<   2015年 12月 ( 6 )   > この月の画像一覧

対極主義

先日、同僚の結婚式のため、表参道に向かったが、1時間以上早く着いてしまった。
ふと、久々に岡本太郎記念館に行ってみることにする。

イッセイミヤケとか、その他(普段使わない名前のため思い出せない)ハイブランドショップが並ぶ、
必ず何かしらの主張のある髪型、ファッションをした人々が行きかう通りを歩く、
そんなわしは新聞にガムテープ巻きつけることが天命の低所得な現代の若者さ、そろそろ若くもないな、頭も1000円カット。
赤いレンガ外装のカフェを右に折れて住宅地。

岡本太郎記念館は変わらずそこにあり、変わらず来場者多数。
600円払い、見学。
岡本太郎の元自宅兼アトリエを改造した施設、
館内は濃度100%の太郎ワールド。
書籍等の関連商品もすべて手に入る。
「運命に盾を突け」
「瞬間瞬間に生きろ」
「人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ」
「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが爆発だ」 
「自分の中に毒を持て」
などなど、太郎の言葉がそこかしこに踊る。

「ここに来ると元気をもらえる」と、何度も訪れる人も多い。
確かに、ここには何かしら、そういったエネルギーが充満している…
というより、焦るのである。
このままでいいのだろうか、もっとこうした方がいいのではないか、そう急き立てられる感じだ。

しかし、「運命に盾を突け」と言われても、わしはこのあと同僚の結婚式に参加する運命であり、
それに盾突いたら新郎新婦に迷惑がかかる。
わしが毒を持って結婚式に参加し、その瞬間、わしの全身全霊が無条件に宇宙に向かってパーッと開いてしまったら、
おそらく式場にも迷惑がかかるのではないか。

だからわしは、記念館で精神を鼓舞されながらも、このあと大人しく結婚式に参加するしかないのである。

こんなことでは、岡本太郎に勝てないではないか。
ロール・オーバー・タローできないじゃないか。
太郎は「対極主義」を唱えた。
「人類の進歩と調和と発展」を謳った大阪万博において、その対極にあるような原始的でベラボーな太陽の塔を打ち立てたように。
わしはやっぱり、今日という日の運命に、盾突くべきではないだろうか!
爆発しようか、今日!!

なんつって。
わかっている。
太郎が言いたいのは、そんなことじゃない。
太郎は原始人ではない。都会的な人間である。
「対極主義」は、何かに刃向かうために一極に立て、という意味じゃない。
対極的な世界観がぶつかり合って、本当の世界観が生まれる。
水と油は対極だけど、混ざり合えば、おいしいドレッシングになるように。
そういう意味だ。

太郎だって大人しく結婚式に出ただろう。
というか、そういう席でとてもかっこよく振舞っただろう。
だからわしも、大人しく式場に向かって、
結婚を承認する拍手を送り、ご祝儀を収めた。
おめでとう!末永くお幸せに!

披露宴でおいしいドレッシングが出ればこの日記もうまく収まったのだが、
フォアグラのペーストに奈良漬を巻いたりとか、とても美味しいけど日常から遠く離れた料理たちだったので、
ドレッシングさえかかっていなかった。
[PR]
by syun__kan | 2015-12-31 15:20 | 日記 | Comments(0)

ニュー予言

わしはこれまで二度、このブログで、予言を的中させたことがある。

一つ目は、2008年11月23日の、マイケル・ジャクソンに関する日記
「今後、マイケルは、ニューアルバムアルバム発売もコンサートも、一切やらないだろう」
という記事だ。
2009年6月に、本人死去という形で悲しくも的中した。

二つ目は、2010年6月11日の、自分についての日記
「わしは岡本太郎賞を獲って、200万円もらいます」
という記事だ。
ただし時期に関しては、なかなか作品を完成させられず、一年ずれ込んだけどね。

というわけで、今度、もう一件、新たに予言が的中しそうである。
2013年6月17日の日記だ。
「三宅感君がものすごい作品を作るらしいから、今年、来年のアート界は大変なことになる」
という記述。
時期に関しては、やはり2,3年ずれ込んだが。
「ものすごい作品」が、ようやく完成したらしい。
そしてそれは、本人がブログで報告している通り、岡本太郎現代芸術賞に入選したようだ。

入選というのはつまり、書類審査が通ったということ。
まだ作品そのものは、日の目を見ていない。
これで、来年1月に川崎の岡本太郎美術館で始まる、太郎賞展に展示されることが決まったというわけ。

