高崎美術学院入学案内にて、三宅感君と対談
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関口の出身大学は多摩美ですが、
それ以前の、高3の時には、高崎美術学院、通称タカビという予備校に通っていました。
三宅感君や戸坂明日香さんとは、そこの彫刻科で知り合いました。

今回、2018年版の入学案内に、ОBとして、
三宅感君との対談を載せていただきました。
昨年末に、関口が通っていたころから講師だった北村真行さんの司会で、
青山のカフェで、対談というか普通におしゃべりし、
収録しました。

アーティストにとって、芸術について語ることは借金です。
アーティストは、頭で考えたら、次には、口ではなく手を動かすべきだからです。
これだけアートについて、二人で語ってしまったら、
それを取り返すくらい、
二人は今年、一生懸命、制作しなくてはなりませんな。

しかしながら、三宅君との関係が、このパンフレットのように形になるのは、
二人の語りが、誰かの参考になるかもしれないと、
見込まれたわけですから、
感慨深いものがあります。
絵の具でドロドロになったイーゼルと石膏像が詰め込まれた部屋の片隅の木炭で汚れたパンくずみたいな存在でしたからね。

北村さんに頼んだら、対談の文字データをいただけたので、
ほんの少し修正して、ここに載せてしまいます。
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高美から美術大学へ進学し、現在、現代美術の世界で活躍する、関口光太郎さん、三宅感さんからお話を伺いました。芸大・美大卒業後の進路や生き方はさまざまです。特に制作活動を続ける作家の生き方は一人ひとり異なります。活躍するOB の対談から進学後、卒業後の自分を想像してみましょう。

岡本太郎現代芸術賞岡本太郎賞受賞

司会: 本日は、タカビ彫刻科の同期で、また岡本太郎現代芸術賞岡本太郎賞受賞者のお二人にいろいろお話を伺おうと思います。時期は違いますが、お二人ともに大賞受賞という快挙に驚きました。

関口: 僕は2012年に受賞しました。卒業後、三宅一生さんの企画する展示に出品して、もうデビューという感じですごく幸せだったんですど、その後は何もなくて「どんどん打ち出していかないと、すぐ終わっちゃうんだ」と思って「もう一度自分からトライしなきゃいけない」ということで、二年かけて太郎賞に向けて死ぬ気で制作しました。受賞した時は本当に嬉しかったです。自分が世の中で芸術をやっていい人間なのか、ということを賭けてやっていました。その時の太郎賞は震災後ということもあって、そのことへのアンサーが求められていると感じ、震災への思いをテーマにしました。

三宅: 関口くんが受賞した時、搬入を手伝ったんですけど、「これやばいな。関口くんに賞取られちゃうな」ってハラハラしてました。受賞発表をバイト先でネットで知って、すごく悔しかったんですけど、とりあえず「おめでとう」ってメールしました。

司会: 関口くんは、受賞したのは20代?

関口: 28歳ですね。 受賞の後、色々なメディアで「20代の新進気鋭のアーティスト特集」みたなのに取り上げられて、やっぱり若さって価値があるから、ギリギリの年齢でしたね。「天狗にならずに、自分からゼロから打ち出していくのがアーティストの人生なのな」と思いました。その作品のタイトルが『感性ネジ』っていうんですけど、ネーミング感は実は三宅くんから影響を受けています。「感受性ベロン」っていう、未完だけど映画を作ってたよね。言葉のセンスがすごくいいので、ちょっと拝借しました。

三宅: その受賞作品展示の時に、関口くんが「三宅くんもきっといけるよ」と言ってくれて「じゃあ、やってみるよ」と。30代にも突入しそうだったし、それがくすぶっていた重い腰をあげるきっかけでしたね。

司会: あの巨大な壁画は、じゃあ関口くんの言葉がきっかけで?

三宅: そうですね。関口くんに触発されてなかったら作ってなかった。で今思うとあの壁画はとても作り込みがあって、具象性の高い作品ですよね。それは自分の中では満足でいいんだけど、もっと抽象的に周りを引き寄せる余地はなかったのかなと思いますけどね。

関口: そんなことはないと思うけど、抽象的だからいいってことはないよ。

三宅: だから、次の作品はもっと、どうとでも取れるような、流動的というかフローな感じの作品を作りたいですね。あるいは、展示する場所に違和感を打ち込むようなものかな。例えば、セクシュアルなものとか。彫刻って、重力とか素材とかいろんな制限があるんです。それって作っいくごとに、体も動かすし、現実的な側面ばかり見えてきて、とても男性的な部分があると思うんです。僕は、両親が武蔵美の油絵出身で、頭の中は完全に抽象形態というか、どこまでも脳みそだけで飛躍するようなタイプの人間なので、その生感覚とか肌っぽい感じを彫刻に入れたら、すごく気持ち悪い感じが出て良いんじゃないかな、って。

関口: それは楽しみですね。

大学時代

司会: 大学時代はどんな感じでしたか?

