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マスコット

マスコットキャラクターを題材にして、物語を創作してみました。
日記ではありません。

☆☆☆

マスコットは、「お付きの人」に手伝ってもらいながら、降臨させる。
敷地の裏のほうにある倉庫で、こっそりと。
お付きの人は、後輩の先生だ。
降臨が済むと、誘導されながら、
倉庫を出て、通路を抜け、グランドに出る。
学校行事のお祭りに来ている、子どもたちや保護者たちと握手したり、一緒に写真を撮ったりして触れ合った。
穏やかな時間が流れた。
グランドを一周した後、倉庫に戻り、
お付きの人の手伝いを得て「世を忍ぶ仮の先生」の姿に戻る。
世を忍ぶ仮の先生は、再びスーツの上着を着て、
何食わぬ顔で模擬店の業務に戻った。

模擬店で「いらっしゃいませー」と声を張り上げていると、ある先生が、
「マスコットはもう来ませんか?」
とたずねてきた。
どうやら、先ほど一周したとき、一緒に写真を撮りたかったのだけど、着替えをしていて撮れなかった子どもがいるらしい。
「では、チャンスがあれば、また現れるかもしれません」
と、世を忍ぶ仮の先生は答えた。
しかし模擬店もけっこう忙しく、
なかなかチャンスは訪れない。

マスコットは、なかなか大掛かりな妖精である。
1メートル四方はあろうかという四角い大きなボディに巨大な顔があり、
腕や脚は黒くゴワゴワしていて、手と靴はまた大きくごつい。
けっこうな重さ、そして動きにくい。
降臨させるのは、なかなか大変な仕事だ。
たった一人のために、そこまでしなくてもという感じもする。
しかしながら、次に降臨するのは半年後になるだろう。
期待してくれること自体、やってる方としては非常にありがたいことだ。
なるべく応えたい。

模擬店の客足が途絶えた。
しかし、お付きの人をやってくれる先生は忙しそうである。
一枚写真を撮れば完了する、短い降臨である。
一人で何とかなるかもしれない。

そう思った世を忍ぶ仮の先生は、単身、倉庫に向かった。
てこずりながらも、何とかして、降臨させる。
一人で倉庫を出た。これは初めてのことだ。
このマスコット自体、今年生まれたばかりであり、
おもてに出て子どもと触れ合うのは、今年の運動会に続き、まだ2回目だ。
外に踏み出す時、一瞬「大丈夫かな」と思った。

グランドに現れると、やはりまた人に囲まれる。
写真を撮れなかった子が来る。狭い視界から彼の笑顔が見える。
保護者がシャッタを押し、任務完了。しかしそれで終わらない。
まだ囲まれている。
ドスッという感触がある。周りの子に叩かれているのだ。子どもとしてはごく自然な反応だ。
お付きの人がいれば、その辺はうまくさばいてくれるのだが。

ゆっくりと歩き、倉庫に戻ろうとするが、
子どもが倉庫まで付いて来たらどうしようと考える。
倉庫に一人で帰ることはできるが、マスコットは手指がうまく動かせないため、
ドアの鍵を閉められない。
世を忍ぶ仮の先生に戻る場面を、見られることは、マスコットキャラクターとして、絶対に許されない。
やはりお付きの人が必要だったか。

誰か先生を呼ぼうとする。
「お付きの人」がいる模擬店は、ここからは遠い。
2×10センチほどの視界から探すと、近くにヨーヨー釣りの模擬店が目に入る。
そこの先生たちに近づいていくが、
「わー、マスコットだ、すごーい」
という反応。周囲の喧騒の中、こちらの声は先生たちまで届きそうにない。
「模擬店の宣伝をしてもらおう」
と言われ、大きな指に水風船のヨーヨーを付けられて終わった。
確かに、子どもに囲まれた状況で、世を忍ぶ仮の先生の声を張り上げて、
「倉庫まで来て手伝ってください!」
と懇願するのは無理がある。
ファンタジーを壊すわけにはいかない。

しかたなく、周囲の人にぶつからないよう、細心の注意を払いながら、一人で倉庫に向かってゆっくり歩くことにする。
付いてくる子どもは…誰かいる。
視界が狭くよく見えない…気配と聞こえてくる声から察するに、数人だろうか。

