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カーモンベイべー川口
今年前半は、アート系の仕事があんまりなくて若干さみしかったですが、
後半は、なんやかやと色々あって忙しくしています。

今度の土曜、12月22日は、川口市立アートギャラリー・アトリアでワークショップですよ。
みんなで「宝船」を作ります。
まだ満員に達していなく、余裕があるようです。
500円の有料でわりと直前ではありますが、
興味のある方は、申し込まれてみてくださいね!

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by syun__kan | 2018-12-16 00:04 | 日記 | Comments(0)
おじいさんは川へ
仕事でミスして、
落ち込むといったようなことも、
わしは、当然ありますよ。
アーティストが、繊細じゃない訳ないではないか。

わしの仕事は特別支援学校教員、
仕事が立て込み、遅くなった夜、
若干の傷心を慰めようと、
XJapanを聴きながら帰宅中、
もうすぐ家という所の交差点で、
YoshikiのドラムやToshlさんの声をかいくぐり、
「すみません!」
という声がわしに届く。

振り返ると、若干体勢を崩しながら電気アシスト付き自転車にまたがったおじいさんが、わしを呼んでいる、
イヤホンを外して少し戻って、
「何ですか?」
と聞く。
おじいさんは、
「○○川は、どこですか?」
と、聞いてくる。

わしは、「○○川」について、
何か聞いたことがあるけど、それが何なのか分からず、
町の名前なのか川の名前なのかも分からず、

「○○川、ちょっと分からないですね、
とりあえず、あっちに行くと新座です。
こっちに行くと清瀬です。
そっちに行くと、何か川があります」
みたいに、
その地点からどこに行けるかについて、説明するが、
おじいさんには全くピンと来ない様子。

そこでわしは、奥さんに電話する。
「今ちょっとさ、
うちの近くの交差点で、迷ってる人がいてさ、聞かれたんだけど、
○○川って、どこだっけ?」
すると、
それは車で30分ほど行った所にある地名だと分かる。
なまじ電動アシストなど付いているから、こんなに遠くまで来てしまったのか。
わしは薄々感じていたことが、やや確信に近づく。

「あのね、
○○川は、あっち方向何ですけど、
ここからは、かなり遠いです。
自転車で行くのは、けっこう大変なんじゃないかな。
おまわりさん呼びましょうか?」

おじいさんは、やはり「いや…いいです」と。

「もう遅いし、雨もちょっと降ってきたし、
案内してもらうだけだから、おまわりさん、呼んどきましょ」
と押すと、
「…ああ…はい」
と納得していただける。

わしは、生まれて初めて、110番を押した。
大きな道路の傍ら、よく聞き取れないが、
どうやらうわさに違わず「事件ですか事故ですか」と、
早口で聞かれる。
わしは
「どっちだ?」
と一瞬考え、どっちでもないなと思い、
「ええとね、迷っている人がいるんですけどね」
と伝えると、今どこですかという話になり、
わしは住所や、交差点名を伝える。
「迷っている方は何歳くらいですか」
と聞かれ、
「ええと、ご高齢に見えますけど」と言うと、
「いくつくらい」と言われ、
「ええと、70…80くらい?」
「迷ってる人に聞けますか」
と言われ、
わしはおじいさんに、
「あのね、おいくつですか?」
と尋ねる。
「77歳」
と、おじいさんははっきり答える。
「77歳だそうです」
と伝えると、
「ああ分かりました。すぐにパトカーが向かいますから」
ということで、わしは
「少し雨が降ってきましたのでね、
その交差点に眼科があるのですけど、その軒下にいます」
と伝える。

わしは、おじいさんと、眼科の軒下に移動し、
次いでおじいさんの自転車も移動させ、
やや降ってきた夜の雨の中、
おじいさんと待つことになる。

友人の三宅感君は、ああ見えて紳士だから、
小さいころからこういった迷い人を助けることが多かったそうだが、
わしは初めてだ。
しかし、この流れ上、やらざるを得ない。

大体わしの職業も、
非常に陳腐であるが、「困った人を助けたい」という思い、
というか本能に基づいている気がする。
ああ、陳腐以外の何物でもない。
教員など、子どもの人生の中の、
ほんの数年間、関わるだけだ。
親御さんは、一生関わるのである。
それと比べて、
ほんの数年関わるだけの、無責任な立場なのに、
人の人生に対して「ああだこうだ」口を出し、
なんとおせっかいなことか。
それでいて、「あわよくば感謝されたい」などと思っているなんて!
おこがましすぎる。
そんな身分ではない。
本当は、
「誰かの役に立った」という実感を得て、自分が救われたいだけだ!

