よーし、今日は、覚悟を決めて、プロレスについて書くぞ。
これはハードな試合になる。
わしはプロレスが大好だ。
特に好きだったのは、90年代~2000年代初め。
90年代は、地上波のテレビでよくプロレスが流れていたし、
ドーム級の会場で試合をしても満員だったし、
元オリンピック選手とかがプロレスに入団したりして、
華やかな時代だった。
ここ10年くらいで、プロレスはすっかり地盤沈下してしまったようだ。
少し寂しいなあ。
わしは教員なので、「プロレスが好き」と公言することは、少しはばかられる。
プロレスは、やっぱりダーティなイメージで見られがちだから。
(中学の英語のテストで、「プロレスが好き」という内容の英文を書いたら、文章としては間違ってないのに△だったよ!)
なぜにプロレスとは、忌み嫌われる傾向を持つのか?考えてみよう。
・血が出るから。
・真剣勝負ではないから。
・ヤクザっぽいから。
・おなかの肉が、ぷよぷよしている人が出ていたりするから。
・子どもがまねする。
プロレスは、間違いなく魅力のあるジャンルだ。
でもその魅力は、一言では言い表せない。
だからといって、長々と説明しようとすると、聞いている人はどんどん引いていって、
わしはどんどん痛々しくなる。
プロレスファンなら、そういう経験があるのではないかなあ?
その結果、プロレスファンは、ひがむ。
オタク化が進む。
太る。
ださいメガネをかける。
黒くて襟がダルダルのTシャツを着る。
モテない。
試合会場には、モテないオーラが充満する。
プロレスというジャンルのステータスが下がる。
そんな悪循環もあると思う。
でもわしは、やっぱりプロレスが好きだ。
時代と共に、プロレスは、存在の仕方、定義を変える。
プレイヤーが、「プロレスとは何か?」を、問い続けながら、仕事をしていく。
ここが、アートに似ている。
野球選手は、「野球とは何か?」と問い続けながら仕事しないと思う。
「野球」というジャンルに対して、疑問を持ったりしないと思う。
「いつか野球というものが、揺らぐ時がくるかもしれない」とかは、考えないと思う。
それに対してというわけじゃないけど、
アートというジャンルは、プレイヤーが常に「アートとはなにか?」を、問い続けなくてはならない。
プロレスも、そういうところがある。それがプロレスの面白いことのひとつ。
それから・・・
ああ、まずい!つい「長々と説明」しようとする方向に走ろうとしていた。
やっぱり、この際、ロック的に、プロレスへの思いをぶつけるのが、最善なのだと思う。
蝶野正洋、好きだ好きだ好きだー!
蝶野の体の、年齢に忠実な衰えが、人間らしくて好きだーーー!!!
武藤さーーん!
長州ーーーりーーきーー!!!!
コブラツイストが建築っぽくて好きだーーー!!!
獣神サンダーライガーのツノーー!
ああ、それと、プロレスファンは、せめて試合会場に行く時だけでも、
こぎれいな格好をしていくことをお勧めする。
わしもがんばるから。
オタク文化としてではなく、
現代アートを「フンフン」と、わかった顔して観賞するような、
文化的に高尚なものを摂取しているんだと言わんばかりの態度で観に行って、プロレスのイメージを変えよう。
少なくともわしは、ギャラリーに行くのと同じ感覚で観にいってるよ。