しかし、その中にいた一人の女の子は、キャラとは何たるかをよく心得ていた。
倉庫にたどり着き、マスコットがドアをくぐると、
「おうちに帰るのね!じゃあまたね!
また半年後の行事で会おうね!」
という素晴らしいセリフとともに、ドアを閉めてくれ、
他の子に「行きましょ!」と声をかけ、立ち去ってくれた。

助かった、これで何とかなった。
そう思い、まずは指にまとわりついている水風船を振り落とす。
そして四角いボディの左右の端を台に乗せ、しゃがむことによりボディから出ようとする。

「先生」

急に声をかけられ、ギクリとする。
振り向くと、ドアの隙間からのぞく、男の子と一瞬目が合う。

まずい。

しゃがんだ状態だった世を忍ぶ仮の先生は、ものすごい速さで立ち上がってボディに滑りこみ、
過去最速でマスコットを降臨させ、彼の方に向き直る。
そして裏声で、

「…こんにちは!マスコットだよ!」

と一言。
マスコットの声は高いという設定が、急きょ決定した。
男の子はまだこっちを見ている。

「先生、出て来てください」

と発言。

「違うよ、マスコットだよ!」

と、裏声で答える。
睨み合う両者。

しばらくして、男の子は立ち去った。
ボディを脱ごうかと思ったが、狭い視界から確認すると、彼は倉庫の窓からまだこちらを見ている。
世を忍ぶ仮の先生としては、ドアに駆け寄って内側から鍵を閉められたら一番良いのだが、
あいにく、手を抜き出して指を動かせる状態にするには手間がかかる。
もそもそやっているうちに、男の子は勘づいてすぐにドアに戻って来てしまうだろう。
静止するマスコット。
男の子も動かない。

男の子は再び、戻って来てドアの隙間に現れた。そして、

「ずーっと、見てるよ」

と一言。
もう返答しないマスコット。
逮捕された人が黙秘権を行使するときは、こういう気分なのだろうと思う。
睨み合いが続く。
しばらくして男の子は、

「はあ~。しょうがないなあ」

と一言。そして、

「10、9、8」

と、カウントダウンを始めた。
何を意味するのだろうと思う間もなく、カウントはゼロに達し、
その瞬間、男の子はものすごい勢いで倉庫に入ってきて、マスコットのボディを下から突き上げ、脱がそうとする!

やばい。
世を忍ぶ仮の先生の身を包む、四角い箱がグラグラ揺れる。
絶体絶命のピンチと言える。
何も自分が絶命するような状況ではないが、マスコットとしてのアイデンティティは、瀬戸際に追い込まれた。
体を硬直させ、脱がされることは絶対に阻止する。
こちらにも意地がある。
マスコットは、マスコットなのだ!先生では断じてない!

しばらくして、男の子はあきらめたのか、元の位置、ドアの隙間に戻った。
そしてこちらに顔を向け、

「ずーっと、見てるよ」

と、再び一言。

箱の中の、世を忍ぶ仮の先生といえば、全身を汗が伝い、薄くなる空気で呼吸が荒い…
かれこれ20分くらい、こうして睨み合っているのではないか。
さっきグランドに出て皆とふれあっていた時間と合わせると、こんなに長くマスコットを降臨させ続けたことはない。
心のカラータイマーが鳴り響いている。
もうだめかもしれない…
おそらく今日のめざましテレビの占いは最悪だろうな、と思う。

ふと、倉庫外の通路を、事務長が通りかかった。
そして、男の子と、そして倉庫内のマスコットを見て、
「あれ?何してるの?」
と、気に留めた。

これは千載一遇のチャンスかもしれない。
マスコットは、甲高い裏声で、

「事務長ー!事務長ー!助けてくださーい!」

と、叫んだ。
しかし、どういう状況なのか、なかなか掴めない事務長。
「え?脱ぐの?脱げばいいじゃない」「外に出るの?はいどうぞ」等、つぶやいている。
当然である。なかなか特殊な状況だ。
キャラとは何か。そういうこだわりがあって、初めて生まれる状況といえる。
そのあたりを事務長が理解してくれるか。

