教員と芸術家の醍醐味

1学期が終わりました。
肩の荷が、下りました。
今学期は、スリリングでした。
今年度からはじめてのことが多く、プレッシャーが大きかったです。
悔しい思いもたくさんありました。
この悔しい思いを食べて、2学期がんばります。

通信簿も、書きました。
(いつも思いますが・・・まさか、自分が、通信簿を、書く側になるとはな!)

私の学校は特別支援学校なので、
普通級の通信簿のように、各教科が1~5で評価されて、
出席状況が載ってて、
最後に担任からちょこっと文章が添えてるような通信簿とは違います。

たぶん特別支援学校の通信簿というのはどこでもそうなんだと思うのだけど、
学期の初めに、個別の目標をいろいろ立てて、支援の方法を考えて書いて、
学期の終わりに、どのくらいの変化が見られたかを書く。
ようするに、自分がその生徒に対してどれだけ適切な目標を立てられて、適切な支援をできたか、
自分で評価するようなもの。
自分への評価に限りなく近いのです。
なので、結果が出ていないと落ち込むし、結果が出ていればとても喜びます。

私は大学を出るとき、ずっと芸術だけをやり続けていくという生き方の選択肢も、無くはなかったのだと思います。
でも私は、養護学校の教員になりました。
私の今の仕事の醍醐味を聞かれたら、私はこう答えるでしょう。

世の中には、いろいろな仕事があるけれど、
走る、踊る、歌う、絵を書く、字を書く、パソコンを打つ、植物を育てる、掃除する、料理する、
そういった要素がすべて詰め込まれてる職業はあんまりないと思う。
特別支援学校の教員は、そういうことを全部やります。生きていることを実感します。
その意味では、健全で、健康的で良い仕事だと思う。
いろいろ大変なことはありますが。

私は、大学が終わりそうになって、将来のことを考えなければならなくなったとき、
芸術家一本で生きていこうとは思いませんでした。
芸術だけやっていると、人間的成長がないように思えたのです。
自分の弱点を強化しなければと思いました。

とはいえ、私は芸術をやることの醍醐味っていうのも、知っています。

あれは大学3年の時。
私は親しい友人と、3人で「みはじ展」というグループ展を開きました。
友人も、とても力のある作品を作る人なので、私達はお互い張り合って、
小さな草の根的な展示に過ぎないのに、人生を賭けるような勢いと集中力で作品制作に取り組んでいました。
部屋を暗くして作品を展示する予定だったので、私は巨大なボックスアートの要領で、
暗い中に等身大の部屋が浮かび上がるような、「海が好きな男」という作品を学校で作っていたのですが・・・

バイトや教習所通いでとても忙しかった当時。制作は難航し。
身を削りながら、作っていました。
搬入の日の前日、やっと仕上がりました。
出来上がった作品を、そこに居合わせた非常勤講師の池ヶ谷先生と一緒に眺めます。

「ふっ・・・ふはははは!なんだこれ。あほだ。はっははは!
あはははは。これあほだ。ははは」

と、池ヶ谷先生と私は、一緒になって爆笑し始めてしまいました。

これが、私にとっての、美術をやることの醍醐味です。
意味がわかりますか?

制作に没頭し、集中し、
ふと顔を上げて、自分の仕事を客観視し、「こんなものができてた」と認識した時、
私は思わず、笑ってしまいます。

なにかこう、そのものが、自分の力ではない力が働いて、作られたような気がするのです。
あまりにもばかばかしかったり、あまりにも美しく感じられたり。
でもそれは、幽霊や神様が力を貸してくれたとか、そんなはずはなく、自分の手でやったことに間違いないのです。
そうなると、私は普段は出てこない、自分の中の可能性を、お腹の中からえぐり出したような気分になります。
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それはとても気持ちのいいものなのです。

これこそが、美術をやることでしか得られない、醍醐味だと思うのです。
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# by syun__kan | 2008-07-20 14:42 | 日記 | Comments(2)

