コーラ振ります!!

夏が終わった。
あきらめよう。もう終わりだ。
今年はあまり暑くなかった。
夏が好きで、晴れが好きで、暑いのが好きなわしにとっては、不満の残る結果だ。
しかし、暑くて晴れたからと言って、わしは何するわけでもない。
海水浴も、プールにも、旅行にも行かない。
テレビで甲子園さえ見ない。
だけど、夏には、晴れていて欲しい。
晴れているべきだ。
一年中、夏ならいいのにと思う。
いや、夏だからって、何かするわけではない。
海水浴も、プールにも、旅行にも行かない。
スイカさえ食べない。
でも、夏が好きだ。
食べないけど、スイカという存在が好きだ。
植えないけど、ヒマワリも大好きだ。
暑くて、晴れていて、
世の中にスイカやヒマワリや花火が溢れているだけで、
ラウンドガールをたくさんはべらせている、王座防衛後のプロボクサーのような満足感をベースに生活できる。
夏が好きだ。もし子どもが生まれたら、
男でも女でも名前は「夏」にしよう。
海水浴も、プールにも、旅行にも行かないわしは、今年の夏に何したかというと、、
味噌汁を何回も作った。
作り方は前から知っていたが、日常的に、こう何回も作るのは初めてだった。
豆腐×玉ねぎ。インゲン×ジャガイモ。厚揚げ×大根。
なぜ味噌汁の具は、いつも2種類なのだろう?
1種類や3種類の場合もあるかもしれないが、
1種類では少ない印象で、3種類では多い印象になる。
そしてダンスを習った。とはいっても、まだ4回しか行っていないが。
今まで自己流で踊っていたが、初めてちゃんと教わった。
アップのリズムの取りかたと、ダウンのリズムの取りかた。
上半身を前後左右にずらす、アイソレーション。
久々に生徒の側になり、とても楽しくやっている。
ダンスの先生は、みんなきれいだ。
自分の体に向き合うと、きれいになれるのだろう。
それに関連して、わしは自分の加齢を感じた。
最近すぐに、筋を違える。
脚を開いて、前屈するストレッチをしたら、
いきなり左の背筋が吊って、数日間背中が痛いままだった。
部屋でごろごろしていて、寝やすい体勢を探してまくらを動かしていると、
あっというまに寝違えた。
とにかくわしの体は、筋肉関係はどんどん柔軟性を失い、
内臓や皮膚も、少しずつだけどはっきりと朽ちていっていた。
そうしたこともあって、体と精神の関係?みたいなことにぼんやりと興味が向きはじめた…まだはっきりと形作ってはいないけど。
それをきかっけにして、芸術系のことについて考えたりもした。
ジュンク堂で見たある雑誌の表紙が、永作博美だった。
本文中には、ヨガをやっている永作さんの写真があった。
その写真は、ものすごく雰囲気があって、いい写真で、わしはその数点の写真を手に入れるために、その雑誌を買おうかと一瞬迷ったくらいだ。
そこでは、永作博美という人物は、ものすごく神秘的で、霊感さえ漂っていた。
でも、これはずるい。あたかも、内面まで美しいようじゃないか。
だって、本物の永作さんは、べつに全然神秘的な人物じゃないかもしれないし、
性格的に嫌な面を持っている可能性だって全然ある。
でも、雑誌に載っている永作さんは、文句無く神秘的なのだ。
これがファンタジーの、特権的な部分だ。
表現を仕事にする上での、他の仕事には無い魅力だ。
自分にフィルターをかけられる。
完璧な物は、たとえ完璧な人間じゃなくても作り出せる。
やっぱり、アートは素敵だと思った。
そして、マイケル・ジャクソンが死んだ。
わしは追悼関係の書籍を、迷いながらも結局17冊購入した。
これからは、マイケルが作り出すはずだったファンタジーを、私たちが作っていかなければならない。
わしにとってはあたかも、1984から1Q84に紛れ込んでしまったような、マイケル抜き世界への移行だった。
そして、群馬に帰省して、館林の大きな美術館に行った。
ポンポンという、動物の作品で有名な彫刻家のアトリエを再現してあったりもした。
田舎は、土地がダイナミックに余っている。
東京と比較した利点は、主にその一点に尽きる。
もし、大きな彫刻を作りたい人がいたら、やはり都会の真ん中では難しいのだろうな、と思った。
それらのことを総合して、わしはやっぱり今年の夏も、これからどう歳をとっていくかを考えることができた。
夏は、一年の変わり目ではなく、一年のど真ん中であるが、
わしは毎年夏に、いろいろな更新を行っている気がする。
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# by syun__kan | 2009-08-23 23:16 | 日記 | Comments(0)

落ち込んだこと

ひとつ真剣な物書きをしていいだろうか。
というか、グチを書いてしまうことを許して欲しい。
わしは今、はっとして、驚いて、戸惑っている事項がある。
それは、自分の加齢と、体の衰えだ。

教育関係の本で、思春期についての記述を読むと、たいてい
「思春期は、自分の体の変化に戸惑い、不安になる」
と書いてある。

わしは自分の思春期のことを思い返してみると、
いろいろめんどくさい事象はあり、たくさん踏んだり蹴ったりしたものの、
「自分の体の変化に戸惑い、不安になる」ことはなかった。
たぶん、まだ自我がなく、無意識的に生きていたのだろう。
わしは、一般的な水準よりも、無意識で生きていた期間が長く、自我が訪れるのが遅かった気がする。
そんなわけで、わしは自分の体に第二次性徴的な変化が表れても、
自分を客観視することがなく、不安や戸惑いも感じなかった。
みんなは「自分の体の変化に戸惑い、不安に」なっていたのだろうか?

むしろ今、わしは戸惑っている。
一般的な人は、戸惑わないのだろうか?自分の加齢に。
社会人は、夏休みが短くて忙しいから、戸惑わないのだろうか?