しばらくして、「ああそうか。彼にどいてもらえばいいのか」と言い、
何とか飲み込んでくれる事務長。
男の子に「行こうよ」と声をかけ、連れ出そうとしてくれる。
しかし、「え~や~だ~」と嫌がる彼。

それもそうかもしれない。
彼は彼なりに、世界が明確であって欲しいと願っているのだ。
グランドを歩く謎のマスコット、そのファンタジーを理解し、包容してくれる人ももちろんいる。
しかし、

「学校という重要な生活環境に、謎の部分があってたまるか。
理解できることはすべて理解したい!」

そういう彼の思いを、誰が否定できようか。
世を忍ぶ仮の先生は、四角い箱の中で、ささやかな罪悪感を抱いた。

事務長はあきらめ、「別の先生を呼んで来よう」と言って立ち去った。
再び男の子と、マスコットは二人きりになる。

一瞬、世を忍ぶ仮の先生の頭に、
このまま箱から出て、
「マスコットは、先生だったんだ!クラスのみんなには、ナイショだよ☆」
と言ってしまおうか…
という思いがかすめた。
しかしそれを振り払う。

事務長が、教頭先生を伴って戻ってきた。
事情は道すがら伝えてくれたようで、教頭先生は「えーやーだー」と抵抗する彼に、
巧みに話しかけ、誘導し、ドアの外に連れ出した。
閉まるドア。

弾かれたように、マスコットのボディから抜け出した世を忍ぶ仮の先生、
自らの手を包む大きな手をむしり取り、ドアにむしゃぶりついて鍵を閉める。
腕と足を覆う黒いゴワゴワの皮を取り除き、人間の姿になり、素早くスーツの上着を着る。
そして、倉庫の裏口に駆け寄り、外に出る。

倉庫の外壁に沿って歩くと、当然ながら教頭先生と押し問答している、男の子がいる。
世を忍ぶ仮の先生は、何食わぬ顔で、しかし汗だくで、

「あれ?そんなところで何してるの?グランドに行った方がいいんじゃない?」

と声をかけた。
彼は、

「…え~~~」

という、納得の行かない声を上げた。その場からは動かない。

世を忍ぶ仮の先生は涼しい風に解放感を得ながら、そのまま一人、急いでグランドに行った。
仕事中である。
模擬店はすでに終了し、グランドでは学校全体で行うパレードが始まろうとしていた。
男の子も、これに参加しなくてはいけない。まだ倉庫のところで不満を表しているかもしれない。
世を忍ぶ仮の先生は倉庫に引き返し、教頭とともにまだそこにいた彼の手を取った。
今度は、一緒に来てくれた。
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by syun__kan | 2015-11-25 07:18 | 日記 | Comments(0)

あさひでがくえんさん、表紙に登場

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このたび、関口の職場である旭出学園(特別支援学校)のゆるキャラ、
「あさひでがくえんさん」が、
特別支援教育の専門誌である「特別支援教育の実践情報」(明治図書)の、
表紙をゲットしました。
また誌面においては、たった1ページではありますが、
あさひでがくえんさんを作り出した過程について、関口が寄稿しています。

それではみなさん、ご一緒に。

「生産人!」
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by syun__kan | 2015-11-22 00:02 | 作品写真 | Comments(0)

今年印象に残った作品5点。2015

毎年恒例、一年のうちで印象に残った作品を5点記す日記、
ちょっと気が早いけど、年末忙しくなるといけないから、
書いてしまおう。


1、「ジャスタジスイ」/DJみそしるとMCごはん
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朝に洗い物するとき、目線の高さの棚に携帯電話を置いてワンセグという機能で「めざましテレビ」を見るのだが、
そこで偶然、「DJみそしるとMCごはん」さんを知った。

「食いしん坊ラップ」と称し、料理のレシピをラップに乗せて歌う。

そう、このように、
「料理のレシピをラップに乗せて歌う」というように、
概要を一言で表せるということは、
エンターテイメントコンテンツにとっては強みである。
大体において、人は見出しくらいの分量の情報しか、
最初はインプットしてくれない。
わしの作品も、
「新聞紙とガムテープで作った巨大彫刻」というように、
なんとか一言で表すことができる。
わしが細々なりとも造形活動を継続できるのは、この強みによるところも大きいだろう。

