鍋に投げ込んだそうめんの麺が、
テープで巻かれたままだった。
悪夢。
今も思い出す。
学生時代の初夏の記憶だ。
「あ!」と声をあげて拾い上げ、テープを取って再び鍋に入れたものの、
湯に浸かった部分は、時すでに遅し、
癒着し合っている。
パスタなら、こうはならないだろう。まだつぶしが効く時分だ。
ほぐれる時分だ。
しかしそうめんのゆであがり時間は短い。
すなわち、麺が硬質な個体としての独自性を保つ時間も短いということだ。
わしが菜箸2本を、右手と左手に持ち、どんなに鍋の中で麺同士を引きはがそうとしても、
それは体にまとわりつく、6月下旬の暑さのように、分離しない。
やがて、半分がすいとんのようにつながり、半分がばらけて麺になった、
非常に中途半端な…
分類学的に言えば人魚のように中途半端な、食べ物が出来上がったのであった。
わしはそれをつゆに入れ、ぐにょぐにょと咀嚼したのであった。
6月…
6月は、日が長いという一点に於いてのみ評価できる。
これは素晴らしい、わしにとって無条件に嬉しいことだ。
日が長いという事実が、なんでか、とても好きだ。