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私とマイナスドライバー

マイナスドライバーは、ふだんあんまり使わない。
マイナスドライバーを使ってネジを締めた経験は、ほんの数えるくらいしかない気がする。
でも、プラスドライバーを探していて、引き出しや工具入れの中から、
マイナスドライバーをつかみとり、
「惜しいなあー、これじゃないんだよ」
と思った経験は、何度もある気がする。

書きたいことはこれで終わってしまった。

マイナスドライバーについての話題は、これ以上、自然には、広がらなかった。

むりやり広げてみよう。

なにしろ、マイナスドライバーは、本来の「ネジを締める」という役割よりも、隙間に差し込むことで何かを「こじ開ける」ために使われることが多いのだから。

「広げたい」みたいに、何か「○○したい」という欲求を形にするには、
「型」が便利だ。
例えは俳句の五七五。
マイナスドライバーで俳句を作ればいい。

★遠足に マイナスドライバー 持ってかない

短歌も作れるのではないか。

★先っぽが 毛だらけなのは 歯ブラシで 平べったいのは マイナスドライバー

歌も作れるだろうか。

★持つところは樹脂・・・

歌は作れなかった。まあそれもいいだろう。
文章は、長く書けばいいってもんじゃないのだから。

「先生!書かないという手は無かったんですか?」
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by syun__kan | 2008-08-30 16:30 | 日記 | Comments(0)

私とクラウザーさん

7月上旬、通勤中のコンビニで、「デトロイト・メタル・シティ」のポスターを見る。
そこには、「僕がしたかったのは、こんなバンドじゃない!」「おしゃれポップが歌いたい!」というキャッチコピーが書かれていた。
おしゃれなポップスを歌いたい主人公が、何かの因果でメタル系のバンドになってしまう話であることはすぐにわかった。
主演と思われる人は、キムタクとか、そういうわしの知っている人じゃなかった。
デトロイトと書かれているからには、アメリカで話が進むのだろうと思った。

7月中旬、西武池袋線の電車内に「デトロイト・メタル・シティ」の中吊り広告が貼ってあった。
ここで、この映画は漫画が原作であることを知る。
映画の公開にあわせて、CDが発売されることも知った。

7月下旬、西武池袋線の池袋駅改札を出たら、「デトロイト・メタル・シティ」のポスターが、天井からおびただしい数で吊り下がっていた。
ポスターには、「クラウザーさーん!クラウザーさーん!クラウザーさーん!」と、3回書いてあった。
ということは、おびただしい数×3回「クラウザーさーん!」という文章を見たことになる。

8月上旬、羽田空港に角川文庫かなにかのポスターがいっぱい貼ってあった。
そこには、すごい男前の役者さんがキメ顔を作っていて、
「自分の頭で考えろ」「言いたい奴には言わせておけ」とか、挑発的でかっこいいキャッチコピーが書いてあった。
すると、いっしょにいたHさんが、この役者さんが「デトロイト・メタル・シティ」の人だよ、ということを教えてくれて、びっくりした。
男前を、オカッパ頭にして「おしゃれポップが歌いたい」の感じにして、フェイスペイントしてメタルな感じにしていたのか。

8月中旬、映画館にポニョを見に行って、「デトロイト・メタル・シティ」の予告編を観ることになる。
いっしょにいたHさんは、「松雪泰子が出てるから観たい」と言っていた。
どうやら話は、デトロイトではなく日本で進むらしいことを知る。

別の日に、池袋パルコの別館に言ったら「デトロイト・メタル・シティ」のコーナーができていて、
ポスターや、映画のシーンの写真や、原作の漫画が展示されていた。
ここでは、監督の存在に思いを馳せた。
ポスターには、主演の俳優さんの名前や、加藤ローサの名前は大きくクレジットされていて、
監督の名前は、その10分の1くらいの大きさだった。
この監督は、ほんとにこの映画を撮りたかったのかしら?
おそらく、監督が発案した企画ではないだろう。
誰か別の人が、「男前をオカッパにしたり、フェイスペイントしたりして、漫画やCDと連動して、いろんなキャンペーンを組んで、お客さんを呼ぼう」という案を出して、
企画が進んで行ったんだと推測する。
監督は、雇われただけな気がする。
自分の撮りたい映画を撮れる、岩井さんとか中島さんとか井筒さんとかビートさんとかっていうのは、ほんの一握りの存在なんだろうなあ。
友達の三宅は映画監督を目指しているけど、一握りの存在になれるのだろうか。