わしは職業の関係で、一般的な社会人よりも長い夏休みがある。
休みに入って、数日間は、何もできずに倒れていた。
我ながら、繁忙期の、わしの仕事は、ハードだ。消耗度が高い。
積もり積もった疲労を回復するのに、しばらくの「何もしない日」は、必要だった。
そのうちに、7月の31日になって、わしは26歳になった。
そして、頭と体が回復すると、わしはかねてから興味のあった、ダンスを習いに行ってみた。
そこで、ストレッチをした。
そして、股関節のストレッチをしているときに、自分の足の裏を見た。手指も見つめた。

自分の足の裏や、手指を見つめるのは、いったい何年ぶりなのだろう?
仕事をしている期間は、自分の足の裏や手指など、ゆっくり見つめることはない。
仕事をしている期間は、なにしろ忙しい。一日6時間寝れない。
朝5時半に起きて夜中に寝付くまでの間、無駄な10分間が一つもない。
こうして、夏休みに入ったからこそ、わしは自分の足の裏と再会した。
その足の裏は、カサカサしていた。カカトの部分が特に。
手指は、前よりももっとしわが増えているように感じた。
そう、わしの体には、加齢が表れていた。
同じ部屋でストレッチしている、ティーンエイジャーの女の子とは、明らかに在り方そのものが違うのだ。

このところ、他にもわしは自分の体の変化を感じていた。
体が野菜を欲している。
野菜を摂ることなど、あまり気にせずに生きてきたが、このところ、意識が自然に、野菜を摂ることに向かうようになった。

そして、自分がくさい。
体臭が、前と違うにおいになった。強くもなった。
これは、中学生の頃からたまに検査で引っかかっていた、わしの腎機能に関係しているのかも知れない。

そう、わしの体は、ゆっくりと下り坂に入っていた。
もちろん、その傾向がとっくに始まっていることは知っていた。
人の肉体は、20歳くらいがピークだろう。身長も、その時期に伸び止まる。
精力的な部分は、思春期が山場だ。
それらのポイントを越え、わしの体は基本的には、後はしぼむだけ。なのはわかっていたが。
でもここ何年かは、わりと適度に体を動かす仕事をしていたし、
体力的には、衰えていない気がしていた。
ある部分では、それは当たっているのだろう。
でも、知らない間に、気づきにくいところから、わしの体は緩やかに、おしまいに向かい始めていたのだ。

そんな些細なことで、なにを悩んでいるのだ?と思われるかも知れない。
大したことないじゃないかと。
しかし、わしにとっては、全ての物事において、五体満足が前提だったのだ。
何かをするときに、体のことを気にしなくて良い。これが売りだった。
確かに、20歳過ぎから、思わしくない兆候はあった。えらく風邪をひきやすかったり、他にも諸々と。
それでも、気にしないようにして、やってきた。
作品の制作も、就職も、その五体健康の前提の上に成り立っていた。
ところが、ごまかしがきかなくなってきた。
とりわけ、体臭に関しては、変化が明らかであり、
ずっとこのままなのかと想像すると、がっかりする。
なので、わしはけっこう落ち込んでいる。
加齢の表れや、体の不具合が、すぐに制作や仕事に影を落とすわけではないが、
それらの要素は、わしに、残り時間を意識させる。
わしはナイーブだ。ボディソープのようにナイーブだ。
わしは26歳になった。20歳ではない。
未確定要素だったことは、どんどん確定事項になっていく。
わしは、未確定要素の事を考えるのが好きだ。自分の未来のことを考えるのが。
ところがこのまま、未確定要素が減っていくと、
やがてわしは「今」と「過去」しか語れなくなる。
「未来」とは、掛け値なしに美しい。
例えば子どもは、膨大な量の未確定要素、つまり未来を含有している。
だから、無条件に美しい。
例えば、夜明け前に、10歳の子どもが、
親に気づかれないように家を出て、自転車に乗って旅に出る、という情景があったとする。
それって、美しいよね??
わしは、この世でもっとも美しい情景の一つなんでないかと思う。
「夜明け前」も、「子ども」も、未確定要素がたっぷりだからだ。
わしは、そういうものを、美しいと見なしてきた。
もちろん、そればっかりが美しいわけじゃないけど、「もっとも美しい」のは、そういうものだと思っていた。
(ここでは、家に置いていかれた親は、美しくないものとして扱われているのだ)

もちろん、自分がどんなに歳をとり、未来の割合が減ったとしても、
「未来のある、美しいもの」を、作品として表現することはできる。
でも、美しい物を作る前に、自分自身が美しくありたい!
自分自身が、夜明け前の少年でありたい!

希望を語りたい!!!!!!!!!!
わくわくしたい!!!!!!!!!!!

わしは人と、未来について語り合いたい。
今と、過去についてだけ語り合って、盛り上がれる人が、理解できない。

ハンデや年齢を乗り越えて、美しく活躍する人というのは、いる。
たくさんいる。思い出そうとすれば、たくさん思いつく。
そういう存在は、昔から知っていたけど、その人たちの状況や心理を、深く考えたことはなかった。
わしはこれから、本格的に、そういう人をつぶさに分析し、参考にしていく必要があるのかもしれない。
そうやって、どうにかして、胸張って生きれる道を探していくしかない。
希望を持ち続けるしかない。

ただ、今はちょっとの間、落ち込んでいていいかな。
無駄な落ち込みではない。現状を確認したことによる、一時的なショックだ。
このままずっと落ち続ける訳はない。また必ず上がる。
とりあえず、足の裏と再会できた夏休みに感謝しよう。
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# by syun__kan | 2009-08-12 18:01 | 日記 | Comments(0)