関口: タカビで出会ったのが、三宅くんだったり、他の後輩だったりと非常に魅力的なメンツで、高校時代孤独だった自分にとってとても衝撃的でした。「あ、美大の世界にはこういう人たちがいっぱいいるんだな。」と希望を持てました。でも、大学に入ってみると割とフツーで、カチカチに固まった粘土みたいで、それをどうつき崩すかという感じだったんですけど、思うようにはいきませんでした。1, 2年の頃は、授業の内容もアカデミックなことが多くて、冬休みとかも長いし一日誰とも口を聞かないこともあって、完全に意気消沈していました。でも、ある日のバイトの帰りがけに、原付で転倒し怪我して「このままだといつ死んでもおかしくない。でも、明日死ぬとは限らないんだから、精一杯やろう」と、そんなことで意識の改革が起きたんですね。ピカソって、作品数が2~3万点と言われていて、それって一日一個制作より多いんですよ。「じゃあ、自分は天才じゃないんだったら、ピカソより多く作るしかないんじゃないか」って。それで3年になってから、生まれ変わったんですよ。

三宅: 変わったよね。確かに。

関口: やっぱり、1,2年生の時は教授とかの伝統とか、あるいは「彫刻とはこうである」みたいなアカデミズムとかを意識するから、その範囲でしか活動できてなかったんだけども、それがある時点で、いい意味で「バカバカしいな」と思えたんですよね。それで、まず手を動かすようにして、とにかく「頭で考えて口で喋って終わりにするのはダメだ」と思って。頭で考えたら、口じゃなくて手を動かして作品にして、それでその作品に対する批判を胃で受けよう、と。

三宅: 批判されるの?

関口: 実際されることもあるし、自分で「ダメだった!」って落ち込むこともあるし。とにかく、口じゃなくて手を動かすんだ!という意識改革をしていたら、楽しくなって色々作っていきましたね。

司会: ガムテープで作品を作るということはその時に始めたんですか?

関口: そうですね。当時はスーパーフラットとか、手の痕跡が全然残ってない現代美術が主流でしたから、僕はそれはちょっと違うというか。自分の愛する美術は、図工の延長なんです。手を動かして何かを作り出す、もっとプリミティブな喜びが溢れているものが好きだったから。三宅さんは、好きなメディアでいうと、彫刻というより映画とか音楽とかですよね。

三宅: そうですね。でも彫刻の道に進んだことは間違っていたとは思わない。映像とか音楽とかっていうのは、重力もないし、抽象的ですよね。それって、どこまでも行けるんだけど、生活実感からどんどん遠のいていっちゃう恐れがあるんですよ。例えばその辺のおばちゃんが見て「あっ!」と思うような掴みの部分がなくなっちゃう。でも、彫刻というのは、どうしてもそこに「ある」から。即物性で訴えるという部分で言えば、どんなに頭の中で飛躍したとしても彫刻である以上、ね。

関口: うん。まあ、でも、今彫刻とかレリーフで活躍されているということは、一重に一人でできるから、だと思うんですよね。やっぱり映画とかは、とにかくいろんな人の力を結集させる指揮者的な力があまりにも重要で。それって大変ですよ。

三宅: 20代はそんな感じで、いろんなことやってたんだけど、唯我独尊的に自分を前面に押し出すってことはやっちゃいけないんじゃないかっていう意識がすごく強くて。20代は暗黒でしたね。今だに表現媒体は安定してないですけど。

関口: でも、例えばよく一発芸でブレイクする芸人さんみたいに、僕はこれをやればいいんだ、ってものはできたけど、逆に言うと期待されるのもそれだし、これから多分ずっとやるのもそれであって、必殺技でもあり自分を縛るものでもあるんです。スタン・ハンセンだったらラリアットしないと終わらない、みたいな。僕の場合は、それが新聞紙とガムテープなわけです。三宅くんは、その必殺技ができてない状態で、それがおもしろいなと。それで、今レリーフっていう、彫刻でもなく絵でもないところにいるっていうことは、三宅くんの今の象徴みたいなところもあるんじゃないかな。

三宅: まあ、いろんなことをやってみて諦めて、の繰り返しですけどね。でも、よく日展とかでみる絵画って、四角に収まってるじゃないですか。当たり前なんだけど、みんな横もはみ出してないし、素直に規定に従って収めてる。僕は、それがもどかしく感じちゃう。

司会: そういう感覚って、やっぱり絵じゃなくて立体をやっている人の共通感覚なんですかね?フォーマットに収まっちゃつまらない、と。

三宅: かといって、彫刻の「カチン」完結です、という感じも嫌なんですよ。だから願わくば、常に液体みたいなものを作りたいですね。

関口: そういうことになると、映像、ということになりますね。芳醇なものというか。

司会: マシュー・バーニーとかは好きなのですか?