タワーレコードは「デトロイト・メタル・シティ」とタイアップしているようで、
セールのキャラクターがクラウザーさんだった。
クラウザーさんが新宿のタワレコの街頭スクリーンで、
「半端なセールなら潰してやる!」と吠えている。
なんだか、うんざりしてしまった。観ていないけど、飽きてしまった。

このあいだ、池袋に行ったら、「デトロイト・メタル・シティ」を上映している映画館に長蛇の列ができていた。
こうしてクラウザーさんは、私の体を駆け抜けていった。
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by syun__kan | 2008-08-26 20:53 | 日記 | Comments(0)

明るい夜に出発だ

去年の5月に、絵本を描こうとして構想を練りながら、
文章を書いたんだ。
結局絵本は描かなかったけど、文章は残ってるから、
もったいないのでここに載せよう。


「明るい夜に出発だ」

七月の雨が三日続けて
じとじとじとじと降り続く
外の景色が雨で見えない
今日は先生が魔女に見える
ななめの雨は傘では防げず
くつとくつ下が重くて冷たい
いつもは動かないはずのバス停が
今日は私についてきたんだ
ゴミ捨て場のバケツのふたが
雨に叩かれてバチバチバチバチ
音にのせられてゴミたちも
ガラガラユラリと立ち上がる
オリの中にはシベリアンハスキー
雨でにおいを倍増させて
鉄の格子をぐにゃりと曲げる
うんこといっしょに寝るのはもうやだ
みんな私についておいでよ
一緒に帰ろう通学路
横断歩道がブリッジしてる
ごろごろ転がるガスタンク
もっと明るく光れ信号機
道路がめくれて立ち上がる
雨はきらいだもう止んでおくれ
かがやけ夕日街をかわかせ
二酸化炭素を酸素に変えて
見てわかるくらい育て植物

ついたよここが私の家です
たくさんの家がかさなった家
401のカギを開けたら
窓の外には虹が出ている
むし暑い空気を追い出すために
どの部屋もエアコン全開だ
まわれ!エアコンの室外機
すべての部屋の室外機!
まわれまわれまわれまわれ
まわれまわれまわれまわれ
みんなが本気を出しさえすれば
このマンションは飛べるはず
いくぜどこかへオーバーザレインボー
明るい夜に出発だ
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by syun__kan | 2008-08-24 19:33 | 日記 | Comments(0)

「生きる力」を発揮しちゃったかもしれない

トイレと風呂と洗面所。
このお三方の組合せは、住居選びの際に重要である。
または、ステイタスである。

当然、すべてが別々になっていたほうが、グレードの高い物件であるといえる。
学生時代に住んでいた物件は、このお三方がすべて同時に存在していた。
いわゆるユニット・バス・トイレ・ルームであった。

働いてからの物件は、「せめて風呂トイレ別々で!」という願いを込めて、
古いけれど風呂トイレが別々の物件を選んだ。

しかし住み始めて気づいたのだが、この物件には洗面所がなかった。

(洗面所とは、主に歯磨きと洗顔をするための水道、及び洗面台である)

もちろん、料理をするための水道と流し台はある。
しかし、歯磨きと洗顔に適したサムシングが、この家からは欠けていた。

仕方ないのでいつも流し台で歯磨きをしていた。
もう住み始めて一年半になる。

ところで今日は、東急ハンズに出かけていた。
2学期の美術の授業で、イーゼルを使用したいと考え、
パネル2枚を蝶番で止め合わせた、簡易的なイーゼルを作るための材料を買いにいっていたのだ。