今夜はイート・イット

ある夜、
その日は、わしの26歳の誕生日だった。
Hさんが、原宿の店に連れてってくれて、シュラスコというブラジルの料理をご馳走になった。
牛の体の、あらゆる部分を切り取った肉片を、長い長い串に刺したお店の人が、
フロアをうろうろしていて、
テーブルに来て「いりませんかー」と声をかけてくる。
「クッピンいかがですかー」
「ローストビーフいかがですかー」
「スペアリブいかがですかー」
ください、と言うと、肉片をナイフで切り取って分けてくれる。
食べ放題なので、際限なくやってくる。
それを受け入れ続けると、すぐに消化器官が飽和する。
酒池牛肉林、悪夢のようでもあり、少年時代の夢のようでもある。
最近は牛肉が高価なので、ほとんど食べていなかったが、
この日だけで、牛肉の味を思い出し、慣れ、そして飽きた。
もう、牛肉は、一年くらい食べなくていい、というくらい、満腹になったが、
翌日には思い出したくなって、また牛肉料理を食べてしまった。
要するに、とても美味く、嬉しい経験だったのだ。

またある夜、
仕事から帰ってきて、もう夜遅く、これからご飯炊いておかずをつくる元気もない。
かといって、最近外食がやや多かったので、今日はなるべく自炊したい。
こんな時は、そう、焼きそばだ・・・。
家にいくつか野菜はあったはず。麺だけ買って帰ろう・・・。
塩焼きそばにしたかったが、ソース焼きそばの袋しか売ってなかったので、
まあいいか、ということで、ソース焼きそばの袋を買って帰る。
家で具材を炒めようと思ったのだが、
メンツがほうれん草、もやし、しめじ、ベーコン・・・
この人たち、ごま油とソースで炒める、という感じじゃないな・・・バターと塩コショウのほうが、合うだろう。
ということで、わしはバターで具材を炒めはじめたのだった。
そう、これは、商品に付属している粉末ソースを使わず、自宅の調味料で塩焼きそばを作ろうという挑戦だ・・・。
何気なくはあるが、挑発的かつ野心的な挑戦だ。
もう後戻りはできない・・・「やっぱりやめた、粉末ソースを使ってソース焼きそばにしよう」ということは、もうできないのである。
なぜなら、わしはすでにバターで具を炒めている。
バターと粉末ソースは、どう考えても合わない。
もし、うまい具合に塩焼きそばができあがらなかったら、悲しい晩餐になる。
しかし何しろ、具材のメンツがほうれん草、もやし、しめじ、ベーコンだったのだ。
バターで炒めよう、という決断をわしが下したのは、ごく自然なことだ。
例えば店番しながら、BGMでジュディ・アンド・マリーを流しているとき、
村上春樹と田原俊彦とデーブ・スペクターがお客として入ってきたら、
わしはBGMをマイケル・ジャクソンに変える。
それと一緒だ。生活に臨機応変さは必要だ。
フライパンに麺を突っ込み、塩とコショウを振りかける。
味見をしてみるが・・・薄い!
このままだと、また「サムシング」ができてしまう。
ちゃんと「塩焼きそば」にしたいんだ、わしは。
そう思い、必死に塩とコショウを振りかけては、味見!
ちょうどよくなった。しかしあと一歩!何かが必要だ。麺どうしのすべりを良くする何か・・・。
そうだ、卵黄!
ということで、焼きそばを山状に盛り付け、わしはてっぺんに卵黄を乗せたのであった。
食べると、悪くなかった。ちゃんと塩焼きそばになっていた。
わしは、「塩焼きそばの袋が売ってなくて、ソース焼きそばの袋しかなくても、塩焼きそばをあきらめる必要なんてない」ということを、この日証明した。
何だか感動したから、もう一度書いておこう。

「塩焼きそばの袋が売ってなくて、ソース焼きそばの袋しかなくても、
君は塩焼きそばをあきらめる必要なんてない。夢だけは捨てないで」

夕食の後には、たまった洗い物を片付ける必要がある。
重なった茶碗の上から、水を注いで、
心の中で「シャンパンタワー」とつぶやいた。
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# by syun__kan | 2009-08-04 18:19 | 日記 | Comments(2)

ドゥー・ザ・マリオ

わしは、義務教育段階の頃、
一人でプロレスを見たり、家で折り紙をして過ごしていたので、
同世代の人たちが、その頃だいたいみんな洗礼を受けた、
メディア上の文化作品を、ことごとくスルーしてきた。

わしは、25歳の、いわゆる「キレる世代」と呼ばれた世代だけど、
「スーパーマリオ」も「ドラゴンクエスト」やったことないし、
「ドラゴンボール」も「スラムダンク」も「エヴァンゲリオン」も読んだことない。
長らくゲーム機を持っていなかったし、
マンガ雑誌もマンガの単行本も、買ったことない。
それでも、友達の家に行けば、友達はゲームをしていたし、
教室ではみんなそれらの作品の話をしていたから、
なんとなくの概要だけはつかめている。

例えば、ドラゴンボールは、ごくうが主人公で、
クリリンというスキンヘッドの友人がいて、
べジータは額が広い。
ピッコロは、緑色。(「おかあさんといっしょ」にも同姓同名のペンギンが出てきた)
セルはつよい。
ブルマ。ご飯。トランクス。が出てくる。
しかし、名前は知っているけど、彼らの相関関係まではわからない…

でもまあ、この歳になるまで、それらについて知識を持たないことで、
何か困ったことがあったかといえば、なかったし、
それらを知らなかったかわりに、わしはまた別の事象を頭にインプットしてきたわけだから、
まあいいや、と思っていたよ。

ところが。それらの作品は、いまだに強い影響力を持って、
この世に存在し続けているらしく。
今年度受け持ったクラスには、マリオが好きな生徒が複数人いる。

彼らと仲良くなりたいのだけど、そのきかっけになりそうなマリオについて、
わしが全く無知であるため、上手くいかない。

というわけで、わしはこの夏、マリオをやることにした。
でも、うちには任天堂のゲーム機など、ないのである。
わしがマリオをするには、0からの準備が必要なのであった。
なので、この間、中野ブロードウェイで、中古のスーパーファミコン(3990円だった)と、
「スーパーマリオコレクション」というソフトを買ってきた。
ドゥー・ザ・マリオ!!!
生まれて初めて、カセットを、スーパーファミコン本体に突っ込んだ。
しかし、テレビゲームの経験が非常に少ないわしの操るマリオは、死にまくる。
とりあえず、カロンは、一度踏んだだけでは死なず、また復活するということがわかった。
テレサは、顔をそっちにむけると、照れて止まってしまう。かわいい。
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# by syun__kan | 2009-07-28 12:56 | 日記 | Comments(0)