うまくやっていく

21世紀人展が終わってしまった。
でもわしは元気だ。
たまっていた洗濯物も、洗った。
2回に分けて洗った。
シーツも洗った。
ものすごい日差しと、暑い空気が、
洗濯物を、今、積極的に、乾かしている。
窓の外で、乾かしている。
素晴らしいことだ。
水分が、蒸発していく。
カラカラに、乾く。
柔軟剤を入れていないので、
今日の夜、風呂に入るときには、
ガジガジに乾いたバスタオルを、使うことができるだろう。
素晴らしいことだ。
ガジガジのバスタオルは、わしの体を拭くことによって、
また濡れる。
未使用のタオルが一つ減り、使用済みのタオルが一つ増えるのだ。
生活だ。
ほんとに、冗談ではなく、素晴らしいことだ。
長澤まさみさんは、今、地球のどこかに存在している。
かわいさを維持したまま、存在していることだろう。
素晴らしいことだ。
長澤まさみさんは、今日もかわいい。
もちろん、宮崎あおいさんも、永作博美さんも、榮倉さんも、今日もかわらずかわいいのだろう。
今日はじりじりと暑い。
じりじりと焼かれながら、グランドで練習している野球部の少年の頬には、
汗がつたっているはずだ。
元から日焼けして黒いのに、さらに黒くなっていく。
今日も、地球のいろんなところで、オーバー・ザ・レインボーは流れるのだろう。
それは、「オズの魔法使」のDVDだったり、
ジュディ・ガーランドのコンサートCDだったり、
簡単に省略されたインストの有線の店内放送だったり、
学校の授業で生徒に歌わせるために、音楽室で練習している音楽担当の教員のピアノだったりするのだろう。
もちろん温暖化もどんどん進行しているんだろうな。
北極のシロクマの危機は、どんどん迫っているのだろう。
わしは温暖化に対して、何にもしていない。申し訳ない。
高校3年生の終わりごろ、(もう多摩美に入学することが決まったあとだ)
母と一緒に、近所のサティに服を買いに行って、
突然自我が目覚めたようになって、
頭が混乱して(鮮明になって?)
母に
「わしは多摩美に行かない。これからは、ずっと砂漠に木を植える仕事をする」
とか口走ったことがある。
もちろんそれは実行に移すことはなく、ちゃんと多摩美に行ったけど。
でも、本当は、砂漠に木を植えるほうを選ぶべきだったのかもしれない。
どっちが正しいとかはない。可能性だけは常にあるということだ。
芸術をやって生きていくには、敏感さと鈍感さを併せ持ってなくてはならない。
まわりからの情報を敏感にインプットすることが必要だし、
リスクに対しては鈍感でないと。
うまくやっていきます。
これから通信簿を書いて、
今日の夕飯はカレーにしようか。
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# by syun__kan | 2008-07-13 13:50 | 日記 | Comments(0)

次の表現

もうすぐ21世紀人展が終わってしまう。
いろんな人と新たに会えたし、この機会に懐かしい人に会ったりもした。
アエラに出させてもらった。新日曜美術館のアートシーンには作品を5秒間くらい映してもらった。いい夢を見させてもらった。
でも、終わってしまう。

わしは生まれついての、「常に表現してなきゃいられない人」だった。
実家の、わしが子どものころ使っていた机の引き出しに、幼稚園のときの連絡帳みたいなやつが入ってたのだけど、

「光太郎君は、わざと転んで、友達を笑わせようとしていたりするところがちょっと気になりますが、いい子です」

みたいなことが書いてあった。困った子だ。

わしの一番最初の記憶は、赤ちゃんのわしが実家の居間に寝ていて、
父と母がわしを覗き込んでいて、
わしが上に向けておしっこを吹き上げたときのことだ。
その時の、両親の「笑い」と「困惑」の入り混じったリアクションが、印象に残ったのかもしれない。
もしかしたら、これがわしの「表現」の原点だったのか?!