話が逸れた。
わしはめでたく「DJみそしるとMCごはん」さんに興味を持ち、
動画サイトなどで検索する。
そこでまず強力に惹かれたのは、
NHKにおいて、彼女を主演に据えて製作されている、
「ごちそんぐDJ」という番組だった。
音楽と調理がややカオスな構成で5分程度にまとまったこの番組は、
わしと1歳のボリさんの心をとらえ、
ボリさんの子守歌に、と称して(偽って)、二人で繰り返し見た。
彼女のアルバム「おりおりのりょうり」「ジャスタジスイ」も鑑賞した。

彼女の作品に流れるのは、

この現代社会、
いろいろあるよね、
しゃかりきに働かなきゃ家庭なんて持てず、
親は仕事に時間を取られて子どもと向き合えず、
低賃金に過労に災害に環境汚染に政治的な不安に、
年長者は昔は良かった昔は良かった言うし、
それでも、それでも…

この生活を愛せ!

というメッセージだ。
「DJみそしるとMCごはん」さんはおそらく20代前半だろう。
昔の生活なんか知らないわけで、
そんな若者が「今のこの生活を愛して良いのだ」と、
さり気なく宣言する様は、
けっこう勇気づけられたものだ。


2、「父の詫び状」/向田邦子
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ワークショップ等で、一人で交通機関に乗ることが多かっただろうか、今年は比較的よく本を読めた。
働き始めのころは、一年で文庫本一冊しか読めなかったりしたものだ。

わしは、本は、たいてい古本屋で100円になっているやつを買う。
本は値段と内容が、比例していない場合も多いわけで、
中古になるとさらにその傾向は拍車がかかり、
人生を変える文化的な体験を、100円で得られる可能性だってあるわけだ。

100円、よくて350円までで買った本を、わしは非常にぞんざいにリュックに放り込み、
ぐしゃぐしゃに読みつぶす。
読み終わったら捨てる。
定価で買われたあと、古本屋を転々とし様々なカスタマーに抱かれたかもしれない本の人生に、とどめを刺すのだ。

「父の詫び状」も、100円だった。
向田邦子は、昭和の脚本家。
わしが生まれた次の年、1984年に飛行機事故で51歳で亡くなっている。
書かれているのは、
戦前、戦中、戦後の復興期の生活を、
好奇心旺盛に社会に出張った女性である向田邦子の視点から捉えたエッセイ。

エッセイというものをあまりちゃんと読んだことがなかったので、それだけでまず新鮮で面白かった。
そして驚異的な記憶力(とわしには思える)で生活を丹念に記した文から感じられる、昭和の雰囲気が面白い!
特に東京大空襲の様子を記した部分は、他の昭和の情景からさらに浮きだって強烈だった。

向田邦子は若干のマイブームとなり、その後他のエッセイ等も図書館で借りて読んだ(これは読みつぶすわけにはいかずちゃんと返却した)。

そして時代は違えど、ここに流れるのも、

「この生活を愛せ!」

というメッセージだった。


3、「喜嶋先生の静かな世界」/森博嗣
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「この生活を愛せ!」というメッセージは、非常に受容的な感性の表れだと思う。
女性的とも言える。
良いも悪いも、白も黒もグレーも、全部ひっくるめて受け入れられる。
あいまい、なあなあ、誤魔化し、そういうのが自然とできる。
そのようにして初めて、この生活を、この世界を、愛することができる。
先に紹介した2作品は、そういう作品だ。

このような、受容的な感性が全く無いのが、森博嗣といえる。

非常に断定的だ。断罪的と言ってもよい。
良いものは賛美し、悪いものは貶す。
白は白、黒は黒であり、
そのきっぱりとした判断の積み重ねで、世界が成り立っていてほしいと願っている。
男性的、そして理系の感性。

しかしわしは、それはそれで、好きだったりする。

どうして好きなのかといえば…
やはりそこまで極端に理系的な世界観を持つということは、社会においては少数派なのであり、
マイノリティだからこそ、社会と軋轢が生まれたり、かみ合わなかったりする様子が時にコミカルに描かれていて、