どんな作品なのか、まったく知らないけど、
はっきり言って、三宅感が現場で負けるわけないだろう。
予備校時代からの親友でライバルであるが、
アートに関する素養で、わしが彼に勝っている部分は、ほとんどない。
感受性、独創性、デッサン力…すべて三宅君が上だ。
しいて言えば、フィニッシュワークと世渡りはわしの勝ちかもね。
とにかく彼、三宅感は紛れもない本物である。
ようやく天命を果たそうとしているのだから、神様も喜んでいるだろう。

さらにもう一件、舞い込んだ、予言的中。
2014年9月18日の記事だ。
「戸坂明日香氏は、映像媒体でもっと紹介されてよい」
というもの。
三宅氏と並ぶ、もう一人の、わしの予備校時代からの親友でライバルなわけだが、
明日27日、23:30~0時のEテレ「サイエンスZERO」に出演するとのこと。
彼女の魅力が、ついにフルに発揮されることが期待される。
肝の座り具合、思慮深さ、華のあるオーラ…すべてわしより上だ。

ああ、これらのニュー予言2件は、わしの先見性が優れているわけではない。
ただ、三宅氏、戸坂氏が、実力を発揮しているだけである。

昔から、彼らの「本物感」に、わしはいつも畏怖を抱いていた。
彼らのような存在を近くに感じながらも、めげずに自分を貫いたという点では、自分を評価できる。

ああ、わしも負けるわけにはいかないのである。
彼らが本物であるならば、わしはハリボテだが、
それでよいのだ。
わしは世界一のハリボテを作る。
[PR]
by syun__kan | 2015-12-25 22:45 | 日記 | Comments(0)

ソニー「KIDSTONE」

ソニーの「KIDSTONE」というサイトに、
お正月にぴったりな新聞紙&ガムテープ工作のレシピをアップしました。
作ってみてね!
f0177496_940817.jpg
f0177496_9401993.jpg
f0177496_9403169.jpg

[PR]
by syun__kan | 2015-12-25 09:41 | 作品写真 | Comments(0)

マイベスト

20年くらい悩み続けていることがある…
マイベストアルバムの選曲。
自分の好きな曲を集めて、
昔は、一枚のカセットテープ、
10年くらい前は、МD。
今なら、iPodのプレイリスト。
にして、聴こう、という。

まったくもって、勝手にしろよという感じである。
のは分かっている。
しかし、本当に、いつになっても決まらないのだ。
洋楽と邦楽が混ざってしまうと、統一感が欠けるな…と思ったり。
いや、統一感を持たせることに何の意味があるのだ?
わからない。
でも何か、あんまりバラバラではいけない気がする。
ビートルズも嘉門達夫も大好きだけど、同じ部屋にいれてはいけないような。
でも、例えば洋楽だけで10曲以上選ぶのは、けっこう大変だ、頭数が足りない。
マイケルは大好きだけど、マイケルから4曲も5曲も選んではいけない。
10曲あるとしたら、全部違うアーティストにしたいものだ。
なんとなく、そう思うのだ。
いや、そもそも10曲以上なければならないというルールはどこから来たのか。
10曲以上でなければならないという理由は、どこにもない。
7曲でも8曲でも良いではないか。
しかしだね、一応「アルバム」と銘打っている以上、
10曲くらいは欲しいという、気がする。
時代性にも配慮が必要だ。
70‘sばかり並んだところに一曲だけ00’sが混ざるのは浮いちゃうのではないか。
あのライブアルバムの中の一曲は、大好きなんだけど、
そのトラックだけ抽出すると、曲の始まりと終わりがブツ切れになるしなあ…
やはり最初から最後まで、自然に流れることが望ましい。

とかなんとか…

しかしそれらは、何のために?
このアルバムを作ったとして、誰が聴くのか?
誰かに聴かせたいのか?
聴かない。
どう考えても、自分しか聴かない。
どうもわしは、誰かに聴かすことを、何故だか想定して、選曲しようとしている。
まずそこに、議論の余地、つまりツッコミどころがある。

まあ、ごっこ遊びなのだ、要するに。
選曲者ごっこなのだ。
20年の壮大なるママゴト。
じゃあ、それで良いとしよう。

それにしたって、決まらないのだ。
ごっこあそびであることを、自分に許しても。
この間は、「ハピネス・イズ・ウォーム・ガン」を選ぼうと思い、
実際にiPodの「マイベスト」プレイリストに入れていたのに、
本日は「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の方がいいと思っている。
ジョージのへなへなした声が恋しいのだ。