ただ!

それで何が悪い、とも思う。
わしだって、生まれたときは排泄から食事から、何もできず、
両親を中心にお世話になり続けた。
今は自立しているけれど、
いずれまた要支援に戻っていくかもしれない。
わしは自立している間は、困っている人を助けるのだ。
これは人の本能なのだと思う。
困っている人というのは、色々な理由で、生み出されていく。
それは、自然の摂理とも言える。
そういう人たちを、見捨てるという選択肢も、どこかにあるのかもしれないよ、
しかしわしは、そして多くの人は、見捨てたりしないのだ。
これは自然の摂理への反抗なのかもしれない。
反抗すること、
太郎風に言えば運命に盾を突くことが、すなわちROCKだ。
そして一見、効率的、生産競争主義的でないものに価値を見出すのが、ARTなのだと思っているよ。
自分の仕事はROCK でARTなのかもしれないと、
薄々思っている。

しばらく待っていると、
警察署から電話があり、
「迷っている人のお名前は?」
と聞かれる。
おじいさんに尋ねると、はっきり名前を答える。
電話で伝えると、
その方は今ちょうど届けが出ていて、
息子さんが探しているとのこと。

おじいさんにそう伝えると、
「そうですか」
と。
おじいさんは、骨張った両手の薬指に、ごつい指輪をしている。
なかなかパトカーが来ないから、
「今日は12月なのに暖かかったですね」等、
話を振るが、長く続かない。
しかしそのうち、少し心を開いてくれたのか、
家族の話など、少ししてくださる。
好々爺、という感じだ。
合間合間に、
わしが一緒に待っていることについて何度も「すみません」と謝られる。
病院の帰りに、道に迷ってしまたそうだ。

20分ほども待ち、
ようやくパトカーが来る。
中から二人の警察官が出て来て、
見つけたときの状況、
わしの電話や住所を聞かれる。
わしは、
「このおじいさんはパトカーで送れるとして、
この自転車はどうすんだろ?」
などと思いながら、
「では、失礼します」
と言って、
ようやくうちに帰れる。
もう21時40分だ。

最後にまた、おじいさんは「すみません」と謝っていた。
おじいさんが家に戻ったら、
その周囲の環境が、どんな感じなのかは知らない。
ただ、今この時点で、わしがおまわりさんを呼んで対応してもらったことは、正解のはずだ。
おじいさんには、どうか、「迷惑かけてしまって、情けない」などと思わないで欲しい。
おじいさんのおかげで、
少なくともわしは、自分の天命を再確認し、
やや落ち込んでいた気持ちに気合が入り、
元気づけられたのだから。

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by syun__kan | 2018-12-06 23:08 | 日記 | Comments(0)
印象的だった作品2018
毎年末恒例の、
一年を振り返って、鑑賞して印象的だった作品を5つ挙げる日記ですよ(ネタバレ有!)。
今年は長文で、読むのが大変です。すみません。

1、「チキンライス」/Toshl

我が家にテレビが導入されて一年以上が過ぎ、
かつてテレビを全否定するような態度を取っていた奥さんも、
徐々にテレビを受け入れ、視聴するようになっていった。

初めは、娘に見せるための、
Eテレやプリキュアばかりを映していた我が家のテレビだが、
平昌五輪を機に、
奥さんはスポーツの国際大会を観ることの楽しさに目覚める。

熱心に動向を追い、五輪が閉幕したら寂しがり、
しばらくの後に始まったサッカーワールドカップに今度は心奪われる。
スポーツの国際大会は、わしも好きだ。
家族と話題を共有しながら見られるのは楽しい。

夏の間、わしが家族を離れ、前橋に籠って制作していた期間は、
奥さんは夜、軽く一杯やりながら「アジア大会」を観ていたそうだ。
わしが前橋から戻ってくると、すっかり「アジア大会」の概要を押さえていた。
そして、閉幕してしまうと、奥さんはまた寂しがる。
「あーあ、もう何も観るものが無くなった」
と述べる。