思えば表現の場を求めて歩き回る人生だった気もするなあ。
中高生のころは、ヤッチというとても頭のいい友達と、「アルクランドセル」というバンド??を作って、テープに歌を吹き込んで、2百円くらいでともだちに売ったりしていた。
バンドといっても、使う楽器はほぼアコギのみ、あとヤッチがピアノ弾けるのでたまにキーボード、
やり始めの頃はアコギさえ弾けなかったので、タニサンという友達のパソコンの、曲を作れるソフトを使って伴奏を作ってた。
録音に使用するのは、2千円程度の青いラジカセ!!我ながら美しい貧乏っぷり!
作る曲も、「おもしろい感じ」を目指した曲ばかりで、覚えているタイトルを並べると
「アウトロー」
「ゆけゆけ群馬県」
「給食アワー」
「便意」
「睡魔」
「ラッキー池田」
「マサオLet It Be」
とかそんな感じだった。
そのテープは、今でもタンスの奥に眠っているはずだが。封印。

美大に入って、世の中で芸術家が全然必要とされていないことを感じると、大道芸人に憧れてみたり。
教員を目指したのも、多くの人たちにいろんなことを伝えたかったからというのが、一つの理由だ。
学校とは、ある意味で表現の場であるとも言える。

そうか。やっぱりわしは「表現の場」を求めて歩き回っていたのだ。

とにかく、21世紀人展は終わってしまう。次の展示は、何も決まっていない。
落ち込む前に、次の作品の構想を語ろう。

次は、街を作ろうと思っている。
これまでは、「すべての物は、瞬間だけなら、美しい」というコンセプトで、
すべての物の美しさを肯定するつもりで、手当たりしだいの物を作っていた気がする。
次は、手当たりしだいには作らない。
街。街なのだ。
人間が住む街。街って美しいのだろうか?
住んでいるのは人間。
人間は、ある意味美しい。でも、とびきり汚い!
美しい、汚い、入り混じったのが人間、その人間が住む街。
美しさと汚さが拮抗する。

美しい!
汚い!
美しい、美しい!
汚い、汚い、汚い!

さあ、どっちが勝つか?
みんなはどう思う?
勝敗は人それぞれじゃないかな。
それぞれの人の、人間への肯定感や、これまでの人生、自己肯定感、これからの人類への期待感、または絶望感、そういった思いが影響して、勝敗が決まるのだと思う。
街が美しいか、汚いかという問題は。

わしは、いろんな人の、街への思いを、グジャグジャに盛り込んだ彫刻を作りたいと思っている。
オッサンというあだ名の友人は、
小学校5年生のときに自分の家庭を捨てて蒸発しちゃった父親の、消息を辿って、
住んでるところをつきとめ、一発ぶん殴ろうとして出かけたことがあるんだって。
けっきょく細かい事情でそれは叶わなかったらしいのだけど。

例えばわしは、オッサンのイメージの中にある、父親が住むアパートの、ドアのノブを作りたい。
まあそういうことです。
ガンバルゾー。まだ実現のメドは、なーんにも立ってないけど。
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# by syun__kan | 2008-07-05 19:58 | 日記 | Comments(1)

サッカー必勝法

ここはひとつ、以前から私が考えている「サッカーの必勝法」について述べたい。

私はあまり見ないので詳しいことは言えないが、サッカーを見て、とても盛り上がったり、一喜一憂したり、興奮したりする人は多い。
国内のJリーグも盛り上がっているし、国際大会になると、興味を持つ人はとても増えるみたいで、電車の中吊り広告もサッカーの記事の紹介がとても多くなる。
日本代表が負けると、悔しくて泣いたり、
好きなチームが優勝すれば、嬉しくて、一日中ウキウキになってしまう人もいることだろう。
わしが小学生のころの体育の先生は、サッカーが大好きで、
本当に好きで、
ドーハの悲劇の翌日、学校で倒れた。

そんな、サッカーが大好きな人が世の中にあふれている中、
私がサッカーについて知っていることといえば、
・オシム監督は、病気になってしまい、岡田さんが日本代表の監督をやっている。
・中村俊介さんは、フリーキックがとてもうまい。
・中田英寿さんは、旅をしている。
・シジマールさんは、両手を広げた長さが、190センチ以上もある。でも、もう引退している。
・ビスマルクさんは、ゴールを決めると、神様にお祈りする。でも、もう引退している。
・アルシンドも、ラモスも、リトバルスキーも、みんな引退している。
・でも、カズさんは、まだ現役である。
そのくらいであり、一般的以下の知識しかないのだが・・・。

