりも、「答えのない問題」のほうが、多くぶつかる気がする。

「答えのない問題」にぶつかった場合、人間は自分の価値観や、人生観、美意識で判断し、
どうするべきかを決めなくてはならない。

だから、「答えのない問題」にぶつかった時に必要になる、価値観、美意識を育てるためにも、図工や美術は大切なのだ。

数学や国語みたいに、答えが決まっていないのが図工、美術だからね。

そういう力が、何年か前に文部科学省が「ゆとり教育」によって打ち出そうとした「生きる力」なのだと思う。

わしは「ゆとり教育」「生きる力」賛成だよ。

東急ハンズをうろつくうちに、自分のうちに洗面所を作りたくなってきた。
うちの風呂には、なぜか水道が二つあるのだ。
このうちの一つを使えば、風呂場の中に洗面所を作れるかもしれない。

そう思って、いろいろ検討を重ね、

・ろうと
・角度が変わるシャワースタンド
・ホース

を購入した。
家に帰ってきて、風呂の蓋を円柱状に丸め、その上にろうとを固定し、
水道とろうとにホースを挿し、
小型の洗面所を作ることに成功した。
水道の水がホースを通ってろうとに流れ出し、ろうとの下に付いてるホースをつたって、風呂桶の下の排水溝に流れこむ。
f0177496_1646445.jpg

我ながら、秀逸なデザインだ。
極限まで無駄を省いた、マルセル・マルソーの信念を具現化したような究極的なミニマリズムだ。

こういうのを発想し、実行する力が、生きる力なのではないだろうか??
なんちゃって。

しかしこれが本当に生きる力が発揮された具体例だとしたら、
やっぱり、ゆとりは必要なのだろう。
なにしろ、今が夏休みだから思いついた、というか、やる気になったことだ。
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by syun__kan | 2008-08-17 17:27 | 日記 | Comments(0)

屋久島に行ってきた。

遠かった。
電車、飛行機、船、バス、あらゆる乗り物に乗って、やっと着いた。
行った日は、鹿児島実業が甲子園で勝っていたので、鹿児島の人たちは機嫌がよかった。
天気雨だった。
一日を通して、雲が本当にきれいだった。
ウミガメの赤ちゃんが、卵からかえって、
砂浜から出てきて海に入っていくところを見学するツアーに参加した。
月明かりの下、みんなで砂浜にたたずんで、
カメを探すのは、とても不思議な雰囲気があった。
カメはとても小さくて、テケテケテケと、真っすぐに海に入っていった。
かっこよかったよ。
灯台のふもとに立った。
灯台は水平線を照らすので、ふもとに立つと、光の軌道に包囲されるんだ。
星もとてもきれいだった。
詩的すぎて、詩なんか書く気にならないかんじだった。
森に入ったり、山に登ったりもした。
木が、生えては腐り、コケが生えて、また木が生えて、大きくなって、倒れて腐って、コケが生え、
それを延々えんえんと繰り返している感じだった。
要するに、詩的すぎて、詩を書く気なんて起きない感じだったよ。
よく歩いた。自分がまだこれだけ歩けるということに安心したよ。
野生の鹿をたくさん見た。
鹿はかわいい。
鹿肉の刺身を食べた。
鹿は食べてもうまい。
屋久島の人は色黒だった。子どもは特に人種を超えるくらい焼けていた。
黒さはある種のステイタスで、白いとなめられる感じだった。
暗黙の屋久島ルール、島の人独特のカタさ、にらみつけるようにして観光客をさばく。
もちろん優しい人もたくさんいる。
帰る日は、鹿児島実業は甲子園で負けていて、
鹿児島は不穏な空気に包まれていた。(ウソ)
鹿児島名物の白熊は時間がなくて食べられなかったんだ。
屋久島はすごく癒された。また行きたいなあ。
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by syun__kan | 2008-08-16 08:33 | 日記 | Comments(0)

オリンピックの開会式を観た!