わしは、
「まあまあそう言わず、音楽番組も面白いかもよ」
と言って、
たまたまやっていた「ミュージックステーション」にチャンネルを合わせた。
そして、愕然とする。
全く面白く感じないのである。
先ほどまで、その瞬間にすべてを賭け、
気合入れまくりで、
世界新記録を目指し、世界第一位を目指し、
1秒、1センチを争って命を燃やしていたスポーツ選手たちのヒリヒリ感と比較して、
小ぎれいに着飾ったアイドルの方が、ゆるゆると歌い踊る姿が、
あまりに緊張感に欠け、
「何だこれは」状態になったのである。

いや、何も、
緊張感だけが面白いと言っているわけではない。
ゆるゆると、美男美女が力を抜いた音楽を歌い踊る姿に、
癒される人だって多いだろう。
それはそれで、全然アリである。
それに、日本を代表するような音楽番組の「ミュージックステーション」に出るくらいのアーティストだったら、
そこに至るまで、
凄まじい気合と努力と覚悟があるに違いない。
しかし、一つ言えるのは、
彼らのパフォーマンスには、
その「気合」が表現されていない。
敢えて表現していないのかもしれない。

でもやっぱり、
誰かが人生を賭けたような気合を発散している場合、
人は、それを見ずにはいられないわけで、
わしら夫妻にとっての一番のエンターテインメントは、それだったのである。

スポーツの他に、奥さんは少しだけ、バラエティ番組も観るようになった。
ランキング形式の番組構成だと、
1位を気にしたりして、かわいい。
テレビ大嫌いだったのに、第1位を気にしているなんて!

そういった中で、印象的だったのが、
初夏にやっていた、「アイス総選挙」。
日本の様々なコンビニアイスの、1位を決める番組で、
奥さんは1位が何になるか、見入っていたが(結局スーパーカップのバニラが1位だった)、
わしはコメンテーターとして出演していた、
XJapanのボーカル、Toshlさんの佇まいに心惹かれてしまう。
アイスを少し食べて、大したことない感想を述べるだけなのに、
妙な存在感と説得力。

そして、それをきっかけに、YouTubeで、
日本のヘビーメタル、ビジュアル系バンドのパイオニアである、XJapanの映像を観るようになる。
職場で会う人に、ファンがいたのも大きい。

若き日の、髪を逆立てて凄まじい格好をしたToshlさんが、コンサートで、
「気合を入れろー!!」
「今日は、瞬間の美学で行けよ!」
「お前らの、すべてを賭けて、X魂、見してくれ!!」
と叫ぶ。

冷静な視点で述べてしまうと、
その場にいる何万人の観客は、ものすごい盛り上がってはいるが、
「気合を入れる」くらいはできるだろうけど、
「すべてを賭ける」のは、ちょっと難しい。
お客さんたちには明日の仕事があるし、帰りの電車のことも考える必要がある。
その場にすべてを出し切ってしまうわけにはいかないのである。
だからそれは、ある程度比喩的な「すべてを賭けろ」なのであるが、
Xのメンバーたちは、
全くスカすことなく、素で、
気合を入れて、その瞬間にすべてを賭けて音楽活動をしていたのであろう。
世界新記録さえ、目指していた気がする。
それが、パフォーマンスに「表現されて」いるのである。
そのヒリヒリ感たるや、
オリンピックやワールドカップにまったく遜色ない。

わしはやはり、つい見入ってしまった。
そんな、すべてを賭けた瞬間の美学を、何年もやり続けていたら、
心身が持たないだろう…!

一つ学んだことは、
表現者は、気合を入れたものじゃなきゃ、発表しちゃいけないということ。
力を抜いたもので、人を感動させられるのは、一握りの天才だけだ。
自分が天才ではないという自覚があるなら、表現者は絶対に気合を入れなければいけない。
逆に言うと、
天才的な才能が無くても、最低限、気合なら入れられるわけだ。
気合さえ入れれば、
人はつい見入ってしまうのだから。