そんな私が、サッカーの必勝法を考えついてしまった。なんだか申し訳ない。
でも、この必勝法を使えば、日本代表も、ワールドカップで、優勝できる。

サッカーには、相手の頭よりも高く足を上げてはいけない、というルールがあるらしい。
それを利用する。
日本代表は、みんな髪の毛をたくさん伸ばして、
美容院へ行き、とても丈夫で大きなアフロにしてもらう。
サイババよりも、もっと大きくて、もっと硬いアフロだ。
そのアフロのてっぺんを、お皿みたいにへこませる。
試合が始まったら、ボールをヒョイと浮かせて、アフロのてっぺんに乗せる。
相手チームは、頭より高く足を上げてはいけないから、手出しできない。
日本代表は、そのまま相手ゴールまで歩いて、最後におじぎをして、ゴールの中にボールを落とせばいい。

どうだまいったか。

ところで、3ヶ月あまり続いた21世紀人展も、あと一週間で終わりになる。
本当に、夢のような、日々だった。楽しかった。
のぼせた。
思い上がった。
終わってしまうと、喪失感が残るかもしれない。
でも、またいつか、この夢舞台まで這い上がろう。
アフロの上にボールを乗せるような、ふざけた戦法は、スポーツの世界では実際には通用しないのかもしれないが、
アートの世界では、優勝を可能にしたりするかもしれない。
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# by syun__kan | 2008-06-29 14:36 | 日記 | Comments(0)

草刈り

昨日は、放課後、中学部の職員でグランドの草刈りをした。
グランドには芝をはじめとして、たくさんの雑草も生えており、
各部各科が持ち回りで、一年に一回ずつ、芝刈り機を使って、刈るのだ。

芝刈り機は一台だけで、最初に手にしたのがわしだったので、わしが草を刈りはじめた。
右のレバーを握ると、前へ進む。
左のレバーを握ると、刃が回転する。
グランドを何度も往復しながら、間隔を開けずに並行に線を引くようにして、草を刈っていく。
機械が一台だけなので、それを使う一人以外の人は、機械で刈った草を集めて、荷車に乗せて運ぶ。

しばらくして、わしは自分がとても上手に、真っすぐに草を刈っていることに気づいた。
そして、去年の今頃、一年目のド新人だったときに、同じように草刈りしたときのことを思い出した。

去年は、大きな芝刈り機の、ブルビルブルビルという爆音にビビり、慣れない機械を使った作業ということもあり、全然上手に草を刈れてなかった。
真っすぐに進むこともできなかったし、刈り進めた道に間隔が開いて、刈り残しがいっぱいできてしまっていた。へたくそだった。

うまく刈れなかったのは、機械の手応えと音にビビッていたからだけではない。先輩を含むまわりの同僚たちに対しての遠慮もあった。
しばらく刈り進めると、「そろそろ代わったほうがいいのかな?」などと考え、「代わりますか?」などと言って、機械の操作を明け渡していたのだ。

機械を扱う一人は、微妙に周りから注目される。私はそれを意識しすぎてしまう。仕事ぶりや、立ち振る舞いがいちいち評価されている気がして、いても立ってもいられなくなってしまう。ちゃんと刈れているだろうか。鼻毛は出ていないだろうか。
要するに、ちょっとだけ「自意識過剰」なのだ。というより、一年目のド新人というのは、そういうものなのかもしれない。
何をするにも、どうでもいいことにまで、「これでいいのだろうか」と思い続け、自然体で行動するということができない。
やっぱりそれはいつも、ベストな結果にはあんまり結びつかない。