美術的感性ばかりを偏って持って生まれた、同じく紛れもないマイノリティであるわしは、そこに共感できるからである。

この作品で描かれた、喜嶋先生という究極的に理系な研究者と、そこに師事する、かなりの理系的な才能を有する学生である主人公との関係、
主人公が将来について考える内容、
ガールフレンドの寝顔を見て「大切にしたい」と思う(思ってしまった)瞬間の心理、
それはまさに芸術を志した若者のそれと全く同じである。

ところで、巨大な彫刻を作り出す、展示する際は、
必ず、瞬間的にでも、断罪的な感性が必要になる。
唯我独尊、断罪の感性なくして、「大きめの事象」は執行できない。
わしの中にも、当然だが、受容の感性と断罪の感性、どちらもある。


4、「カラフル」/森絵都
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受容と断罪。
今さらながら、今回の日記のテーマはそこ、
ひいては今年のテーマはそこだったのかもしれない。
同じ「森」だが、こちらの森絵都さんは、
DJみそしるさんも向田邦子さんも差し置いて、
まさしく受容的世界の権化というか、わしの中では代表選手である。
一見悪と思われた人物の、隠れた良い面を描く。
良い人物の、裏のずるさも描く。
本当に丁寧にそれをする。
「白か黒だけじゃない、カラフルな世界に、再び飛び込んでいく…」
記憶で書いているので正確でないが、この本のそんな感じの一節にも、それは表れていた。

実はこの本自体、今年読んだものではない。
何年か前に読んだもので、忘れていたのだが、
そこに込められていたメッセージが頭に残り、
なぜか時々思い出すのである。

そう、森絵都さんの物語は、受容的な感性で愛に溢れ、
素晴らしいバランス感覚の元で非常に丸く収まっているので、
目立ってぶっ刺さることがない。
人に「ぶっ刺さる」のは、やはり森博嗣のような、
極端で三角定規のように尖った形なのだろう。
しかし森絵都さんの素晴らしい丸さは、
「ストーリーとか全然覚えてないけど、作品から感じたメッセージは、何年経っても覚えてる」というような、
地味な形で存在感を示す、わしの中で。

そしてこの作品のもう一つのメッセージは、
「借り物の人生だと思って軽く考えて生きたほうがむしろうまく行く」
ということだった。
これはわしにとって、一つの素晴らしい啓示だった。


5、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」/村上春樹
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受容、受容、断罪、受容と並べて、最後どうしようかと思い、
断罪にしてみた。
ネタばれ注意。

村上春樹作品は、わしは18歳から20歳の間に一通り読んで、長編は大体読了したが、
「ノルウェイの森」を読んだところ、精神を病んだ彼女を持ちながら浮気をする主人公が出てきて、
「こんなのただのムッツリスケベがうじうじと自己肯定してるだけじゃないか!」
と思い、
その後は村上春樹的世界観そのものまで敬遠するようになってしまった。

村上春樹さんそのものは大作家で真のアーティストであるが、
村上春樹的世界観の中でしか生きようとしない人は、基本的に突き抜けない人だと思っている。
あえて断罪的に言ってしまえば。

そして村上さんは、断罪の人である。
最近出た、自伝的な本の一ページ目を立ち読みしたら、
「小説家とは、自分の考えが正しくて他の考えは間違っていると思っている人が多く、
その割合は92パーセントくらいだと踏んでいる」
という内容が書かれていた。

なんとなく、92パーセントという数値は違う気がする。
森絵都のような受容的な小説家も多い。
92パーセントという高数値で予測するのは、他ならぬ村上さん自身が断罪タイプのパーソナリティだからだろう。

良いものは良い!悪いものは悪い!

しかし、あれもこれも断罪しすぎて、
結局何が良いのかわからなくなり、ボワッとして終わる、
そんな傾向も感じる。

この本は知り合いに借りて読んだ。
主人公の多崎さんが、大学生の時に、古くからの親友4人に突然絶縁される。
多崎さんはショックを受ける…
死ぬことまで考える、その精神的な移ろいが非常に克明に描かれる。