たーまやー

昨日、調布の花火大会に行った。
花火大会は、去年は行かなかったけど、おととしは行った。
おととしは、高崎の烏川だった。
その前の年だったか、もう少し前だったかには、隅田川の花火大会にも行った。
なんだかんだで、花火大会にはそれなりに行ってる。
一般人の平均くらいは行ってる。
もっとさかのぼれば、小学生の時は、間違いなく毎年行ってた。
前橋市民にとって、お盆の利根川花火大会は、大きすぎる存在感のイベントだった。
利根川花火大会は、見やすいし、時間も長い。
わしは、小さいころは、花火大会が大好きだった。
なんであんなに、大好きだったのだろう?
小さい頃から、大人になるまで、断続的に体験している出来事は、
どう感じたかを思い返すことで、感受性の変遷を辿るバロメーターになる。
とにかく、小さい頃は、無条件に好きだった。花火大会。
大きさ、数、爆音は、どれも観客を無条件に圧倒しうる要素だ。
とくに、小さな男の子が大好きな要素でもある。
花火大会のディティールだけを追って、原稿用紙5枚の日記が書けた。ほんとに。
いつしか、それほど魅力を感じなくなったのは、あれは高校生、大学生くらいのときか。
ああいう年頃は、もっとこう、自分に興味があったのだろう。
花火は、風景の一部分、ストーリーの背景描写に過ぎなくなった。というような覚えがある。
あすなろ白書的な。アイズ的な。
実家の子機で電話をしながら横目で見ていた記憶がある。
大学の彫刻科を卒業する時、同級生の女の子が一人、花火師になった。
あの人はなぜ、花火師になったのだろう?
とにかく、花火大会には、ただ行けばいい。
予約もチケットも要らない。そこがいい。
手続きは、わしが人生でもっとも苦手とする物事の一つだ。
そういう面で、花火大会はけっこう特殊な種類の大会だとも言える。
自然現象に近い。
わしはただ、混んでいる京王線に乗ればよかった。
花火は、上がっていた。たくさんの人が、それを観るために、ああだこうだもめながら斜め上を見上げていた。
(そう、人々は一様にもめていた)
空に上がった火の玉は、何百メートルの高さで、爆発して、
何万人の人が目撃する。
音は、もっとたくさんの人が聞く。
やっぱり、自然現象を連想した。雷とか、オーロラとか、流星群とか。
でも、あれは自然現象じゃない。あれは確かに、人が上げている。花火の一玉には、持ち主がいる。上げ主がいる
あの、火の玉が上がる、根元には、花火師がいる。
暗闇で、花火師が、大砲に火を付けている。

花火師は、どんな気持ちで花火をあげるのだろう?

壮大ないたずら小僧の気持ちか、自然を操る神様の気持ち?
わしの脳内は、大砲が設置された多摩川の中州で、
暗闇の中にシルエットでうごめく花火師のイメージでいっぱいになった。
でももちろん、わしが見ているところからは、火の玉の根元は見えない。
わしは、すごく遠くの客席から見ていたんだ。
でも、花火大会が終わる頃に、はっと気づいた。
花火って、今の時代、コンピュータ制御で上げるんだっけ?
大砲の根元には、花火師はいないのか?
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# by syun__kan | 2009-07-19 22:56 | 日記 | Comments(0)

悲しさについて

日記には、いつもおもしろいことを書こうと思っている。
おもしろいこととは、人と違うこと。みんなが興味深いと思ってくれること。
しかし、世界一おもしろい、興味深い人物が亡くなってしまった直後には、
わしは、おもしろいことなどは全くできず、考えられず、
ただただ凡庸な反応を示すことしかできなかったのであった。
だから、これは、一マイケルファンが、彼の死の翌日以降に、どのような行動を取ったかという、
一つの標本である。
エルヴィス・プレスリー、マリリン・モンロー、ブルース・リー、ジョン・レノン、
彼らの死の翌日に、彼らの熱狂的なファン達は、いったいどのような行動を取ったのかという記録は、
少しは歴史的な価値があるだろう。
今回のわしの日記も、それと同じ価値を持ってくれればいい。

6月26日に彼の死を知ったわしは、その日の夜にネットで、翌日土曜日27日午後6時から、
代々木公園で追悼集会が開かれることを知った。
同時に、同日夜10時半より、青山のバーでお別れ会もあることを知る。
わしは、どっちも行くことにした。