そんなこんなで、去年はうまく刈れていなかったのだが、さすがに今年は二年目なので、うまく「無意識に」草を刈るということができていた。

しかーし。去年のことを思い出したとたん、自分のなかの「自意識」が復活して、「草を刈っている自分」を急に意識し始めてしまった!
刈り進めた道は、曲がっていないだろうか。鼻毛は出ていないだろうか。
いかん、余計なことは考えてはいけない。無意識に進めることだ。
(私は、ブルビルブルビルという、爆音の中で考える)
しかし、一度意識してしまった自分の状態というのは、なかなかもとの「無意識」に戻らない。
草を刈ることより、草を集めて荷車で運ぶ作業のほうが進度が早いので、手持ち無沙汰になった同僚たちが私を見ているのが分かる。
もしかしたら、刈る作業を代わりたい、と思っている人もいるかもしれない。
そういうのを、意識したらだめなんだ、と私は思う。
タイガー・ウッズのように、自分を凝視している大勢の人々の無言のプレッシャーを、やりすごし、うまく操ってこそ、いい結果が生まれる。
わたしはいつも、「誰かに見られている」と思ったとたん、自然体でなくなってしまうところがあった。
それは素の自分への自信の無さから、来ているのかもしれない。
(それは、エンターティナーや芸術家などの表現者に憧れた、きっかけだった気もする)
しかし、いい大人になって、いつまでもそんな思春期みたいなこと、言ってられないのだ。
わしはもう少し、図太くならねばいかん。図太くならないと、実際に体重も増えない気がする。
図太く、草を刈り続けろ、関口。このグランドは、お前の物だ。
芝刈り機だって、去年とは打って変わって、自分の体の一部みたいに感じられるではないか。
右のレバーを握ると、前へ進む。
左のレバーを握ると、刃が回転する。
ニラとレバーを炒めると、ニラレバになる。
いかん、また雑念が混じってきている。
グランドの草を全部刈り終えるまで、あともう少しじゃないか。
刈り取られろ、芝!
舞えよ、オオバコ!
さらば、シロツメクサ!

そんなこんなで、わしはグランドの草を刈り終えた。
エンジンを切ると、同僚たちは、世間話をしていた。
(わしは、梶井基次郎の「檸檬」の主人公が画集から顔を上げたときのように、やっぱりちょっと恍惚としていた)
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# by syun__kan | 2008-06-21 17:50 | 日記 | Comments(0)

イライラした時は牛乳。

わしは、自分にことを、温厚な人物だと思っている。理由は二つある。
一つは、そう自覚しているということ。
周囲の人と比較して、(例えばケーキが食べられるカフェに入って周りで愚痴を言い合っている人たちと比較して)
自分はいろんなことに対してあんまり腹を立てないなー、と思う。
私は、「不満の種」に対して、鈍感なのかもしれない。

もう一つ目の理由は、周りからそう言われるということ。
だいたいの人は、私を見て、
「やさしそう」
という印象を持つ。
だから、私は自分の温厚さを自負し、誇りに思っているのだが・・・

そんな私でも、2週間に一度くらい、どうにもこうにもイライラする日がある。
いつもなら軽くやり過ごせることが、いちいちイラっときたり。

そういう日は、私は牛乳を飲む。理由は二つある。
一つは、牛乳はカルシウムを多く含むということ。
カルシウムは、人をイライラしにくくする効能?がある。と聞いたことがある。

もう一つの理由は、牛乳が、牛の乳であるということ。
牛乳とは、牛が、自分の子供を育てるために出すものである。
人間のために、出しているものではない。
だいいち、人間は赤ちゃんの時に、とっくに母からの母乳を卒業しているはずだ。
だというのに、大人になってまで、なんでまた、またどうして人は、牛の、真っ白な、母乳を飲むのか!

それ、牛が子どものために出したものだから!人間のために出してないから!

そう考えて牛乳を飲むと、飲んでる自分が、なんだかすこし変で、かわいい存在に思えてくる。
そしてイライラしていることを忘れる。
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# by syun__kan | 2008-06-18 21:22 | 日記 | Comments(4)

買い物

今日は、西武池袋線に乗って、池袋へ買い物に行った。
メガネが壊れてしまったので新しいメガネと、
パソコンのインクと、
15センチの釘と、
ジェームス・ブラウンの本と、
スピッツの弾き語り全曲集を買った。

スピッツの弾き語り全曲集を買ったのは、学校にスピッツが好きな子がいるからだ。
しかし、私のギターの腕前は、中学2年生で始めて、一ヶ月経過した時点から、進歩していないのだが・・・
だから、電話帳のように分厚い全曲集を買っても、弾ける曲はほんの何曲かのみ。
ヒバリのこころと、空も飛べるはず、チェリー、トンビ飛べなかった、ジュテームあたりは、弾けそうだ。