生徒が夏休みなので、テレビを見る機会も増え、
「ポニョ」とか、時事的なことにも圧倒的にくわしくなってきた。

オリンピックすごいんだねー。
わしはスポーツまるでだめおなので、
(高校の時、体育の時間の最後にサッカーのリフティングをやらされて、
10回できたら教室に戻っていい、と先生に言われたのだけど、
わしはもちろん見事に、できなかったよ。
一緒に残った5人の友達と、スポーツだめレンジャーと名乗ったものさ)
だからスポーツの祭典であるオリンピックはあんまり興味がなかったのだけど(失礼)

オリンピックは芸術の祭典でもあったんだね。
でっかい地球に、横向きに人が走ってたり、ランナーが突然飛んだり、
足跡の形の花火があがったり、
どぎもを抜かれっぱなしだったよ。

地面から地球が出てきたり、民族衣装の子ども達、空を飛ぶ宇宙飛行士、
なんとなく、90年代のマイケル・ジャクソンのステージ演出っぽくもあった。
(ファンしかわからないと思うけど・・・)
http://jp.youtube.com/watch?v=jCma5VvMCXg&feature=related
あそこでなんとなくマイケルの登場を思い浮かべてしまったのは私だけではないはず。

「パオ!」

紙の発明、毛筆から印刷へ、歴史を辿っていたのがおもしろかったなあ。
最後は聖火台まで巻物のイメージで。
そう、紙が発明されて、さらに活版印刷が発明されたことで、
情報が伝わりやすくなったり、残しやすくなったりして、
ものすごくいろんな発展につながったんだよね。

ダンサーが踊りながら地面に絵を描いたり、
入場してきた選手が足の裏に色つけて紙の上を歩いて絵を描いたり、
造形遊びみたいだった。
ちょうど2学期、足の裏で絵を描く造形遊びをやろうと思っていたのだよ。
わしが勤めている学校では総合学習の授業で紙を作ったりもするし、
なんだか授業に還元できるネタがちりばめられていた気がする。

入場してくる選手の衣装を見たり、全然知らない国の名前をたくさん聞いたり、
やっぱり人々、特に子どもたちにとっては視野を広げるすごくいい機会なんだね。

開会式は、芸術の力がめいっぱい発揮されてた。
芸術は、平和への道筋を理論的に考え出すことはできない。
理論的に「どうすればいいか」なんていうことは示さない。
作り出すのは、「雰囲気」だけだ。
ジョン・レノンの「イマジン」をとってみてもそうだ。
でも雰囲気をつくることは、むだではない。人は雰囲気で動くから。

東京でオリンピック、もしやるなら、
開会式の演出は誰がやるんだろう?
オリンピックは、スポーツ得意な人だけ目指すことができるイベントじゃなかったね。
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by syun__kan | 2008-08-09 14:10 | 日記 | Comments(0)

「ポニョ」を観た!

いやー、おもしろかった。
途中何度も泣き、見終わった後も涙がポロポロ出ていた。
というのも、映画が始まる前に、
「パコと魔法の絵本」の予告編を見た時点ですでに泣いていたから、
涙腺が緩んでいたのだ。
見終わって冷静になってみると、
疑問点もポロポロ、ポロポロ、ポロポロ、ポロポロと出てきて、
いっしょに見ていた人と、小一時間議論を。

お互いジブリ作品に対する思い入れの強い世代なので、どれだけ語っても足りない、一晩でも語れそうだった。

とにかく、面白くても面白くなくても、これだけ「語れる」ということ自体がとても面白い。
エンターテイメントソフトの最大の価値は、「語れる」ということだ。

いろいろな見方があるだろうし、
これから半永久的に様々にいろいろなことを言われ続けるであろう作品なので、
わしがブログに突っ込んだ感想を書くことないのかもしれないけど、
やっぱり、わしとしては、普段テレビなんかのエンターテイメントの舞台からは隠されてるデイケアセンターや動けなくなったお年寄りなんかを、表舞台に引っ張り出すことは、やっぱり価値があると思った。

わしなんかは、教員免許取得のための教職課程で、二十歳を過ぎて初めて社会福祉施設のことを学んだし、
それまでは、たとえば知的障害の知識もまるでなかったから。
老人ホームへ足を踏み入れたのも、全部二十歳を過ぎてから。
自分たちの生活のすぐかたわらに、いろんな在り方をしている人たちがいることをうすうす感づきながら、
向き合うことがなかったのは、やっぱりそれらの世界が隠されているというのも一因なんだと思う。
あるいは、わしを教育した小学校なり中学校なりは、そういう機会を設けるべきだったのかもしれないし。
とくに今の子は、おじいちゃん、おばあちゃんといっしょに暮らしてない人も多いからねえ。
(わしもそうだった)
世界はそれほどスムーズでもきれいでもないということは、知っていないといけない気がする。