27日、6時15分頃原宿駅に着くと、すでにマイケルTシャツや黒いハットを身につけた人たちがちらほらいた。
代々木公園につくと、入り口前に人だかりがあった。
中心には、マイケルの写真を抱いて泣き崩れるファン。
みんなで『ヒール・ザ・ワールド』(世界を癒そう。もっと良くしよう、という歌だ)を歌っている。
ただし、通りすがりの人たちが「ああ・・・マイケルファンだ」とか言って冷やかしながら通り過ぎて行ったり、
報道各社が写真を撮ったりしていたので、
わしはなんとなくいたたまれなくなってその場を離れ、
公園に入ってしばし散歩していた。
しばらくして戻ってくると、通りすがりの人らもいなくなり、
周囲も暗くなり、追悼集会ができる環境が出来上がっていた。
集まったファンは、200人以上。
皆で持ち寄ったろうそくを、マイケルグッズや写真の周りに並べていく。
確かにしんみりしてはいるが、ふわふわした、掴みどころのない雰囲気だった。
おそらく、みんなまだ、昨日今日のことなので、マイケルが不在の世の中に馴染めないでいる。
わしもそう。実感など全然湧いていない。
すごい数のろうそくが並んだけど、ボーっと見ているだけだった。
そして、久し振りにマイケルファン達の集団に加われて少し嬉しくなっているだけだった。
踊りたいなー、と思ってチャンスをうかがっていた。
そのために、ちゃんと細い黒いズボンと、スニーカーと、ハットを身につけてきたのだ。
なんとなくみんなも、しんみりしたり、ろうそくを並べたりするのに飽きて、ダンス待ちの雰囲気だった。
そのうち、黒人が一人ムーンウォークし、それをきっかけにして、わしは『ビリー・ジーン』(ビリー・ジーンは僕の恋人じゃない、だからその子どもも、僕の子どもじゃない、という歌だ)を踊った。
他のみんなも踊り始めた。
「リーさん」という、マイケルモノマネのセミプロのような人が中心になり、
その日来た、ダンスができる人たちがバックダンサーになり、
マイケルのビデオクリップやライブの再現をした。
初対面なのに、完コピできる!
うちらは、
『スムース・クリミナル』(アニーが殺されて、アニー大丈夫かい?という曲だ)と、
『ビート・イット』(けんかをしても、ケガするだけだがら、逃げよう、という曲だ)と、
『デンジャラス』(彼女はデンジャラスだ、という歌だ)と、
『スタート・サムシング』(何かを始めよう、じゃないと君は、野菜みたいなやつだ、という曲だ)と、
『スリラー』(今夜君に、どんなオバケよりもすごいスリルをあげるよ、という曲だ)の集団ダンスをコピーした。
『JAM』(私は寺だ、という歌詞のある歌だ)と、
『ヒューマン・ネイチャー』(この街が一つのリンゴならば、僕にかじらせてくれないか、という歌だ)と、
『BAD』(お日様の下に、顔を出してみろ、という歌だ)のダンスは、
難しいのでリーさんが一人でやった。
そうして、夜の9時になった。
わしは青山のバーでのお別れ会に行くために、渋谷に向かった。
渋谷で、Hさんを待った。
渋谷の人たちは、マイケル・ジャクソンのいない世の中を、ちゃんとそれなりに歩いていた。
Hさんが来ると、お腹が減っていたので、とりあえず渋谷のクアアイナに行った。
通常のバーガーにパイナップルをトッピングした、ハワイアンスタイルのハンバーガーを食べていると、
すぐに店内にかかっていた英語のラジオが、『スリラー』になった。
続いて、『リメンバー・ザ・タイム』(覚えてるかい?ビーチで、君と僕!イェー!という歌だ)。
さらに、『ワーキング・デイ・アンド・ナイト』(昼も夜も働いて、あー疲れた疲れた、という歌だ)も流れた。
世の中全体が、マイケルの人生の総まとめに入っているようだった。
マイケルの曲が、クアアイナの良い音響で大音量で聞けるのは純粋に嬉しかったけど、
わしは大好きなサムシングを奪われて、実感が湧く前に後片付けをされているみたいで、
小学校のクラスで教室の後ろの棚の上で青虫を飼っていて、
飼育係のわしは大事に葉っぱをあげて育てていたのに、
わしが休んだ日に青虫が死んでしまって、
わしの知らない間にクラスの女子が勝手に庭の隅の木の下に埋めてしまったことを知らされるような気分だった。
そろそろな時間になったので、Hさんと青山のバーに行った。
バーは、想像していた広さの4分の1くらいで、中はすし詰めだった。
そこで、マイケルが87年に来日した時に、日本テレビで放送された、横浜スタジアムのライブ映像が流されていた。
バッドツアー87、横浜。有名な映像だ。
このときのマイケルは、ものすごく楽しそうに歌い踊っていて、かわいくてかっこよくて、ひとつの究極の状態だった。
ごく控えめに言って、天使だった。
すし詰めの中で、わしはみんなと一緒にマイケルと一緒に歌い、
狭いから大きな動きはできないので、指を立てたり、指先をこすり合わせたりしながら、
はあ、我ながら、なんでここまで細かく、指を立てたり、指先をこすり合わせたりするタイミングを覚えているんだ?と思ったりした。
そしてマイケルは、
「アイルゴナギブユー、ザオールドソングス、ザオールドファッションウェイ」
と言って、ジャクソン5時代の最大のヒット曲である『アイル・ビー・ゼア』を歌った。

(この歌は、愛がある場所に、僕はいるよ、という歌だ。

しかし、ユーアーノットゼアー!)

そう思った瞬間、わしの目から涙が爆裂し、鼻孔から鼻水が暴発し、
わしの顔はあっという間にグシャグシャになってしまった。
マイケル、顔面崩壊は自分だけにしてくれよ。
ライブ映像でマイケルが『ビリー・ジーン』を終えて帽子を客席に投げると、
そろそろ終電なのでわしらは家に帰った。

週末が終わると、またいつもの生活が始まった。
しかし、2・3日経ってから、実感が湧きはじめて、がくっと悲しくなった。
そして、昨日あたりまで、微熱とだるさが続き、体のあらゆる箇所が痛むようになってしまった。
18歳の時に、ジャイアント馬場さんが亡くなって以来、
今まで何人かの、わしが好きだった「有名人」が亡くなるニュースを聞いた。
ジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、ホーク・ウォリアー、クリス・ベノイ、エディ・ゲレロ、橋本真也。
そのたびに、わしはとても悲しかったけど、
非常に不謹慎な言い方になってしまうが、ほんの少し、1%だけ、ウキウキした。
どうしてウキウキしたのか?考えてみると、
わしの頭が、好きな有名人の逝去を、どう消化するのかに、興味があったのだろう。
重ねがさね、大変不謹慎な考え方だとは思うが、
わしは今まで、地面に伏して泣き叫ぶような、何も手につかなくなるような、
本物の悲しさを味わったことがなかった。
だから、自分が味わったことのない感情を経験することに、ほんの少しだけ興味があったのだ。
でも、今回のマイケルの件(もしかしたら、三沢光晴の件も含まれているかもしれない)は、
本当に、わしを部分的に損なっていった気がする。
感想を言わせてもらうと、こんな悲しみは、もう二度と、味わいたくない。