大学生のころは、スピッツは好きで、よくきいていた。
周りの友達も、「8823(ハヤブサ)」とか、みんな好きだった気がする。
まさに美大生のフィーリングを代弁してくれるような、感覚的な歌詞と、
こんな声が出たらなーと思ってしまうような、透き通った声がよかった。
中高生の頃は、ジュディ・アンド・マリーも好きだった。

しかーし。二十歳を過ぎてから出会った、
マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナ、ジェームス・ブラウンら、世界的スーパースター達の打ち出す、
問答無用の説得力、ファンキーさというのは、
それまで触れてきたJポップのもつ、共感的な魅力よりも、私にとっては上位の概念だった。

ということで、私はスーパースターを観察して、彼らの世界を味わいつつ、
彼らの表現活動の方法論や成功の秘訣を分析する変な趣味(?)を見つけてしまったのだが。

(しかし仕事を始めて改めてスピッツをきいてみると、やっぱり素晴らしいなあと思った)

最近は、ジェームス・ブラウンを研究し始めている。
買い物の帰りの電車内でも、買ったばかりの彼の本を読んでいた。

この人は、マイクスタンドを傾けて、それが倒れるまでの間に、
☆ターンして、
☆ピタッと開脚して、
☆起き上がって、
☆マイクスタンドがステージに倒れる寸前にキャッチして、
また歌いだす。

ずんぐりした体格からは想像できないすばやい動き。理屈抜きにかっこいい。
こういうのを目にすると、それが頭の中をぐるぐる回るのだ。

そうこうしているうちに、西武池袋線が、私の駅に到着するアナウンスが流れた。
電車がスピードを緩めて、駅に着いて、ドアが開く、
その間に、わしは、電車の降り方で、ジェームス・ブラウンにオマージュを捧げる。

☆ジェームス・ブラウンの本をかばんにしまい、
☆ペットボトルを取り出し、
☆ひと口飲んで、
☆かばんにしまって、
☆ドアが閉まる前に電車を降りる。

頭の中のBGMは「ゲット・オン・ザ・グッド・フット」。
楽しい休日。
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# by syun__kan | 2008-06-14 22:04 | 日記 | Comments(0)

生まれ変わるか変身するか

知人のHさんは、
「生まれ変わったらシロナガスクジラになりたい」
と言っていた。

おっさんというあだ名の友人は、
「おれは将来、『速さ』になりたい」と言っていた。

生まれ変わってシロナガスクジラになる。
将来、『速さ』になる。

どちらも夢のある(?)発言だが、
わしはどちらかというと「『速さ』になる」ほうに共感する。

なぜかというと、とりあえずわしは生まれ変わりを全然信じていないから・・・

と、Hさんに伝えたら、Hさんは
「空想して楽しんでいるだけだよ!別に本気で生まれ変わりたいと思ってないよ!」
と言っていた。

なるほど。
でもやっぱり、信じていないと、空想もしにくいところがある。

その点、わしは、その気になれば何にだってなれると、根拠もなく信じているところがあるので、
たとえ「速さ」が生きものでなく、それ以前に物質でもないにも関わらず、
「生きている間に、本気で『速さ』になりたい、と思い続けて、努力すれば、『速さ』にだって、なれるんじゃないか?」
という気がする。

おっさん、『速さ』にはなれそうかい?

ところで、わしは将来何になろう。
じゃあ、わしは、『イェー』になろう。
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# by syun__kan | 2008-06-10 21:01 | 日記 | Comments(0)

おっさんというあだ名の友人へ

おっさん、わしは最近、男性の体格についてよく考えるんだ。
歳をとっても、ずっと現役バリバリでいられる男って、
背はそれほど高くなくて、ドラム缶のような、頑丈な胴体を持っている。
これが最近確信している仮説だ。

ピカソがそうだ。ピカソがパンツ一丁の写真は大好きだ。
生命力の象徴みたいだ。

ピカソよりも背が高いけど、初めて三宅一生さんに会ったときにも、
「これこそいつまでも老けないでいられる男の体だ」と思った。

ジェームス・ブラウンもエネルギーの詰まってそうな体をしている。
50歳のときのライブなんか、本当にダイナマイトみたいなエネルギー、目にも止まらぬマイクスタンド倒し芸!