最近分かってきた。
正解は無いのだ、要するに。
人の考えは揺れ動く。いろんなことを考える。
昔は、そのうちのどれかだけが正解で、他は間違っているものだと思っていた。
大学卒業する時期とか、将来自分はどうするのか、いろいろ考えて、
本当にいろいろなことが頭をよぎり、
どの道が正解なのだろうと悩んだものだが。
今思うと…そもそも正解とか不正解とか、無かったんだ。
だって、どの道を選んでも、行った先で、またいろいろなことが頭によぎるのだろうから。
考えてもしかたないよね。

みたいな感じで、余計なことに頭を悩ませなくなったのが、今年の成長だったかもしれない。
マイベストアルバムの選曲も、20年目にして、頓挫という形で結論を得たのであった。
正解も不正解もない。
ベストを尽くして行けばよい。
[PR]
by syun__kan | 2015-12-24 01:31 | 日記 | Comments(0)

幸せは打ち終わったばかりの熱い通信簿

「先生の仕事が忙しくてもう制作しなくなっちゃったよ」
というような話を、美大を出て教員になった先輩方から、何回か聞いたことがある。
このブログはアーティストとしての立場で書いているが、
その実、わしも普段は5日間フルタイムで担任も持つ一教員である。
職業的には、8割教員と言って良い。
残り2割で、アーティストであろうとしている。
アートと仕事の両立。
これをあきらめようと思ったことはないし、どちらかを手を抜こうと思ったこともない。
アートをするための経済的片手間として教職を位置づける、ということなど、
想像したこともない。
できるはずもない、目の前に人間がいてそれを相手にするのだから。
自分の妄想を相手にするよりも、優先的である。

しかしながら、どちらもなるべく高いレベルで両立させるためには、人の1,5倍くらい頑張って生きことが必要になる。
よく言われることだが、一日は24時間しかないし、一年は365日しかない。
その中で1,5倍生きるためにはどうすれば良いか?
答えは、融合である。
二つの事象を、関連付け、双方の伸長を促進させるカンフル剤とすることである。

特別支援学校の教員としての仕事は、アート活動にインスピレーションを与える。
わしがほとんど毎日更新している、図工美術作品紹介のブログを見ていただければわかるだろう。
日々子どもに接しているため、アートのワークショップを行う場合も見通しを持って取り組める。
ではアート活動は、教職にどのような良い影響を与えるか。
それは、万一、二束のわらじを批判された時のためのアンサーにもなるので、
わしはすでに理論を完成させている。

第一に、美術教育は、現代美術の表現方法の拡大に従い、内容を変化させてきた。
例えば明治時代は、臨画である。臨画。
お手本の絵を見て、模写するのである。自由な発想など、求めていない。
(わしも授業で名画の模写をするが、それは各生徒がいかに名画に独自の解釈を加えるか、というところを期待している)
大正時代の山本鼎の自由画教育運動とかをきかっけにして、美術教育の考え方に革命がおこり、
まあ、すったもんだがありまして、
現代美術界で、自然に造形操作を加えて表現するアースワークが登場し、それが美術教育における造形遊びにつながり、
ナム・ジュン・パイクに代表される映像を使った表現が出てきた影響を受け、図工・美術でも映像作品が取り上げられたりするようになった。
最近の教科書には、手塚治虫が載ってる。
わしが子供の頃は、図工でマンガみたいな絵を描くと怒られたものだが。
この辺りは、日本のアニメーションや村上隆氏の作品がアートとして世界的に評価された影響を受けてのことだろう。

要するに「アート」は、「あれもアート、これもアート」「新しいアート」というように、
その概念をどんどん広げていくものであり、
美術教育の範囲もそれに従うもので、
自分が現代美術の現役選手であろう努力し、そのフィーリングやエッセンスを持ち帰ることは、
その時代における美術教育とは何かを学び取る上で、必要なことだと感じている。

今年は授業でゆるキャラをデザインし、着ぐるみをつくり、実際にゆるキャラグランプリにエントリーしたが、
これだって、現代的なアートの形だと言える。
もともとは、わしがワークショップで訪れた愛知県の施設が、段ボール製の自前のゆるキャラをエントリーさせていたので、
うちの学校でもできるな…と思ったことに始まる。
昨年行った、岡本太郎風の絵を描いてみる授業も、わしが太郎賞を受賞たことで受けた洗礼があったからこそ実施できた。
授業で使ったDVDは、岡本太郎記念館様の厚意で貸していただいた。