ちなみに、当たり前だけど、天才が気合を入れた状態が一番強い。

わしは、TSUTAYAで借りたり、同僚に借りたりしてXのアルバムを色々聴き、
楽しんでいたのだが、
年末に、
Toshlさんが様々なポップスの名曲を歌うカバーアルバムがリリースされたのであった。
わしは5年ぶりくらいに、定価でCDを購入した。
そして中でも、
松本人志さん作詞、槇原敬之さん作曲の「チキンライス」に、
はっきり言って深く感動してしまった。
今年は父が定年退職したりして、
「家族」や「愛」について考えることが多かったこともあり、
余計に来た。
PVを初めて観たときには、
10分間くらい涙が止まらず、
胸の辺りまで流れ、めちゃめちゃにされた。


2、「円卓」/西加奈子
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古本屋で100円になっている文庫本から、
目についたものを買って、読んで行くと、
「これは!!」
と思う作品に出合う。
「どうすればこんな話が書けるんだ!」というような。
そして、
「どうすればこんな話が書けるのか?」
ということについて、解明するべく、
その作者の作品ばかりを、立て続けに読む。
納得するまで。
そのうちに、
「ああ、なるほど、これこれこういうことで、
この人はこういう人だから、
このような作品が書けたのか」
と、
自分なりに腑に落ちるに至り、
また振り出しに戻る、というか次に進む。
つまり100円の棚から目についた他の作家をあれこれと読む。
というような感じで、わしの細々とした読書は続いて行く。

「その作者の作品は、すべて好き」
とは、なったことがない。
同じ作者で、すごい好きな作品もあるし、嫌いな作品もあったりする。
しかしながら、今年立て続けに読んでいた、
西加奈子は、
まだ嫌いな作品に当たっていない。
一つひとつの作品に、魂が籠っていて素晴らしい。
「いまここで、絶対にこれを書かなければ!」
という、ある意味女性らしい、切実さに満ちている。
気合が入っているのだ。
どの話も、終盤必ず、泣かされた。

長嶋有が極端に文系的な感性で書かれているなら、
森博嗣は極端に理系的な思考回路で書かれているわけで、
そのような言い方をすると、西加奈子は、
極端に強い感受性、というか自意識によって書かれている感じだった。
感受性と自意識がここまで強いと、この方は生きるのなかなか大変だったのではないか、と、心配になるくらい…。
小説というアウトプットを得たから、何とかなっているが。

でもそう、
そういえば、多摩美術大学にいたころ、
まわりのみんなも、
そういえばこんな感じだったかもしれない。
極端に強く、独特な感受性、と自意識。
何かみんな大変そうだった。
まあ、自分もだけれど。

言ってしまえば、極端に強く、独特な感受性、と自意識というのは、
エンターテイメントとして人に伝わる、
西さんにとっての小説のような、アウトプットの方法を得ることが、できれば、
貴重な武器になるのだが、
得られなかった場合、
生きて行く上で大変なだけだ!

みんながんばらなあかん。
わしもがんばらなあかん。
強い感受性にやられてボーっとしてたらあかん。
命がけで、是が非でも、自分のアウトプットを編み出すのじゃ。


3、「風立ちぬ」/監督:宮崎駿
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トトロは素晴らしい。ラピュタもだ。
どのシーンも、どのセリフも、
意味があるし、否応なしに記憶に残り、
全体としてあまりに豊潤だ。

それと比較してしまうと、
後年のジブリ映画はどうしても、
フライドチキンに例えると、
豊潤なお肉部分を食べ尽くした後に、
骨の髄を吸って無理矢理味わっているような、感じがして、
あまり積極的に観なくなっていた。
食わず嫌いというやつだ。
この作品もそう。

ところが今年のGWに、ちょいと時間ができて、
TSUTAYAで何本かまとめてDVDを借りるとお得だったので、
借りてきた中の一作品がこれだったのだが、
初めて観てみると、
まるで、
髄まで吸い尽くしてカサカサになった骨を、
宮崎駿が、バキッて折って、
鋭くギザギザになった断面でこちらをグサッと刺してきたような、衝撃を受けた。
「豊潤」ではないが「純粋」だった。

純粋な、ロマンティシズム。

具体的に言ってしまうと、男のロマン。

もっとはっきり言ってしまうと、
おっさんが、家族をほっぽらかして、好きな仕事をとことんやる話。

ちょうどそのGWに、まとめて借りた中に、
ミッキー・ローク主演の「レスラー」という映画があり、
その映画も要するに、
「おっさんが、家族をほっぽらかして、好きな仕事をとことんやる話」
だった。
こういうの多いのかな?
映画作ったりする人って、こういうことについて、頻繁に考えるのかな?