2学期には、美術の時間に造形遊びを取り入れたいと考えている。

造形遊びとは、昭和52年から小学校低学年の図工に、平成元年からは中学年の図工にも取り入れられるようになった活動で、
それまでの、完成した作品のみを評価する「作品主義」の授業に対するアンチテーゼとして、
遊びを通して子どもの生き生きとした表現を取り戻し、また教師に意識改革を迫る目的で取り入れられた。

この活動では、従来のように「一人が一作品を仕上げる」のではなく、
例えば大勢で大きな紙に自由に絵を描いたり、
校庭にある木や石などの自然物を使って並べたり見立てたりしながら「遊ぶ」中で、
それぞれが内面活動を活発にする。

「こういうものを作らせたい、描かせたい」と教師が思い、
それに向かって子ども達に造形活動をさせるのではなく、
何をどうしたいか、遊ぶ中で子ども達が自ら発見していくのだ。

そこでは、完成した「作品」ではなく、子どもがどのように考え、感じながら素材に関わったかという、「過程」が授業の評価の対象になる。

(わしが小学校のころはすでに始まっていたはずだけど、
そういう「造形遊び」、やらなかったなあ・・・)

世の中を生きていく上で、「答えのある問題」よりも、「答えのない問題」のほうが、多くぶつかる気がする。

「答えのない問題」にぶつかった場合、人間は自分の価値観や、人生観、美意識で判断し、
どうするべきかを決めなくてはならない。

だから、「答えのない問題」にぶつかった時に必要になる、価値観、美意識を育てるためにも、図工や美術は大切なのだ。

数学や国語みたいに、答えが決まっていないのが図工、美術だからね。

そういう力が、何年か前に文部科学省が「ゆとり教育」によって打ち出そうとした「生きる力」なのだと思う。

わしは「ゆとり教育」「生きる力」賛成だよ。

東急ハンズをうろつくうちに、自分のうちに洗面所を作りたくなってきた。
うちの風呂には、なぜか水道が二つあるのだ。
このうちの一つを使えば、風呂場の中に洗面所を作れるかもしれない。

そう思って、いろいろ検討を重ね、

・ろうと
・角度が変わるシャワースタンド
・ホース

を購入した。
家に帰ってきて、風呂の蓋を円柱状に丸め、その上にろうとを固定し、
水道とろうとにホースを挿し、
小型の洗面所を作ることに成功した。
水道の水がホースを通ってろうとに流れ出し、ろうとの下に付いてるホースをつたって、風呂桶の下の排水溝に流れこむ。
f0177496_1646445.jpg

我ながら、秀逸なデザインだ。
極限まで無駄を省いた、マルセル・マルソーの信念を具現化したような究極的なミニマリズムだ。

こういうのを発想し、実行する力が、生きる力なのではないだろうか??
なんちゃって。

しかしこれが本当に生きる力が発揮された具体例だとしたら、
やっぱり、ゆとりは必要なのだろう。
なにしろ、今が夏休みだから思いついた、というか、やる気になったことだ。
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by syun__kan | 2008-08-17 17:27 | 日記 | Comments(0)