三宅: それよりは元奥さんのビョークの方が好きですね。あの人は絶対に肌感覚から離れない。どんなに最先端のテクノロジーや若いミュージシャンを使っても、絶対自分の肉体とか自然とかからは離れないんです。テクスチャをぐちゃぐちゃ弄って脳みそだけでピューンと飛べちゃうような最先端のものは、確かに「わっ、見たことない!」「斬新だ!」と思うけど、日常の血の通った人間として見たときに、何もこっちにフィードバックが返ってこないんです。

タカビ時代

司会: では、タカビ時代についてと、これから美術を目指す若者について一言お願いします。二人とも現役合格だったから、時間としては濃縮されているかもしれないけど、その間に何を考えていたかなどと、今後美術を志す若者に向けて。

関口: タカビに入るまで、自分の進路について全くイメージできていなかった。それで高2の時に進路をきめなきゃいけないということで、得意なことが美術や図工しかなかった。それだけだったんです。でも、それで美術予備校に入って、自分より上手い人がわんさかいる。それを目の当たりにして、打ちのめされたと同時に、頑張らなきゃいけないな、と。あとは、タカビにいるときに、「アートとは何か。彫刻とは何か。」ということを十分に教えてもらったと思います。個性を出そうと変なことをすると、全然ダメ。ルネッサンス期のミケランジェロとかの自然な動きだったり、形の跳ね返りだとかにヒントを見出さなきゃいけない。っていう教えは、本当に勉強になりました。優しい解説本みたいな指導じゃなかったけど、本質的な芸術論・彫刻論について教わった気がします。でもデッサンについて言うと、僕は現役で受かっちゃったから、そこまで習熟したものができなかったですね。もともと形を取るのは下手じゃなかったけど、木炭使って奥行きを出すとか、ああいうテクニックは最後まで掴めなかったです。三宅くんはね、デッサンがすごく綺麗なんですよ。あれはもう、ギフトだね。

三宅: 器用なんですよ。

関口: 木炭による表現みたいなのを掴む前に、持って生まれた、形取るのがちょっと上手っていう力だけで受かっちゃった感じなので、もう一年タカビに通っていたらもっと色々発見があったのかもしれないな、とは思います。あと一つ言えるのは、それまで孤独が染み付いていましたから、17,8歳の時期に、タカビが唯一の居場所だった感じはします。あそこでしか息ができない、っていうと大げさだけど、他のどこにいても違和感がありましたから。タカビは本当に、居場所でしたね。

三宅: 僕は、高校は半年で中退しているんで、タカビが高校みたいな感覚でしたね。でも、真面目でしたね。油絵の講師に話を聞いてもらったり。 でも自分で卑下することないと思うけど、僕はあくまで出来上がったカルチャーをどうやって味わうか、というかつまり表層的な人間なんです。関口くんはそういうの興味ないじゃん。

関口: ないですね。というか、僕はどちらかというと普段美術界に全然興味ないんですよ。今は教育の現場にもたずさわっているし。

三宅: それでいいんですよ。要するに美術っていうのは、表層の上澄みをくみとってもしょうがない。もっとフィジカルなものだから、その人間の動きようみたいなものが根幹で、作品として現れてくるから。 だって縄文時代から受け継いできた、大して顔や形の変わっていない血肉の上からプロジェクションマッピングを照射して「これが最先端の表現」っていうのも、どこか虚しくて。

関口: 僕は別に最近は、それで人が喜ぶならいいじゃん、って思っちゃいますけどね。同時に、そういうものを作ってる人たちの頑張りにも思いを馳せるようになりましたね。タカビとか多摩美の頃のとんがってた感じは、今思うと懐かしいですね。で、今世界に一言申すことができるなら「多様性を認めよ」ってことですね。いろんな人がいて、いろんな考えがあることを認めて「いいねそれ」って。

芸大・美大をめざす人へ

司会: それでは最後に、これから美術を志す若者に一言。

関口: 美術の魅力というのはですね、例えば全ての財産を失ってたった一人になったとしても、美術ができる人っていうのは、絵を描いたりその辺の小枝で何か作ったりしても幸せを感じられるんです。つまり、絶対に絶望しないんです。それはすごい力だと思います。だから、ぜひ志したなら、美術続けてほしいです。

三宅: 何か誰かがアクションを起こしたら、それは無視は絶対できないんです。例えば自分の嫌いな人でも、その人がやっていることをやめちゃったら「えっ、なんでやめてしまったの!?」ってなる。だから、アクションを起こし続けて欲しいです。

司会: 本日は、楽しいお話ありがとうございました。

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by syun__kan | 2018-03-04 21:24 | 日記 | Comments(0)
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現代芸術家、関口光太郎の日記。
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