でも、わしはポジティヴイズムで生きているので、
何としてでも、今回の件を、わしの人生にとってプラスにしていかねばならない。
それがミッションだ。
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# by syun__kan | 2009-07-12 13:06 | 日記 | Comments(2)

はいはい、ちょっと待ってねー

今日ほど、みんなから話しかけられたこともない。
わしは今、心配されている、と同時に、感想を述べることを求められているのかも知れない。
でも、わしもまだ、よくわからない。
三沢が死んだ時も、一週間経ってからでないと、文に表せなかった。
だから今日という日なんかは、まだ全然無理だ。
でも、わしは今、心配されている、と同時に、早急に感想を述べることを求められているのかも知れない。
だから、とりあえず何か書いておいたほうがいい。
と思って、今日の日記を書こう。

家にテレビがなくて、携帯でニュースを見ることもしないわしは、
なんにも知らずに職場に出向き、
授業の準備をしていたのだが。
みんなが、わしを見つけると話しかける。
でもその内容が、あまりにもばかばかしくて、
全然、その内容を頭に取り込めない。
その内容に向き合えない。
向き合ってしまったら、今日一日、仕事できなくなる。
だから、聞こえないふりをする。
でも、生徒でさえ、話しかけてくるんだから!
無理もない、体育の創作ダンスで「スリラー」を取り入れたのはわしだし。
おととしの体育で「スリラー」のダンスを考えて、今では定番になっている。
でも、みんなよく話しかけるけど、話しかけられても、わからない。
わし自身、その話を、人づてにしか聞いてないから、まだ信じられない。

はいはい、ちょっと待ってねー。

それに、職場はあくまでも公の場だから、公人として振舞わなくてはならない。
わしとその話をできる人は、ここにはだれもいない。

お仕事が終わると、西新宿のブート屋さんへ行った。
その店のレジに、いつも立ってる、くるくるパーマのお姉さんとは、その話ができる。
ブート屋さんで、今までまだ買ってなかった映像を、2つ買う。
そのうちの一つは、96年にヨーロッパで「アース・ソング」をパフォーマンスしている映像だった。
ちょっとロボットダンスをするとお客がすごく盛り上がることに気づき、
地球の環境破壊や紛争を憂いてる歌なのに、たくさんロボットムーヴしちゃう映像。
おちゃめすぎる。
お客の反応の良さに気を良くして、口パクなのに、それを無視して肉声で「ハーッ」と叫んじゃう。
かわいすぎる。
そんなあなたが、好きだったよ。
最後に、アドリブで入れた「Tell Me Why About It」…
あなたを知って、少なからず、わしの人生変わったよ。
なんでまた、再び、あなたがいない世界で生きなきゃならないのか。
やれやれ。まだ全然わかりません。
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# by syun__kan | 2009-06-26 23:47 | 日記 | Comments(0)

6月14日のエルボー

その日わしは、プロレスを観にいくことにしていたんだ。
5月の終わりに、一人の時間があったので、
ふらりと後楽園ホールの新日本プロレスを観にいったら、
飯伏幸太や、プリンス・デヴィットなど、
わしと同年代の若い選手の試合がとても良くて、
「また観たい!」と思って、14日のチケットを取ったのだ。
Hさんまで誘って、後楽園ホールの一番高い席を買ったのだ。
そしたら、14日の朝に、三沢光晴が亡くなったというニュースを知った。

三沢さんは亡くなった。みんなが知ってる通りだ。報じられている通りだ。
しかしわしは、幼稚園児のころからプロレスファンだったので、
みんなが知らないことも知ってる。みんなが感じないことも感じる。

三沢は、受け身の天才だった。
受け身の天才とはどういうことかというと、
相手の危険な投げ技を受け、真っ逆さまにマットに落ち、それでも怪我をしない、という技術の、第一人者だった。
90年代の日本テレビ 全日本プロレス中継30では、毎週のように真っ逆さまにマットに落ちる三沢の姿があった。

スティーブ・ウィリアムスのバックドロップを食らい、
小橋健太のオレンジクラッシュを食らい、
川田利明のパワーボムを食らい、
田上明の断崖ノド輪落としを食らい、
秋山準のエクスプロイダーを食らう。

お客は、そして視聴者も、三沢の身を案じつつも、熱狂した。
もちろん、相手も三沢の技を受ける。

スティーブ・ウィリアムスは三沢のエルボーを受け、
小橋健太は三沢のジャーマンスープレックスを受け、
川田利明は三沢のタイガードライバー91を受け、
田上明は三沢のエメラルドフロウジョンを受け、
秋山準は三沢の雪崩式タイガードライバーを受けた。

どんなに技を受けても立ち上がり、反撃する。三沢をはじめ、彼らはスーパーヒーローだった。

一流のプロレスラーは、耐久性のある体と技術を持っているので、致命的な怪我は負わない。でもダメージはたまっていく。体はすり減っていく。
三沢の首は、普通の人には無い、たしか「こっきょく」という骨ができて、
下を向きにくい状態になっていたと聞く。
本人は、飄々としたところがあるので、「べつに大丈夫。階段を降りる時に少し不便なだけ」と言っていた。
心配されることを拒んでるみたいに。
そして09年に、広島でなんてことはないバックドロップを受けて、首が限界に達してしまった。

これは、悲しすぎる。どれをとっても悲しすぎる。
簡単に抱えきったり、描写したりできるものじゃない。
今日プロレスする選手達のことを思っても、あんまりだ。
今日観にいくのは、新日本プロレスで、三沢はプロレスリング・ノアの選手。
別の団体とはいえ、同業者が殉職した次の日に、自分達は相手を頭から落っことしたり、殴り合ったりしなければならない。
穏やかな気持ちで試合に臨める人は、いないだろう。
でもわしは、観にいく前からわかっていた。
選手達は、いつもと変わらず、目いっぱいプロレスをする。