主人公がポニョを受け入れるリスクが書かれていなかったのは、少し物足りなかったような。
半魚人としてのポニョが、障害者のメタファーだと思うのは、考えすぎかしら?
でも、リロ・アンド・スティッチのスティッチの家の中での暴れっぷりとかは、
なんだか自閉症っぽい気がする。
わしなんか、ただの新米教員なので、分かりきったことなんか言える立場ではまったくないし知識も経験もないけど、
ディズニーとか、ジブリとかの最前線の人たちが、そういうのを盛り込もうとしているとしたら、
よくわからないけど、やっぱりそれはいいことだと思う。

ドラえもんみたいに、父と母の関係、「家」という土台がしっかりしていなくて、
なんだかすごく現実的に描かれていたのも、スティッチと共通して、現代的だなあと思ったよ。

話があんまりまとまってなくて、いろいろ未解決のまま終わったのは、
宮崎駿さん一個人の頭の中から生まれてくる物語だからなのだろう。
それに対して、ディズニーとかの映画は、話が100パーセント完結するし、伏線も全部結実する。
それらの作品は、一個人から出たというより、複数の人が会議しながら話を練り上げて作ってるようなイメージがある。

とはいえ、むかしのトトロとか、魔女宅とかはちゃんと100パーセントまとまってたから、
このところの宮崎さんは、わざと話をまとめていないか、まとめることを重要視していないか、まとめる力がなくなったのか、どれかなのだろう。

映画を見ていた同じ時間に、NHKの「プロフェッショナル」では、
宮崎駿さんの特集をやっていたらしい。
見たかったなあー!
あの方がどんな姿勢で何を考えて制作に取り組んでいるかは、すごく気になる。
なにしろ、ポニョはめっちゃくちゃかわいかったのだ。
自らのインスピレーションで日本中を楽しませ、語らせる宮崎さんは、
間違いなく雲の上のそのまた上の、あこがれの大魔法使いだ。
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by syun__kan | 2008-08-07 00:01 | 日記 | Comments(0)

最近のつぶやき

「芸術新潮」の8月号に、作品の写真が載っています。
考えてみれば、美術関係の雑誌にのっけてもらったのは初めてです。
表紙は北京、内容も大方北京の特集でした。

それが宣伝になったのか、NHK「デジスタ」を制作している方より「応募しないか」という打診が・・・。
準備期間がないこと、展示終了後すぐに作品を処分してしまって、出せる作品が手元にないことなどを理由に、
残念ながら今回は出品しないことにしましたが、
それにしてもわしの作品まったくデジタルではないよなあ・・・。

と思ったら今度は「誰ピカ」を制作しているところからメールが・・・
まだ詳しくお話しは聞いていなくて、あした電話をかけてみるけど、
アートバトルへの応募の誘いなのかな??

しかし収録する日として伝えられたのは2学期始まってからの平日なので、
夜でない限り難しそうです。

うむむ。学生のころなら時間も豊富だったので喜んで参加するのになあ・・・。

21世紀人展が終わり、それに関するムーブメントも一段落ついたので、
あらためて、「自分は何ができて、何ができないのか?」「表現者として、観てくれる人に何を提供できるのか?」を考えてしまう。

プリンスは、歳とって踊れなくなっても、ギターをはじめたくさん楽器が弾けたので、
そっちに重点を置くことでライブ活動を継続できています。

マイケル・ジャクソンは、ステージでは「歌うこと」と「踊ること」のみに特化した天才だったので、
歳を取って踊れなくなったら、ライブができなくなってしまった。

マドンナさんは、自分を鍛えることがライフワークのような人なので、
歳を取っても踊れる。

わしは新聞を丸めて大きなものを作るしか、表現者としては提供できないなあ。
「デジスタ」「誰ピカ」とか、テレビに出たところで、何ができるというんだ?