第二に、アート活動はわしの指導スキルを上げるのに役立つ。
職場では、普段健常の未就学児、小学生を相手に指導することはないのだが、
ワークショップでは相手にすることになる。
リアクションや発想、スピード、集団性などがやはり普段の指導対象とは異なるので、
指導の幅が広がる。
また、昨年と今年に出版した工作本では、
対面しない相手に対して、文字情報だけでどうポイントを伝えるか、
言葉選びの勉強になった。

第三に、わしの社会経験を拡大してくれる。
限られた世界の中だけで過ごしていると、深化はするが、視野の広がりに欠けやすい懸念がある。
アートをしていると、美術館の方、ギャラリーの方、編集の方、新聞記者の方、カメラマンの方、テレビの方、デザイナーや大学の先生や文科大臣まで…
様々な職種の方々と会えるので、視野が広がり、非常に勉強になる。
どのような態度で、自分の教員という仕事に向き合うか、
ヒントだらけである。

他にもいろいろあるが…
主にこれらの理由で、アート活動は教職に役立つ。
アート活動をしていなかったら、わしの美術の授業も、もっとつまらなくなっていたと思う。
しかし、体力を消耗するのは事実なので、
そのけじめとして、わしは学校の仕事を、9年間一日も欠勤していない。
学校を通して稀に来る美術教育関係の仕事は、教員としての関口に来たものと見なして、出張させていただくこともあるが、
基本的にアート活動はすべて終業後か休日に行う。

生徒と遊んでいる時、授業している時、わしは100パーセント教員だし、
担任を持っているからこそ味わえる充実感にどっぷりと身を浸している。
もし、教職とアートを両立させることに不安を持っている若者がいたら、「安心してください、できますよ」と言いたい。
それは全然矛盾しない。
[PR]
by syun__kan | 2015-12-18 23:58 | 日記 | Comments(0)

失礼

しまった、更新が滞った。
失礼。

原因は…
11月23日(月)にまつもと市民芸術館でワークショップを行い、
27日(土)に間髪入れず調布特別支援学校でワークショップを行ったことによる、
疲れと燃え尽き感か?

いやちがう。燃え尽きる間はない。
やるべきことは続いている。
友人の結婚式のためのウェルカムボードを描くという使命や、
依頼を受けている制作物、
あるサイトに掲載する新しい子ども向けの工作品を作ることなど…
純粋に、本当に純粋に時間がなかった。

ワークショップについては、だいたいいつも事後報告になってしまい申し訳ない。
実際に遂行されるまで…ちゃんとうまく行くか、不安なんだ。
芸術家はみんなナイーブだ。
男性的なエネルギーを発揮しまくっていたかに見える岡本太郎でさえ、
女性的なナイーブな面を持っていたと、敏子さんが書いている。

ちなみに松本では、「空想ペットをつくろう」と題し、
作った作品にストローを使って車輪を付け、
さらに紐と持ち手を付けて「お散歩」できるようにした。
「まつもと市民芸術館」は、名称からは一見判然としないが、
要するに「美術館」ではなく「劇場」であり、
会場入りすると「出演者様ですね」と言われ、
ものすごくきれいな楽屋をあてがわれた。
純粋な美術系作家はわしくらいで、他は演劇や大道芸系のパフォーマーの方で、
来場した、たくさんの親子連れを相手に、公演したりワークショップしたりしていて、
最後には作品を持ってステージで参加者が発表する機会もあり、
非常に新鮮な体験だった。

一番勉強になったのは…パフォーマンス系の方々は、すべて自分で準備し、
自分でお客さんをさばき、結末に持っていくということ…
つまりその高い自立性だった。
わしは習慣的に?スタッフさんに準備を手伝ってもらったり、
「ゴミ袋ください」とか突然言ったりしてしまいがちなのだが。
もっと自分のヒップを自分で拭けるようになる良いと思った。

調布では、チェーンスタンドのポールに対して新聞紙をテープで巻きつけ、
緑のテープで覆ってクリスマスツリーを作った。
さらに工作本でも作り方を紹介している「オーナメント」を皆で作り、飾り付けした。

一番勉強になったのは…準備は早めにやるべきということ。
教員の仕事が立て込んで、材料の荷物を宅急便で送る間がなくなり、
当日朝は自転車に大量のガムテープとチェーンスタンドのポール4本を積んで、
1時間半かけて自宅から現場まで走った。

両WSともに、それぞれちょっとずつ新しい工夫をしたので、
またテープでできる工作のバリエーションが広がったと思う。

ワークショップをはじめ、アート関係の所業は、体力は壮絶に消耗する。
しかし、それ以上の得体の知れないパワーをもらえる。
[PR]
by syun__kan | 2015-12-09 22:14 | 日記 | Comments(0)