ただ、結末が違う。
「レスラー」では、
おっさんが、家族をほっぽらかして、好きな仕事をとことんやった結果、
ちゃんと(?)、おっさんが死にました。

「風立ちぬ」では、
おっさんが、家族をほっぽらかして、好きな仕事をとことんやった結果、
奥さんが亡くなって、男は引き続き生き、
そしてなお、物語は美しくまとまった。
美しくまとめおった。宮崎さん!

「レスラー」は、けっこう暴力描写、性的描写入ってるけど、
奥さんと観れるよ、わしは。
でも、「風立ちぬ」は、
わしは奥さんには見せないよ!
おそらく逆鱗に触れるだろうから!
許されないだろう、これ。

宮崎駿は、悪魔である!
と言ってしまっても良いが、
でも確かに、この作品は、
わしが男性だからということも多分にあって、
美しい。
矛盾である。悪魔的で同時に美しい。
芸術の業だ。


4、「通じ合う・ザ・ワールド」/「ニャンちゅうワールド放送局」挿入歌
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自分が、世界の文化を集合させて世界平和を表現するような作品を作っていたので、
それ系の物に対してはやはり、反応するというか、
共感したり参考にしたりしやすい一年だった。

わしが作っていたものと、ほぼ同じコンセプトで作られていたのが、
Eテレの「ニャンちゅうワールド放送局」である。
特に、エンディング付近で流れる、
「通じ合う・ザ・ワールド」という歌が良かった。
この歌、インターネットで探しても、
歌詞も動画も見つからないのだが、
「話そうよ 笑おうよ 似たもの同士じゃないか
誰とでもきっと 分かり合えるザワールド」
という感じだったと思う。
観るたびにいつも泣いていた。
本当だ。

マイケル・ジャクソンが、作品で表現する平和のメッセージに、わしは涙することがあるのだが、
それは、その美しさと同時に、
「そんな美しい世界の達成は、なかなか難しいだろうな…」
という、切なさも感じ、
わしは泣いているんだと思う。
それと、同種のものを感じた。

ニャンちゅうの相方の「おねえさん」役の、
「みきちゃん」のかわいさに依るところも大きかった、
とも、言わざるを得ない。
3月末に、「ニャンちゅうワールド放送局」が終了してしまう時には、
けっこう本気で悲しかった。
4月になり、リニューアルされた「ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!」も、
面白いし、
おねえさん役の「たらすず」さんもかわいい。
けっこうかわいい。いや、非常にかわいい。のだが、
「みきちゃん」の歌う、楽しくも切ないあの歌は、メモリアル。


5、「カメラを止めるな!」
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この作品は、多くの人が語る通り、
ネタバレしてしまうと元も子も無い状態になるので、
自分が鑑賞したその周辺について書こう。

10月にアーツ前橋に作品を設置して、
その後、職場の運動会があったり、
娘と奥さんと一泊キャンプに行ったりして、
あー、なんか大丈夫かなと思ったらやっぱりだめだった。
燃え尽き症候群だ。
10月半ば。

学生の頃から、
根を詰めて立体作品を制作し、提出した後は、
必ず無気力状態になる。
近未来の元気まで全部使っちゃうのだろう、
何もやる気起きず、何も面白くない。

学生の頃は、しばらく無気力に浸ったあと、
リハビリのように絵本を描いて、
造形活動に復帰したものだ。
部活の絵本創作研究会で絵本を展示して、
程よく後輩に「面白い」とかおだててもらい、
元気を回復して次の彫刻に取りかかる。

しかしだ、
やはり人生の本番は社会に出てから始まるわけで、
社会人には無気力に浸っている間もないのである。
無気力はつらいけど、浸っていられる環境ならば浸っているのが一番楽だ。
学生時代はそれが許される。
社会人となった今は、
やることがひたすら並び、次のやることや、次の次のやることがヒタヒタ迫るのを感じ、
浸ることもできひんのである。
そのつらさがある。