屋久島に行ってきた。

遠かった。
電車、飛行機、船、バス、あらゆる乗り物に乗って、やっと着いた。
行った日は、鹿児島実業が甲子園で勝っていたので、鹿児島の人たちは機嫌がよかった。
天気雨だった。
一日を通して、雲が本当にきれいだった。
ウミガメの赤ちゃんが、卵からかえって、
砂浜から出てきて海に入っていくところを見学するツアーに参加した。
月明かりの下、みんなで砂浜にたたずんで、
カメを探すのは、とても不思議な雰囲気があった。
カメはとても小さくて、テケテケテケと、真っすぐに海に入っていった。
かっこよかったよ。
灯台のふもとに立った。
灯台は水平線を照らすので、ふもとに立つと、光の軌道に包囲されるんだ。
星もとてもきれいだった。
詩的すぎて、詩なんか書く気にならないかんじだった。
森に入ったり、山に登ったりもした。
木が、生えては腐り、コケが生えて、また木が生えて、大きくなって、倒れて腐って、コケが生え、
それを延々えんえんと繰り返している感じだった。
要するに、詩的すぎて、詩を書く気なんて起きない感じだったよ。
よく歩いた。自分がまだこれだけ歩けるということに安心したよ。
野生の鹿をたくさん見た。
鹿はかわいい。
鹿肉の刺身を食べた。
鹿は食べてもうまい。
屋久島の人は色黒だった。子どもは特に人種を超えるくらい焼けていた。
黒さはある種のステイタスで、白いとなめられる感じだった。
暗黙の屋久島ルール、島の人独特のカタさ、にらみつけるようにして観光客をさばく。
もちろん優しい人もたくさんいる。
帰る日は、鹿児島実業は甲子園で負けていて、
鹿児島は不穏な空気に包まれていた。(ウソ)
鹿児島名物の白熊は時間がなくて食べられなかったんだ。
屋久島はすごく癒された。また行きたいなあ。
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by syun__kan | 2008-08-16 08:33 | 日記 | Comments(0)

オリンピックの開会式を観た!

生徒が夏休みなので、テレビを見る機会も増え、
「ポニョ」とか、時事的なことにも圧倒的にくわしくなってきた。

オリンピックすごいんだねー。
わしはスポーツまるでだめおなので、
(高校の時、体育の時間の最後にサッカーのリフティングをやらされて、
10回できたら教室に戻っていい、と先生に言われたのだけど、
わしはもちろん見事に、できなかったよ。
一緒に残った5人の友達と、スポーツだめレンジャーと名乗ったものさ)
だからスポーツの祭典であるオリンピックはあんまり興味がなかったのだけど(失礼)

オリンピックは芸術の祭典でもあったんだね。
でっかい地球に、横向きに人が走ってたり、ランナーが突然飛んだり、
足跡の形の花火があがったり、
どぎもを抜かれっぱなしだったよ。

地面から地球が出てきたり、民族衣装の子ども達、空を飛ぶ宇宙飛行士、
なんとなく、90年代のマイケル・ジャクソンのステージ演出っぽくもあった。
(ファンしかわからないと思うけど・・・)
http://jp.youtube.com/watch?v=jCma5VvMCXg&feature=related
あそこでなんとなくマイケルの登場を思い浮かべてしまったのは私だけではないはず。

「パオ!」

紙の発明、毛筆から印刷へ、歴史を辿っていたのがおもしろかったなあ。
最後は聖火台まで巻物のイメージで。
そう、紙が発明されて、さらに活版印刷が発明されたことで、
情報が伝わりやすくなったり、残しやすくなったりして、
ものすごくいろんな発展につながったんだよね。

ダンサーが踊りながら地面に絵を描いたり、
入場してきた選手が足の裏に色つけて紙の上を歩いて絵を描いたり、
造形遊びみたいだった。
ちょうど2学期、足の裏で絵を描く造形遊びをやろうと思っていたのだよ。
わしが勤めている学校では総合学習の授業で紙を作ったりもするし、
なんだか授業に還元できるネタがちりばめられていた気がする。

入場してくる選手の衣装を見たり、全然知らない国の名前をたくさん聞いたり、
やっぱり人々、特に子どもたちにとっては視野を広げるすごくいい機会なんだね。

開会式は、芸術の力がめいっぱい発揮されてた。
芸術は、平和への道筋を理論的に考え出すことはできない。
理論的に「どうすればいいか」なんていうことは示さない。
作り出すのは、「雰囲気」だけだ。
ジョン・レノンの「イマジン」をとってみてもそうだ。
でも雰囲気をつくることは、むだではない。人は雰囲気で動くから。

東京でオリンピック、もしやるなら、
開会式の演出は誰がやるんだろう?
オリンピックは、スポーツ得意な人だけ目指すことができるイベントじゃなかったね。
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by syun__kan | 2008-08-09 14:10 | 日記 | Comments(0)

「ポニョ」を観た!