これまで絵本描いたり、踊ったりはしてきたけど、それらはまだ学生レベルというか、
世の中に対して思いっきりアピールできるものでは全くない。
それらを突きつめ、「世の中レベル」に仕立て上げるには、
やっぱり豊富な時間と専念できる頭の中が必要なのだろう。
表現者としての「進化、深化」は、卒業の時点で止まったままなのかもしれない。

この間は三宅感の映画制作をのぞいて、集団でなにかを作るダイナミズムに触れた。
制作の過程自体が「スタンド・バイ・ミー」みたいな、成長物語の映画のようで、楽しさと充実感に溢れていた。
(ちょっとのぞいただけなので、そう感じるのかもしれないけど。ほんとは辛いこともたくさんなのだろう)
とにかく映画は一人では撮れない。
たくさんの人と付き合いながらの制作になる。

おとといは、服飾の専門学校でバックを作ってるガールフレンドの、
制作現場を見学させてもらった。
見たことのない道具やマシンを駆使して、作っているその現場は、
全く未知の世界で、違った文法の言葉を聞いているみたいで、
雰囲気に押されて、緊張して、5分くらいしかいられなかった。
この制作現場では、未知の技法やマシンに対して、しり込みしていては話にならないみたいだった。

自分とは違ったものを作っている、もの作りの現場をのぞくことは、すごく勉強になる。
それぞれすごい説得力があって、自分を省みる機会になる。

ああ!!
ところで!
わしは今日で25歳になったよ。

以前どこかで、
「人間の人格は、25歳までの人生で決まる。
人間的成長は、25歳になったら止まって、あとの人生は、その人格に従っていろんなことを判断するようになる」
というような文章を読んだことがある。(何に書いてあったんだっけなあ?)

それを読んだのは確か18歳くらいのときで、当時は
「そうか、人間は25歳で頭が固まっちゃうのか!
だからおじさん、おばさんは、こっちが何を言っても考えを変えようとしないのか!
どんな出来事を経験しても、それによって自分を動かされることがなく、
自分の価値観でさらりと受け流してしまうのか!」
と、なんだかすごく納得し、同時に
「わしはいつまでも、心を動かされる人でいたい!可変体でいつづけたい!」
と強く思った。

なので、18歳のわしは、自分が25歳になることに対して警戒心を抱くようになったのだが。
「わしは大人になっても、やわらかい頭でいつづけるぞ」みたいな。
実際に25歳になった今、はたしてわしの基本的な人格は、決まっちゃったのかな?

と、最近の自分を省みてみると、
そういえば興味の向く対象が、外界よりも、自分の内側や過去に向くようになった気がするなあ。

夏休みに先立って、海外旅行を計画しようとし、本屋の旅行案内の棚の前に立ったのだけど、
どこにも行く気が起きなかったのだよ。
そのかわりに、「国内の家屋や店、工場なんかのディティールを写真に撮って集めたい」というマニアックな欲望が先行して、そっちを実行することにしてしまった。

昨日神保町で古本めぐりをしたときは、
90年代初頭の、プロレスの写真集を2冊も買ってしまった。
(今はほとんど観ないけど、90年代、小中学生だったわしは、プロレスの熱狂的ファンだった。)

なんとなく、「わしの過ごしてきたこれまでの時間、場所とは、なんだったのか」を、大げさに言えば再検証することが、マイブームになりそうな今日このごろ。

それはそれで、いいのかもしれない。
25歳までは、食材集め。それを過ぎてからは、食材を煮込んで味付けしていく期間なのかもしれない。
そう考えれば、歳を取るのも悪くない。

とはいえ!やっぱり頭はやわらかいままでいつづけるぞ!
軟弱なのは困るけど。柔軟と軟弱は似て非なる。
強くやわらかく。
例えるなら・・・うーん・・・スルメしか思いつかない。
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by syun__kan | 2008-07-31 23:18 | 日記 | Comments(4)

三宅感。

取りに行きたいものがあって、
実家に帰ろうとして家を出たのだけど、
道すがら三宅感の映画制作のお手伝いをすることになり、
東青梅に行ってきた。

★三宅感・・・関口と、予備校、大学で同じ専攻だった友人。
彫刻科に所属していたころから映画監督を志し、クレイアニメや短編映画を制作。
NHKの「デジスタ」で賞を受けるなどの結果も残している。
4年生のころから作り始めた映画を、3年経った今でも制作し続けている。