ひょろりと細い体格も、若いうちはいいけど、歳を取ったら、もたなくなる気がする。
マイケル・ジャクソンのことは大好きだけど、
01年の、43歳のときのライブを観ると、体力的、感覚的な衰えが隠せない。
ジェームス・ブラウンが70すぎまで現役だったことを考えると、やっぱり少し衰えるのが早い気がするなあ。

ところでわしの体は、マイケルよりもひょろひょろで薄っぺらい。
将来のことを見通して、もう少し太って、がっしりしたほうがいい気がする。

おっさん、あなたはたしか170と少しくらいの身長があるのに、体重は40キロ台だったはず。
お互い、もう少し太ろう。

去年、旅行先のビジネスホテルでサウナに入って、サラリーマン的なおじさんたちに囲まれたのだけど、
そのときにすごく感じたのは、
男は、20歳くらいが体力のピークで、
そして肉の付き方は、30台の後半が、一番張り詰めてパンパンになる気がする。
その後はしぼんで行くわけだけど、そのしぼみ方がすごく個人差があるんだ。
お尻とか太ももがしぼんで、その弱い土台の上に下腹だけが膨らんで乗っかってる感じのおじさんもいれば、
白髪なのに立派に張り詰めたお尻を太ももを誇示してる人もいる。

そう、その、40をすぎてから肉体のしぼみ方、膨らみ方こそが、その男の人生の答え、という気がしたんだ。

いい男になろうぜよ。
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# by syun__kan | 2008-06-07 19:28 | 日記 | Comments(0)

ボックスアート

学校では、わしは今年から美術担当なのだ。
だから生徒に与える題材を考えなければならない。
最近は、「ボックスアート」をスタートした。

ボックスアートとはなんぞ?というと、箱の中に立体や平面の創作物を配置する芸術のこと。
(プラモデルとかのおもちゃの箱絵も「ボックスアート」と呼ばれるけど、それとは別ね)
よく知らないけど、ジョセフ・コーネルという作家さんの作品とかが有名なよう。
健常の中高生なんかも、学校の美術でやったりするよね。
思春期とかの、自分の内面を、箱っていう形に投影しやすいのだろう。

絵を描く場合は、壁画とかをのぞき、紙やキャンバスに描くから、広さに限りがある。
世界の広さが、「はい、ここまでー!」と決まっているんだ。
枠という形で。
だから、その枠に対して、どれだけ大きく描き込むかによって、
100パーセントも、10パーセントも、自由自在に表現できる。

しかし、立体作品は、空間の中に置くから、
世界の広さが、「ここまでー」と決まっていない。
屋外なんかに置いたりしたら、それはもう。大変。
世界の広さは、ほんとに、リアルに世界の広さなのだ。
だから、100パーセントとか、10パーセントとかを表現し分けようとすると、難しい。
枠っていう、比較対象というか、目安がないんだね。



っていう部分を解消するのが、ボックスアートなんだと思う。
枠のある立体。立体とか作ったことなくても、枠があると作りやすいよね。

というか、何事も、枠があるとやりやすいよね。
0からすべて作りだすのは大変。
バンドやろうと思ったら、ボーカルと、ギターと、ベースと、ドラムが必要。
これも一つの枠だね。

もし、「バンド」という枠の存在しない世界で、
「みんなでかっこよく音楽やって、モテて、あわよくば仕事にしたいんだけど、なにが必要だろう??」
とか考えながら、0から何かやろうとしたら、大変だと思う。きっと最初は変な隊形が出来上がるはずだ。

けど、いろんな人が、長い時間をかけて「みんなで音楽やってモテる」を目指してあれこれやってるうちに、だんだん
「指揮者はいらない」「木魚もいらない」「細いパンツをはいたほうがいい」「中学生くらいから始めたほうがいい」「いつもニコニコしていないほうがいい」
とかがわかってきて、結局「ボーカルと、ギターと、ベースと、ドラム、クールな態度」に落ち着くのだろう。

わしは、一番初めの、変な隊形のバンドが見てみたいなあ。
にこやかに木魚を叩く。
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# by syun__kan | 2008-06-03 21:25 | 日記 | Comments(0)