そして大人になった多崎さん。
まだ引きずっている。モヤモヤし続けている。

聡明な彼女と出会い、モヤモヤを断ち切るために4人に会いに行くことを提案される多崎さん、
事態は解決するのか…

いや、しない。
モヤモヤし続ける。
堂に入った、としか言えないモヤモヤっぷり。
最後まで…モヤモヤモヤモヤして、そして話は終わった。

わしは、ごく控えめに言って、とてもびっくりした。
なんだこれは。
複雑な手法で、様々な角度から描写された「モヤモヤ」を、鑑賞する小説だったのか、これは?
こんなモヤモヤ、平安寿子だったら7ページ目くらいでビール飲んで吹っ切るだろう。

とはいえ、アンチっぽいこと言いながら、なんだかんだで読んでいるのだから、これもファンのうちなのかもしれない。
勝手に愛憎入り混じられてこそ、本当のスターなのだろう。
そして、高校卒業間近に、図書館で借りた「ねじまき鳥クロニクル」を読んだことが、
わしにとっては大人の読書への入り口だったのだ。
親同様、感謝せねばなるまい。

以上、5点でした。
そして、前にも書いたけど、
わしの読書体験において、現代を舞台にした文学で、
「煙草」「コーヒー」「ビール」、
この3つが、出てこなかった試しがない。
今回紹介した本4冊にも、もちろん漏れなく、この3種の神器は登場しているはずだ。
よっぽど、この3つは、「文学的」なモチーフなのだろう。
煙草は肺に悪く、コーヒーは摂りすぎると胃に、ビールは肝臓に悪い。
生きているのに体に悪いものを意図して取り込むという矛盾、
こうした「矛盾」こそが、芸術を生むのかもしれない。
この3つは、受容的なものだろうか、断罪的なものだろうか。

では、来年も良い作品との出会いがありますように、乾杯!
コーヒーで。
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by syun__kan | 2015-11-14 23:02 | 日記 | Comments(0)

大人魚姫ちゃん、松本に登場

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長野県の、まつもと市民芸術館という施設にて、
23日に行われる「チャオ!バンビーニ」というワークショップ中心のイベントに、
わしも講師として参加するのだけど、
それに先がけて「大人魚姫」を設置してきました。
普段は美術展示というよりも舞台発表に使われる施設の、ロビーなので、
照明は暗いですが、
伊東豊雄氏建築の非常に美しい空間でした。
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by syun__kan | 2015-11-14 22:51 | 作品写真 | Comments(0)

ボリさんは恐れない

ボリさんは明日、
11月11日に1歳11か月となる。
体重は11キロと…400グラム。
11キロ111グラムではない。
そこまで揃わなくても良い。別にヤンキーのナンバープレートではない。

ボリさんは恐れない。
走るときに、転ぶことを恐れない。

ボリさんは恐れない。
高いところに上るときに、落ちることを恐れていない。

ボリさんは恐れない。
はしゃぐときに、その後疲れることを恐れない。

ボリさんは恐れない。
着る衣類が全部がらものになることを恐れない。

通りすがりの行ったこともない保育園の庭を指さす。
「遊んでいきたい」
という意思表示だ。
初めての集団に加わることを恐れてない。
「誰?」
という視線を一身に受け止めることを恐れていない。

やれやれ。
わしは大人になるにつれ、
多くのものを学び、身に付けるのと同時に、同じくらい多くのものを失ってしまった。
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by syun__kan | 2015-11-10 23:10 | 日記 | Comments(0)

芸術新潮に作品写真

この間、訪問した会社で、
置いてあった「芸術新潮」11月号を、何気なくめくったら、
わしの作品写真が載っていてびっくり。
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安藤忠雄特集でした。

そう、確かに、この「明るい夜に出発だ」という作品は、
安藤建築である21_21デザインサイトの、このサンクンコートという空間に、
どんなものを置けばインパクトを出せるか、
ということを綿密に考えた末にたどり着いたものなので、
ある意味安藤さんの建築が羊水となり、それによって産み出されたものなのだと、
改めて思いました。

ちなみにこの展示のレセプションに、安藤さんはいらしていて、
わしは「場所をお借りします」とあいさつしました。
一瞬だったし絶対覚えていただけてるわけないと思うが・・・
良く考えてみれば、わしがアーティスト活動を始めるに当たり、大変お世話になった方ですね。
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by syun__kan | 2015-11-02 23:28 | 作品写真 | Comments(0)