十数年連れ添うとさすがに奥さんはその辺り分かってくれ、
一日、いや半日くらい暇をくださった。
わしは電車に乗り、
とりあえず池袋に向かった。

昼前に池袋に着いた。
これから夕方に帰るまでに、自分をなるべく癒す行動を選択しなければならない。
しかしわしは、計画を立てたりとか、下調べとかそういうことはしていない。
わしは基本的に、計画を立ててその通りに行動するということが嫌いだ。
そんなのは、わしにとっては仕事そのものであり、
一切遊びではない。
ノープランこそ遊びの神髄である。

最初はジュンク堂で本を読もうかなと思ったけど、
新宿の東宝系の映画館の屋上に、1、2年前にゴジラの頭部の造形物が設置されたけどまだ見たことないのを思い出し、
そのまま新宿に行った。
映画館の屋上の、ゴジラの頭像を眺めた後、
建物に近づくと、壁に「カメラを止めるな!」のポスターが貼ってあったので、
興味が湧き、
わしはそのままチケットを買い、
これを鑑賞することにした。

結局、映画が終わるともう帰らなければならない時間で、
「わしだけの半日フリーデイ」は、これで終了してしまったのだが、
わしの心身をリフレッシュするのに充分であった。
元気を取り戻したと言える。
それだけやはり、フレッシュな映画だった。


以上である。
今年の5点は、どれも基本的に泣かされた。
泣いて、少しずつ、魂的なものを救済された。
芸術作品の、「浄化」という役割を感じることが多かった。
他に、映画「ロッキー」とチャップリンの「独裁者」、
SEKAI NO OWARIの楽曲「サザンカ」には、年間の日記で言及した。
昔の東宝怪獣映画「怪獣大戦争」、
いとうせいこうさんの小説「想像ラジオ」、
ミュージックステーションでの椎名林檎さんと宮本浩次さんのデュエット、
今年で多摩美彫刻科を退官される安倍先生の彫刻も感動した。
自分も「SUN TOWER 2020/MAQUETTE」という作品を発表したが、
正直、「まだまだ自分全然だな」と感じる部分が大きかった。
来年も、良い作品との出会いがありますように!

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by syun__kan | 2018-12-02 21:48 | 日記 | Comments(0)
アイム・ア・ミーハー
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わしは何気にミーハーである。
「何でもかんでも」ではないが、
自分で、
「ここぞ」
「これは」
と思った時だけは、
割と腰が軽く行動が早い。

初めて海外に行ったのも、
マイケル・ジャクソンを生で見るためだったし、
近所の公共施設に蝶野正洋が来るとか、
原宿で握手会やるとか、
万障はお繰り合わせしないけど、
「行ける」と踏んだ時はサッと出掛けていく。

ミーハーは、全然悪いことではないと、
わしは思っている。
わしは、
「有名であること」を、とてもリスペクトしている。
自分だってアートをやって、表現活動しているのである。
なるべく多くの人に見てもらってなんぼなのだから、
理想の行き着く先は、明石家さんまさんのような、
圧倒的な知名度だ。
有名は正義なのである。

しかしまあ、わしの心を掴む人は、
僭越ながら、
そう頻繁には現れない訳だが、
実は最近、
X Japan、
およびToshlさんにはまり、
毎日youtube等で鑑賞していた。
そして、11月28日にカバーアルバムが出るとのことで、
数年ぶりにCDを定価で購入しちゃおうかなと思っていた矢先、
発売当日に18時から、池袋サンシャインシティで、発売記念イベントがあるとの情報を得る。

行ける?
仕事だ。
17時に上がれる?
上がれなく…は…ない…か…な。
行け…る。
行っとこう。
色々見とこう、
この足が動き、目が見えるうちにな!

というようなことで、男ミーハー35歳、突撃してきた。
お話と、「365日の紙飛行機」「チキンライス」の2曲の披露、
いやー良かった、これで終わりと思いきや、
その場でCDを購入したら握手券が付いてきた。
数百人が列になって、1人1秒くらいだったけど、
Toshlさんと握手したよ!
キャッキャウフフ!
何て声を掛けようか迷ったけど、
「毎日聴いてます!」
と言ったら、
「ありがとう」
と返してくれた。
てゆうかToshlさんは1人1秒、
「ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう…」
言い続けてたよ!
キャッキャウフフ!