実際、観にいったら、思ったとおりだった。
第一試合の前に黙祷があって、超満員のお客さんは、みんな泣いていたけど、
試合が始まると、負の要素は全部吹き飛んだ。
愛を込めて相手を頭から落っことし、祈りを込めて殴り合いをしていた。
とくに、わしと同年代の選手は、とても頑張っていた!
飯伏幸太はムーンサルト・ムーンサルトでリングを跳ね回り、
プリンス・デヴィットはトペコンヒーロで客席まで飛んできた。
全9試合、2時間半、彼らはお客の全部を忘れさせてくれていた。

90年代、ヒーローだった三沢は、09年に、試合中のアクシデントで亡くなってしまった。
今日、大活躍して、みんなの気持ちを吹っ飛ばした飯伏やデヴィットは、
どんな2010年代、2020年代を迎えるのだろう。
というか、わしも、どんな2010年代、2020年代を迎えるのだろう。
でも、プロレスラー達は、とにかく、すごく月並みな言い方だけど、今を生きていたのだ。
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# by syun__kan | 2009-06-19 17:16 | 日記 | Comments(0)

携帯が壊れたポジティヴィスト

「一つの扉が閉じたとき、必ずもう一つの扉が開く。
でも人は、閉じた扉ばかり見つめて気にしていて、
もう一つの開いた扉に気がつかない」

と言ったのは、ヘレンケラーだっけ?わしはこの言葉が好きだ。
あと、ブッダの

「暑さと寒さと、飢えと渇きと、その他全てのものに打ち勝って、
ただサイのツノのように前へ進め」

という言葉も好きだ。
要するに、ポジティヴィストなのだ。
何事も、プラスに捉えようとする。

そんなわしが、先週火曜の夜に、自転車に乗りながら、携帯電話を落とした。
自転車の後輪が、携帯を踏んづけてしまい、ひびが入ってしまった。
そして、画面が、虹色のサイケな感じになってしまった。
どうした?直れーと、携帯をコンコン叩いているうちに、画面は真っ黒に。
ああ、携帯の画面が死んでしまった。
で…、よく考えると、これは大変なことだ、と気づいてきた。

まず、メールが読めない。
電話はできるだろうか?知っている番号を押してみたら、つながった。電話を受けることもできるっぽい。
でも、アドレス帳が見れないから、記憶している番号以外のところには、電話できないということだ。

あらら。これは要するに、昔の黒電話といっしょだ。
ダイヤル回して、電話をかけることはできる。
電話がかかってきたとき、その場に居れば、電話に出ることもできる。
しかしそれ以外は、何にもできない。
文鎮と、ペーパーウェイトと、カップラーメンのふたの重しにはできるかもしれないが、
そんなことは求めていない。

困ったことになった。マイナス100ポイント。
ああ、落ち込む。でも、ポジティヴィストとしては、なんとかして、この「携帯が壊れた」という事実を、プラスに捉えたい。
携帯が壊れたことで、何かプラスに作用したことがあったはずだ。
それらを換算して、このマイナス100のビハインドを回復しなければならない。

翌日水曜日、早めに仕事を切り上げて駒込のドコモショップへ。
対応してくれたのは、マチスのようなタッチでファンデーションをつけている女性。仮にマチ子さん。
わしは故障した携帯を五千円で新品に交換する保障に入っていたらしく、その手続きに入る。
新品の携帯が届いたら、古いのと一緒にドコモショップに持ってきて、データを移す操作をすることに。
しかしマチ子さんは、わしの携帯の機種が「ノキア」であることがわかると、慌てだす。
どうやら、ノキアは、データが移りにくい機種で、
アドレス帳なんかも、もしかしたら、新品の携帯に移らないかもしれないとのこと。
とりあえず、契約者がわしの父の名前なので、父からドコモの修理・交換センターに電話して確認を取ってもらう必要があるとのこと。

ああ、アドレス帳が移らなかったらどうしよう。さらに落ち込む。
でも、マチ子さんとは、この機会が無かったら、一生会話することはなかっただろう。
携帯の修理・交換の手続きは、「困った」「どうにかしたい」という感情を共有することになるので、
普通のレジよりもコミュニケーションとして面白みがある。
マチ子さんとの邂逅は、やはりプラスとして捉えてよいだろう。プラス21ポイント。
そしてこの機会に、実家にも電話できた。それもまあ、良いことかもしれない。プラス18ポイント。

翌日木曜日に、父からわしに電話があり、修理・交換センターには電話をして確認を取ったものの、
わしが再度修理・交換センターに電話して、修理・交換センターに自分の住所を伝えなければならない、とのこと。

そして、修理・交換センターには営業時間というものがあり、その日はもう電話できなかった。
さらに、翌日金曜も、家に帰るのが遅くなり、電話できず!ああ、ややこしい!

結局土曜に電話し、新品の携帯は日曜にゆうパックで届くことに。

しかーし、日曜は外出して帰宅が遅くなり、ゆうパックを受け取れず!

ああ、わしはとにかく手続きというものが苦手なのだ。ダメージが溜まってきた。
それに、メールを読めない日も、積み重なってきた。
普段、あんまりメールは使わないのだけど、万一、大事なことが送られてきていたらどうしよう、という不安感も募ってきた。

不在票によれば、新品の携帯が保管してあるのは、王子郵便局。
もう、再配達とか嫌だ。取りに行ってしまおう。
電話してみると、「23時以降なら受け取れる」とのこと。
明日仕事で5時半起きなんですけど…。

でもこれ以上手続きが長引くのは嫌なので、わしは地下鉄に乗って、夜22時半に王子郵便局に向かったのだった。
しかし王子郵便局、駅から若干離れてる!ついでにメインストリートからも離れてる!
道に迷った!たどり着いた場所は、暗くてよくわからんかったけど、
児童相談所や大学の寮なんかが隣接する界隈で、微妙に怖かったなりぞ。
新品のノキアは手に入れたが、わしは疲れきって、家に着いたらすぐにふて寝した。

まあ、わしはひとけのない夜の道を散歩するのは割と好きなので、この経験はプラスと捉えよう。
夜の王子の街なんて、こんな機会じゃなきゃ絶対訪れないもんな!プラス36ポイント!!

