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美大のふんわり不思議ちゃん

最近の教官は優しいようでして、教習所通いの奥さん、
教習中に女性教官とこんな会話があったようです。

教官「関口さんて、お仕事されてたんですか?」

奥さん「幼児絵画教室の講師をしてましたよ」

教官「じゃあ、美術の勉強されてたんですか?」

奥さん「ええ、美大卒ですよ」

教官「ああ、何だかすごく納得できましたよ。
関口さん、すごく雰囲気が柔らかくて、話しやすくて、
この感じは何だろうと思ってたんですけど、
もしかしたら花屋さんか何かかと思ってたんですけど、
美大だったんですね。
前にも、ムサビの女の子が生徒でいて、
その子は卒業制作にゴリラのイスを作ったそうなんですけど、
その子と雰囲気が近いっていうか…」

ということで、それって要するに、
奥さんは「美大のふんわり不思議ちゃん」という枠で捉えられたということだろうか。

確かに、奥さんは、身長153センチだし、
かわいらしい感じがしないでもないし、
ガーリーな服を着ていたりすることもあるが、
しかしよく見て。
その目にやどる、やさぐれを。
「険」を。
口元にやどる、「業」を。

美大には、ふんわり不思議ちゃんはたくさんいる。
そして、確かに、徹頭徹尾、どこを切っても金太郎あめのように、不思議なままの、
正真正銘のふんわり不思議ちゃんも、存在する。

また、一見ふんわり不思議ちゃんだけど、
例えば虫をたくさん集めて窒息死させるのが好きだったり、傷口を見つめるのが好きだったりとか、
何か深刻に変わったパーソナリティを持った、
ふんわり不思議ちゃんもいる。

しかし奥さんは、それらともちょっと違う。
彼女の生い立ち、抱えているいろんな諸々、
それらのリアリティは全然、ふんわり不思議ではない。

奥さんは、描いたり作ったりする作品もかわいらしい感じだったので、
周囲の人は、アリバイを取った気持ちになっただろう。
やっぱりこの子はふんわり不思議ちゃんだと。

違う。彼女は、シリアスなんか、もううんざりなのだ。
作品中の世界くらい、平和でかわいらしくあってほしいのだ。

学生の時に、
奥さんから、自作のアニメーション作品のDVDをもらって、
かわいらしい、
星に乗って来たうさぎが傷ついた魚を助けるようなアニメーション作品を観たとき、
わしはひとり、下宿で号泣した。
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by syun__kan | 2016-06-28 22:49 | 日記 | Comments(0)

ホットペッパーに登場

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超メジャーなフリーペーパー、「ホットペッパー」の、
「日本キワメン紀行」というコーナーに、
関口の記事が掲載されている。
表紙は武井咲さん。

家に見本誌が届いたので、
このブログ用に、ホットペッパーを手に持って、
表紙の武井咲さんと同じポーズで写真を撮ろうとして、
試しに洗面台の鏡に映してみたりしたが、
あまりに自分の外見のいけてなさが際立って、やめた。
日本を代表する美少女と並ぶのは危険すぎる。
彼女は微笑み一つで全国に並ぶ冊子の表紙が務まるだから…

と言っていたら、奥さんに、
「というか君は何を言っているのか?
どうして武井咲さんと比較する必要があるのか?
何を目指しているのか?」
と疑問を呈された。
まあ、確かに…。

武井さんとは大きく異なり、
わしは、精一杯、新聞紙を揉んで、ガムテープで巻いて、
ようやく中の1ページの記事にしていただける、キワメンである。
ちなみにキワメンとは、
「何かを究(きわ)めたメンズ」という意味とのことらしいが、
何となく初見では、「キワドイ」「キワモノ」といった語句を連想する。
まあ、そういう意味も含まれているかもしれないが。