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by syun__kan | 2018-11-28 22:15 | 日記 | Comments(0)
子ら
休日。
公園で娘がブランコを漕ぐが、
一人で、大きく漕ぐことができるようになっている。
去年は、一人では大きく揺らすことができなかった。
背中を押してやる必要があった。

ずいぶんと足が伸び、
より人間に近づいている。

近所の公園で、
犬の散歩に一緒に来たついでに遊んでいて、いろいろ気付く。
いや、背中を押してやる必要があったのは、
去年というより、半年くらい前の記憶か?

娘が懐いてくれて、一緒に過ごす時間は、
非常に大切で幸せなのだが、
しかし記憶は、
錠剤がお湯に投げ込まれて溶けだすように、
どんどん曖昧になってしまう。

このもったいなさから、みんな写真を撮ったり、動画を撮ったりするのだろうけど、
しかしながら、足元に草、上に空、
この上下左右囲まれて、
視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚をすべて使い、
前日の疲れを宿していたりこれからの時間にすることを考えていたりといった前後の状況まですべて含めて、
享受しているこの時間というのは、
今しかない。

わしも写真は撮る。
やっぱりもったいないし。
幸せを感じた時間を記録しておきたい。
しかしこの写真をいつ見るのか?
娘は今は懐いてくれるが、
たまに休みがずれたときに朝幼稚園に送っていくだけで喜んでくれるが、
そのうちに、
「来なくていい」~「何で来たの?」~「来ないで」~「絶対来ないで」
等に変化していくわけで、
そういう時に、
「あの頃は、幼稚園に送るだけで、喜んでくれたのう」
と言って、
わしは写真を見るのだろうか?

まあそれはそれで良いだろう。
それがその時の、わしにとっての明日への活力になるのであれば。
ブログにも娘については、たまに書いているから、
それを読み返したりして。
そして写真を見た記憶さえ、また曖昧になったりして、
また見て、また忘れて、
それを繰り返しているうちに、
わしはその他含めすべての記憶を混濁する。

月曜の今日。
わしは代休で、
娘の幼稚園の迎えに行けた。
幼稚園の近くには広場があり、
放課後の園児たちが、保護者の見守りの元、縦横無尽に遊んでいる。
娘もそこに加わり、わしも広場に入るが、
ほとんどがママ達な中、わしはレアな「父親」であり、
しかもバルタン星人のシャツを着ていて、
先生としてのオーラが出ていることもあって、
すぐに男児に囲まれ、やがて攻撃を受け始める。

もっとも積極的に攻撃をしてくる男児は、
スネから膝にかけて、無数の擦り傷があり、

「子どもって、こうだよな!」

と、わしは小さく感動する。
わしの子は女の子なこともあり、
膝にほとんど擦り傷を作らない。
でも、自分の幼少期を振り返ると、
膝って大体いつも血が出ていた気がする。
膝が擦り傷だらけの男児を見て、
インド人がカレー食ってるのを見るような、
「これだよこれ!」
というような、
妙な安心感じがした。

娘含め関口家は、買い出しに行く用事があるので一足先に広場を後にするが、
通り道のところで、
一心不乱に、地面から石を掘り出す男児に遭遇する。
「たたかいごっこ」の群れから離れ、
服を土だらけにしながら、
固い土に埋まった、
大人から見ると心底何でも無い石を、
他の尖った石で「周りから攻め」ながら、
掘り出そうとする男児。

「大人から見たらただの石だけど、子どもから見たら宝もの」
というような、
何かそういう感じではないのだ。
ちょっとそれは違う。
宝物とかではなく、
それが埋まっているから、ただ、掘るのだ。
掘るべきと、何かが指令を下す。

「分かるよ、君の気持ち!」

と、わしはまた感動し、
「こっちには丸いのが埋まってるよ」と、口を出す。

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by syun__kan | 2018-11-26 23:19 | 日記 | Comments(0)
三宅、関口、太郎、ピカソ
7月の日記で、
「アーツ前橋での岡本太郎展に出品することになったが、
できれば三宅感君も呼んでほしかった。
大会場で二人の作品を同時に展示し、戦わせることは、
わしの夢だ」
というようなことを書いた。

それは叶わなかったわけだが、
ニアミスのような状況になった。

彼が、「maebashi works」という場所で、展示するらしい。
12月1日から12月23日までの、土日のみ、
13時~19時開場だそうだ。
土日のみということだから、要するに計8日間しかないのだけど。