翌日、今週月曜日の帰りに、データを移すために、仕事場から最寄り駅のドコモショップへ。
対応してくれたのは、短いパーマのお姉さん。
しかし混んでて待ち時間30分…。やれやれ…。この待ち時間を、どうにかして有効利用できないだろうか?
そうだ、話題の、村上春樹の新刊を買いに行こう。読みたい。
そしてわしは、近くの小さな書店へ。
売り切れの店も出てる、というニュースも見ていたので、はたしてあるだろうか?
あった、村上春樹。購入した。なかなか買いに行くチャンスがなかったので良かった。プラス17ポイント。

ドコモショップに戻り、携帯のデータを移す。
やはりノキアはデータが移りにくいようで、時間がかかる。
短いパーマのお姉さんも、真剣な表情。
結果的に、アドレス帳は新品に移すことに成功した。良かったーー。
「ありがとうございました」とお礼を言って、店を出て、村上春樹を読みながら帰った。
じゃあ、この際、短いパーマのお姉さんと一期一会できたことも、プラスポイントにしてしまおう。プラス15ポイント。

そしてわしは、再び、現代人らしい、携帯電話のある生活を手に入れたのだった。
そして、話題の村上春樹の新刊も読んでる。
まさにイマドキの日本人だ。21世紀人だ。ハハハ。

今日、池袋の大型書店を歩いていると、村上春樹の新刊が売っているのを発見。
やっぱり売れてるんだなー。
しかしよく見ると、カバーデザインが二種類あるぞ?

なになに、上巻?下巻?

村上春樹の新刊は、上下巻に分かれていたのか!知らなかった。
そしてわしが自信満々に読み進めていたのは…下巻だったなりぞ…。
今週月曜に購入した小さな書店は、上巻は売り切れていて、下巻しか置いてなかったのか…。
それをわしは、てっきり一冊で読みきりだと勘違いして、購入し、読み進めてたのだ。
これは痛い!
なにしろ、もう118ページまで来てしまってる。青豆はもう、ゴムの木に、最後の水やりをしたのだ。マイナス49ポイント!

結果発表ー!
携帯が壊れてから、今夜までの、プラスマイナスを換算すると…

マイナス40ポイント…。

だめだ、携帯を壊してしまった事実は、どうしても、わしの人生にマイナスに作用している・・・。

じゃあ、こう考えよう。
携帯が壊れたことをネタにして、わしはこの日記を書くことができた。
この日記を読んだ人が、笑ってくれたら、それも良いことだから、プラスポイントにしよう。一人1ポイント加算。

めざせ41アクセス!!
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# by syun__kan | 2009-06-05 23:36 | 日記 | Comments(6)

金箔の肉片の記憶の断片

今になって思い返してみると、
あれはとっても…

・おもしろかった。
・不思議だった。
・悲しかった。
・楽しい時期だった。
・チャンスだった。
・怖い体験だった。
・貴重だった。

……など。
昔の出来事について、久々に思い返して、新たな感慨を抱く。
そういうことってある。

最近、夕飯を食べながら、大学時代のことを思い出した。
わしは、多摩美術大学の彫刻科、諸材料専攻だった。
彫刻科は、木とか、鉄とか、石とか、素材ごとに専攻が分かれているのだけど、
「諸材料専攻」は、ようするに材料的に「なんでもあり」なことをしたい人が集まるところで、
一番自由度の高いところだったと思う。
諸材料専攻では、年に4作品くらい作るのだけど、
制作に入る前に、メンバーと教授の石井先生、客員教授の池ヶ谷先生で小さい視聴覚室に集まって、イスを輪に並べて座って、
メンバーがそれぞれ、自分が作ろうとしている作品を、教授にプレゼンするのだ。
それを聞いて、教授が意見したり、みんなで考えたりする。

あるときは、Tちゃんが、
「肉に金箔を貼りたい」
と言った。
金箔を貼って、生の大きな肉片を覆い、作品にしたいとのこと。
教授が、「金箔…!T、肉に金箔だと?金箔…うーむむ…」と、うなる。
肉に金箔。その意味について、みんなで考え込む。

この世の中に、金箔で覆われた肉片を存在させることの意味を考える。
金箔で覆われた肉片が存在している世の中を想像する。
金箔で覆われた肉片が存在する世の中と、存在しない世の中を比較する。

みんな、「ふーむ…」と黙り込む。
頭の中を、一時的に、肉と金箔で満たす。
肉とはなにか考える。
体の一部だし、食品でもある、などと考える。
過去に誰か、肉に金箔を貼った人はいなかったけか、と自分の記憶をチェックする。
(先に誰か、やったことがあることは、価値ががくんと落ちてしまう)
視聴覚室には、沈黙が満ちる。
肉と金箔がもたらした沈黙…

教授が、「関口、どう思う?」と、わしに意見を求める。
わしは、
「ええと…食べられますね。金持ちの料理みたいに。
高いお酒に、金箔が入ってたりするから、金箔を貼った肉も食べられるはず」
と言う。
教授が、「なに、食べられるだと?」と言って、目を少し大きく開く。
そして、またみんなで考え込む―――

平日の夕食時に思い返したので、
その記憶は、なんだかとっても、精神的に離れたところの記憶に感じられた。
何しろ、明日も仕事だし、何時までにお風呂に入って、何時までに寝て、
明日は5時半に起きて、朝のうちにあの仕事を片付けなければ…。
そのためには今、あと10分で、この回鍋肉の肉片を食べきらなくては、なんて考えている時だったから。
たかだか、4年前の、自分自身の記憶なのだけど。

今になって思い返してみると、
あれはとっても…素敵で不敵で危うい時期だった。
離れてはいるけど、いつでも行き来は可能、ではある。
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# by syun__kan | 2009-05-30 11:13 | 日記 | Comments(0)