制作の手伝いは、ずっとしたいなとは思っていたのだが、
この一年半は自分のことで手一杯で、今日やっと顔を出すことができた。

久し振りに会った三宅は、髪がボーボーに伸びて、天然パーマでクルクルして、
ラブセクシーのころのプリンスみたいだった。

東青梅の山道の、倉庫みたいなところで、制作をしていた。
倉庫には、三宅の知り合いの、女の子たちを中心とした手伝いの人たちが、集まってきた。
ガタイの良い男衆も、2、3人いる。

ほんとに、プリンスみたいだ。
プリンスの周りは、ウェンディ、リサ、シーラE、キャット、マイテとか、いつの時代もセクシーな女性のサポートメンバーが取り巻いていた。
その輪の外には、寡黙な感じのメンズが、サックスとかキーボードとかで脇を固めていた。

この集団形式は、表現者が活動を進めていく一つのパターンなのかもしれない。
カリスマの周りに集う、女性と男性。
率いる人と、ついていく人。
集団の方向性を決めるのは、カリスマ一人。
ついていく人は、カリスマのイマジネーションとか、特異性、過剰性に身をゆだねて、その魅力的なプロジェクトの進行に自己投影しているのかもしれない。

三宅は、立派なカリスマだった。
彼は、とても赤裸々な人だ。
エンターティナーであると同時に、自分の弱さも、チンパンジーのお尻のように、いつもむき出しのままだ。

赤裸々であるという事は、私にとっては、不可能なことだ。
私はいつも、何かしら演技しているところがある。
強みも、弱みも、普段は隠していたい人だ。

その点で、三宅とわしはすごく対照的というか、違った人間性を持っていると思った。

むき出しの人と、いつも演技している人。
一緒にいやすいのは、むき出しのひとだと思う。少なくとも、私にとってはそうだ。

いつも演技している人(仲間由紀恵さんとか?)は、その演技を切り崩して奥のほうを垣間見たり、深読みしたりすることは楽しいけど、いつもそんなことしてたら疲れてしまう。

三宅氏の場合、てんこ盛りの特殊性を持っていて、その部分までむき出しなので、
傍らにいて、こんなに面白い人はいない。

彼となら一緒にいい夢を見れる。と、わしは正直に思う。
でも本人は弱さもむき出しなので、サポートせずにはいられなくなるのかもしれない。

プリンスの次には、わしが一番好きな映画、「ブルース・ブラザーズ」を思い出した。
黒スーツにサングラスのジェイクとエルウッドが、自分達の育った孤児院の財政的な危機を救うため、
昔のバンド仲間を集めてライブを開いてお金を集めようとするロードムービー。

昔のバンド仲間は、みんな堅気の商売についているのだけど、
ジェイクとエルウッドの誘いを受け、なんだかんだでツアーに巻き込まれ、
案の定、ギャラの未払いとか、いろいろ振り回される。

最後のほうで、ジェイクとエルウッドは演奏するメンバーを残してトンズラするのだけど、
そのときのドラマーの、
「あ、逃げるの、うん、まあ、いいよ」というニュアンスの笑みがとても良い。

ラストシーンは、ジェイクもエルウッドもメンバーも、みんな刑務所に入っていて、
刑務所の中で「監獄ロック」をワーッと演奏している。
とても楽しそうだ。

そう、カリスマの最高の資質は、
こいつとなら一緒に刑務所に入ってもかまわない、と人に思わせることなのだろう。

・・・とはいえ、私は教員としての立場があるので、そこまでは逸脱できない。
(美術の先生というのは難しい。ロック的な価値観と、公務員的な価値観の間を行ったり来たりしなくてはならない)

なんだかんだで、教員をしながら、こうした美大からの文脈上にある友人の映画制作を手伝えたりするのは、とても幸せなことだ。
普段と違った価値観の世界に身を置くことは、すごくいい刺激になる。これは間違いないと思う。

日本という恵まれた環境の中で生まれ育って、私に苦しみがあったとすれば、
それはカテゴライズされない苦しみ、類似品のいない苦しみだったと思う。
(もちろんそれは同時に誇りでもある)
だからこそ、独自の手法と独自の価値観で身を立てなければならない。
言い換えると、身を立てる上で、手法と価値観を自分で作り出さなくてはならない。
たぶん、三宅氏も、そうだったんじゃないかなーと思う。
だからこそ、「三宅が今何やってんのか」ということは、気になる。
参考にしたいのだと思う。
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by syun__kan | 2008-07-27 23:02 | 日記 | Comments(2)