ちなみにホットペッパーにはホットペッパ―ビューティーとか、
種類があるようで、
例えばビューティーには関口は載っていない。
ふつうのペッパーに載っている。
2016年7月号。
お手に取られた方はチェックしてみてください。
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by syun__kan | 2016-06-25 00:08 | 日記 | Comments(0)

夏至

鍋に投げ込んだそうめんの麺が、
テープで巻かれたままだった。

悪夢。

今も思い出す。
学生時代の初夏の記憶だ。

「あ!」と声をあげて拾い上げ、テープを取って再び鍋に入れたものの、
湯に浸かった部分は、時すでに遅し、
癒着し合っている。
パスタなら、こうはならないだろう。まだつぶしが効く時分だ。
ほぐれる時分だ。
しかしそうめんのゆであがり時間は短い。
すなわち、麺が硬質な個体としての独自性を保つ時間も短いということだ。

わしが菜箸2本を、右手と左手に持ち、どんなに鍋の中で麺同士を引きはがそうとしても、
それは体にまとわりつく、6月下旬の暑さのように、分離しない。

やがて、半分がすいとんのようにつながり、半分がばらけて麺になった、
非常に中途半端な…
分類学的に言えば人魚のように中途半端な、食べ物が出来上がったのであった。
わしはそれをつゆに入れ、ぐにょぐにょと咀嚼したのであった。

6月…

6月は、日が長いという一点に於いてのみ評価できる。
これは素晴らしい、わしにとって無条件に嬉しいことだ。
日が長いという事実が、なんでか、とても好きだ。
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by syun__kan | 2016-06-21 22:36 | 日記 | Comments(0)

センター問い合わせ時代

わしも年を取ったなどというと、
年上の人に怒られそうだが、
でも確かに年は取ったのだ、
もうすぐ33というのは
そう思うような年齢である。

自分の体や精神についても感じるけど、
時代性について、ああ、わしの、学生時代とは違うな今はと、
最近ふと感じることが多い。

わしがハタチだった頃は、ビヨンセが流行っていて、
みんなローライズのジーパンを履いていて、
しゃがむとおしりが見えそうになっていた。
大学構内のそこら中に見えそうなおしりがあった。
女の子は生春巻きを体に巻き付けたような服を着て、
水色のアイシャドーを付けていた。

男子の髪型の指標はベッカムさんで、
彼は最初は髪を立てていたが、
そのうち長髪の上半分を後ろで結んだ。
いつの間に伸ばしたのだろうか。
今流行っているような、きっぱりとしたツーブロックは奇異だった。間違いない。
当時の、結婚する前の奥さんが、
「昨日、横が刈り上げで上が長い髪型の男がいたんだよ!
一見普通だけど風が吹くと毛が舞い上がって刈り上げ部分が見えるんだよ!
あははは!」
と言っていた記憶がある。これが証拠だ。
ジーパンに黒いジャケットを合わせるのが流行っていた。

時代は2000年代の前半だった。
Youtubeはまだ普及していなくて、
マイケルの映像を観るためには、TSUTAYAでビデオを借りるしかなかった。
そう、時代はVHSからDVDに切り替わる過渡期だった。
わしは「これからDVDは主流になるの?ほんとになるの?」
と、三宅感君に確認し、
「なるね」
という返事を受け、下宿にDVDプレーヤを購入した。

公式に発売されていないマイケルのライブ映像を観るために、
西新宿の界隈でそういったビデオやDVDを取り扱うお店をよく巡り、
3000円とか、5000円とか、汗と涙のバイト代をはたいて、購入したものだ。
今なら何の手間もなく、youtubeで見れる。

iPodは途中で登場した。
それまではポータブルMDプレーヤを使った。
録音の際の音飛びに悩んだ。
MDにはシールを貼って、アーティスト名や曲名を小さな小さな字で書き込んだ。