いやー、おもしろかった。
途中何度も泣き、見終わった後も涙がポロポロ出ていた。
というのも、映画が始まる前に、
「パコと魔法の絵本」の予告編を見た時点ですでに泣いていたから、
涙腺が緩んでいたのだ。
見終わって冷静になってみると、
疑問点もポロポロ、ポロポロ、ポロポロ、ポロポロと出てきて、
いっしょに見ていた人と、小一時間議論を。

お互いジブリ作品に対する思い入れの強い世代なので、どれだけ語っても足りない、一晩でも語れそうだった。

とにかく、面白くても面白くなくても、これだけ「語れる」ということ自体がとても面白い。
エンターテイメントソフトの最大の価値は、「語れる」ということだ。

いろいろな見方があるだろうし、
これから半永久的に様々にいろいろなことを言われ続けるであろう作品なので、
わしがブログに突っ込んだ感想を書くことないのかもしれないけど、
やっぱり、わしとしては、普段テレビなんかのエンターテイメントの舞台からは隠されてるデイケアセンターや動けなくなったお年寄りなんかを、表舞台に引っ張り出すことは、やっぱり価値があると思った。

わしなんかは、教員免許取得のための教職課程で、二十歳を過ぎて初めて社会福祉施設のことを学んだし、
それまでは、たとえば知的障害の知識もまるでなかったから。
老人ホームへ足を踏み入れたのも、全部二十歳を過ぎてから。
自分たちの生活のすぐかたわらに、いろんな在り方をしている人たちがいることをうすうす感づきながら、
向き合うことがなかったのは、やっぱりそれらの世界が隠されているというのも一因なんだと思う。
あるいは、わしを教育した小学校なり中学校なりは、そういう機会を設けるべきだったのかもしれないし。
とくに今の子は、おじいちゃん、おばあちゃんといっしょに暮らしてない人も多いからねえ。
(わしもそうだった)
世界はそれほどスムーズでもきれいでもないということは、知っていないといけない気がする。

主人公がポニョを受け入れるリスクが書かれていなかったのは、少し物足りなかったような。
半魚人としてのポニョが、障害者のメタファーだと思うのは、考えすぎかしら?
でも、リロ・アンド・スティッチのスティッチの家の中での暴れっぷりとかは、
なんだか自閉症っぽい気がする。
わしなんか、ただの新米教員なので、分かりきったことなんか言える立場ではまったくないし知識も経験もないけど、
ディズニーとか、ジブリとかの最前線の人たちが、そういうのを盛り込もうとしているとしたら、
よくわからないけど、やっぱりそれはいいことだと思う。

ドラえもんみたいに、父と母の関係、「家」という土台がしっかりしていなくて、
なんだかすごく現実的に描かれていたのも、スティッチと共通して、現代的だなあと思ったよ。

話があんまりまとまってなくて、いろいろ未解決のまま終わったのは、
宮崎駿さん一個人の頭の中から生まれてくる物語だからなのだろう。
それに対して、ディズニーとかの映画は、話が100パーセント完結するし、伏線も全部結実する。
それらの作品は、一個人から出たというより、複数の人が会議しながら話を練り上げて作ってるようなイメージがある。

とはいえ、むかしのトトロとか、魔女宅とかはちゃんと100パーセントまとまってたから、
このところの宮崎さんは、わざと話をまとめていないか、まとめることを重要視していないか、まとめる力がなくなったのか、どれかなのだろう。

映画を見ていた同じ時間に、NHKの「プロフェッショナル」では、
宮崎駿さんの特集をやっていたらしい。
見たかったなあー!
あの方がどんな姿勢で何を考えて制作に取り組んでいるかは、すごく気になる。
なにしろ、ポニョはめっちゃくちゃかわいかったのだ。
自らのインスピレーションで日本中を楽しませ、語らせる宮崎さんは、
間違いなく雲の上のそのまた上の、あこがれの大魔法使いだ。
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by syun__kan | 2008-08-07 00:01 | 日記 | Comments(0)