文化的まどろみ

生徒は夏休みに入ったので、最近は出勤はあるものの、定時に帰ることができます。
昨日は、帰り道に、BOOK OFFに寄りました。
帰り道の途中に(わしは自転車通勤)、
「○○の交差点、左折 BOOK OFF」っていう看板が出ていたので、
行ってみたいなと、ちょっと思っていたのだ。
しかし、忙しく働いている最中だと、
仕事が終わると、どうにかして体力と時間を節約したくて、
寄り道なんてほとんどしてなかった。
道沿いのコンビニとかにはよく寄ったけど、
通勤の道をちょっと外れなきゃいけないところなんて、行く気が、起きない起きない。
道沿いのコンビニでさえ、店の入り口がすぐ道に面してればいいけど、
駐車場が備わってたりすると、それを横切る分の距離がもったいなくて、
めんどくさくなって寄らなかったり。
そんで、家に帰ったら、もう半失神?で、
風呂に入りながら寝ちゃったりとかね。
わしはスポーツに打ち込んだ経験がないからか、フィジカルが、弱いのだ。
疲れやすいのだ。
寒いとすぐに風邪をひくし。
虚弱ソンと呼んでください。(マイケルファンだから)

というわけで、めでたく一学期が終わったので、
元気があれば何でもできる!元気があれば、BOOK OFFにも寄れる。

話は少し飛ぶけど、
大学の時に住んでた京王線の西の果て、「橋本駅」は、
本当に素晴らしかった。
何しろ、
サティ、ダイソー、BOOK OFF、ユニクロ、TSUTAYA、シダックス、ホームセンター、マック、松屋、ケンタッキー、ミスタードーナッツ、映画館、
そういう類の便利な店が、全部揃ってた。
当時はそれが普通だと思っていたけど、
練馬区に住む今となっては、それはとてもレアなことだったのだと気づく。
(練馬区は、町が古いのか、あんまりそういう新しい店はなく、商店街中心の布陣)
あんな便利なところに住みながら、
「橋本ってCD屋がないから不便だよね~」などと、バチあたりなこと言っていました。
若かった。ごめんなさい。

というわけで、ここ練馬区では、新しい店が少ないので、
BOOK OFFに寄ることも、少し貴重な出来事なのです。

大きなガスタンクが5、6個並んだ交差点を折れ、BOOK OFFに到着。
特に当てもなく、品物を見てまわる。

この、脳みそをニュートラルにして本、CDを物色する、
「文化的まどろみ」のような時間が、人生にはとっても貴重なんだろうなあ。と、改めて実感しました。
節目、節目で忙しくない時期が巡ってくる職場でよかった。
文化的まどろみを排除して、一生を過ごせる自信はない。

買ったもの!
★ジャネット・ジャクソンの89年のアルバム「リズムネイション1814」
・・・90年代に軍隊風のダンスを、マドンナもマイケルも取り入れたけど、
元祖はこの、ジャネットのリズムネイション。
この時点では、ジャネットは世界の最先端だったんだね!
19年の歳月を経て、BOOK OFFで250円で売られる。
★プリンスの「ビューティフル・エクスペリエンス」
★橋本真也のDVD
・・・中学の頃、生で見た、群馬県スポーツセンターの越中詩郎戦も収録されてる。わしの声援が入ってるかもしれない。
★工作の本
★83年のマルセル・マルソーの日本公演のパンフレット(美品)
・・・人の一生を3分で表現するパントマイムの神様。数年前に亡くなった。
25年前の公演のパンフレット、どういうわけか、歳月を経て、BOOK OFFで105円で売られる。関口に買われる。
★世界のCMフェスティバル
・・・世界中のCMを100本集めたDVD。まだ観ていないけど、面白そー!!

しめて3千円くらいの買い物でした。
「ブルース・ブラザーズ」と「パープル・レイン」のDVDも気になったけど、またの機会にします。
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by syun__kan | 2008-07-24 20:14 | 日記 | Comments(1)