ホリエモンさんが元気で、mixiの30歳の社長が話題で、
同時多発テロの余波が世界には残り、
マクドナルドのハンバーガーが50円くらいで、
アメリカ産牛肉を使えなくなって牛丼屋さんは豚丼やカレー丼を売っていて、
中田英寿さんが大事なPKを外し、
zoffが出てきてフチの広いメガネがおしゃれになった。

携帯電話も最初の頃はまだ全員は持っていなく、
着信音を自分でピコピコ作曲したりし、
地域によっては電波が悪くてつながらず、
メールが届いていないか確認のためにしょっちゅう「センター問い合わせ」した。

そう、持ちたての携帯に、メールが届いていないか気になり、
本当にしょっちゅう「センター問い合わせ」した。
あの、問い合わせ結果が出るまでの少しの期待感、
「メールはありません」と表示されるときの少しの切なさは、
まさにあの時代の象徴だった。

トトロが昭和30年代の日本が舞台であるように、
昔を懐かしむのはエンターテイメントの一つのパターンだ。
「センター問い合わせ時代」、
あれは現在の2016年になるまでのダサい前段階だったのではなく、
あれはあれで、素敵な時代だった。
そう誇っても良いと思う。次代の文化を作るべきわしらの世代は。

と、書いていたら、奥さんに「君老いたね」と一刀両断された。
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by syun__kan | 2016-06-15 22:56 | 日記 | Comments(0)

シタタン

パッタン、シタタン、パッタン、シタタン…
わしが歩いている。
夜中、犬の散歩をしながら、ビーチサンダルを履いて。

パッタンは、わしの左足の音だ。
踏み込んで地面に着いた左足、
再び地面を離れる瞬間、
かかとが上がり、サンダルの底はまだ地面に寝ている。
次いでつま先が地面を離れ、
ほぼ同時にサンダルの底も地面を離れて、
わしのかかとの足の裏をパッタンと叩く。
その音だ。

シタタンは右足の音だ。
左足と同じように、かかとを上げ、次いでつま先が地面を離れ、
サンダルの底がわしの足の裏を叩くわけだが、
どういうわけか、つま先の力の入り具合が左足とは異なる様で、
右足は2回叩くのである。
よって、シタタンとなる。

パッタン、シタタン、パッタン、シタタン…

歩きながら、そのことに気付いた。
これは、つまり右足は左足より力が入っているのか?抜けているのか?
気になって、検証してみたくなり、つま先の力の入り具合に意識を向けてみた。
すると、力加減が変わってしまったようで、

パッタン、パッタン、パッタン、パッタン…

になってしまった。
わしは再びシタタンを取り戻すため、右足のつま先の力の入り具合を調節する。
しかしどうもうまく行かず、

パッタン、シタン!パッタン、シタッ!パタン、シタタン、パッタン、シタタタ!

という具合に、乱れてしまった。
悔しくも、意識を向けている間は、安定したシタタンを取り戻すことはできなかった。

なのでわしは、取り戻せなかった代わりに、この話を奥さんにして、笑ってもらおうかとも思ったのだけど、
オチがないというか、ナイーヴすぎる気がして、ためらわれた。

そして、こういったフィーリングは、どこかで経験したことがあるな、
そうそう、小学校の頃に国語でやった、詩を作る授業っぽいと思った。

詩の授業では、水を飲んだときや、ウサギを抱いた時など、
日常の様々な場面で感じることや小さな発見のようなもの、
機微みたいなものをつかみ取って書くことが求められた。

わしはけっこうそれが好きで、楽しんでやっていたけど、
結局のところ、あの感性は、
シタタンを追い求めるような感性は、
大人になって、果たして何の役に立つのだろうか?
あの感性に特化した人が育ったら、けっこう困るのではないか?

そしてわしはその、詩の授業の感性に特化した人になっているのではないか?

パッタン、シタタン、パッタン、シタタン…

まあ、楽しく生きてはいるよ。
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by syun__kan | 2016-06-06 21:09 | 日記 | Comments(0)