ここがどんな会場か、わしは入ったことがないし、
今回どんなものを三宅君が展示するのかも、わしは知らないが、
近所のアーツ前橋では、引き続き岡本太郎展をやっているわけで、
要するに、
第15回太郎賞受賞の関口光太郎と、
第19回受賞の三宅感を、同じエリアで同じ日に観ることができる、
レアな機会が生まれたことになる。
その貴重さを、「貴重だ」と認識する人が、何人いるかは知らないけど、
少なくともわしはお薦めしたい。
というか、岡本太郎もピカソも同じ日に観ることができる。
シャッター街などと揶揄されることもある前橋市街が、この年末、
何だか非常にディープなアートスポットになる。
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VS
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by syun__kan | 2018-11-18 21:20 | 日記 | Comments(0)
仮説
わしの身長は184センチあり、
小さいころから大きかったというと文が変だが、
常にクラスで一番大きかった。
誰に会っても、どの集団に顔を出しても、
「大きいね!」
と言われ、
手のひらを合わせて比べることをリクエストされて
「大きい!」
と言われることが常だった。

少し恥ずかしかったが、それが嫌だった、みたいなことはない。
デフォルトなので疑問はない。
わしにとって、関口光太郎の人生というのはそういうものだった。

しかし最近は、「大きい」と言われることがほぼなくなった。
言われなくなったことに加え、
自分でも、
「わしでかいな」
と思うことが、あまりなくなったのである。
というか、
自分くらいの大きさの人が、何か前より、よくいる気がするのである。
以前は、自分の目線と同じくらいの人に会うと
「お、珍しいな」
と思ったものだが、
最近は、珍しくとも何ともないという感じがする。

その原因について、
思いついた仮説を、列挙してみる。

1、日本人が皆、大きくなっている。
世代が若くなるにつれ、平均身長が伸びていて、
だから以前より、自分より若い世代がどんどん増えているので、
自分くらい、あるいは自分より大きい人が珍しくなくなっている。

2、外国人が増えている。
外国の方は、やはり大きい方が多いので、
日本への旅行者や居住者が増えているため、
大きい人に見慣れた。

3、大人になったので、自分も周囲も、細かい身体的特徴などどうでもよくなった。
関口の身長のことなど、どうでも良いので、
周囲の人もそれについて言及しないし、
自分も自意識がなくなったというか、
とにかくそういうことはどうでもよくなった。

4、オーラによって周りの人が大きく見える。
人の印象というのは、身長体重のような数値的なこと以上に、
にじみ出るオーラが重要なので、
みんなのオーラ的な物をわしがたくさん感じるようになったので、周囲の人が大きく感じる。

5、実はわしは縮んでいる。
身長が184センチだったというデータは、実はけっこう前に測ったものな気もするので、
現在までの間に、けっこう縮んでいる。
加齢とか過労とかで、
実は今175センチくらいである。
アートと教職を両方やっているので、
すり減った。

6、目の位置が下がっている。
わしはまだ35歳なので、さすがにそこまで急激に身長が縮むことは考えづらく、
現在でも182センチくらいはあるが、
目の位置が下がっているので、
周囲が大きく感じる。
以前は、鼻梁の斜め上、眉毛の下あたりに目があったが、
現在は口角の横か斜め下くらいに目がある。

7、メガネが合っていない。
メガネが凹レンズか凸レンズか分からないけど、
虫メガネみたいになっていて、
周囲が大きく見える。
誰かがいつの間にかわしのメガネに細工をした。

8、ちっぽけな自分になっている。
若いころ、美大生的小僧精神というか、
「Jpopって、大自然と比較して、自分の存在がちっぽけに感じたみたいな歌詞がよく出て来るよね。
そういう体験をしたってこと自体はあっても良いけど、
なんでいつもちっぽけっていう言葉を使うんかね」
とか言っていたので、
Jpopの神様の逆鱗に触れて、
今ちっぽけにされている。

9、時間の流れについていけていない。
宇宙科学的に言うと、宇宙はどんどん膨張していて、
地球もどんどん大きくなっている。
みんな同時に大きくなっているから、それを感じない。
みたいなことを、筒井康隆だったか、何かのSF小説で読んだ。
実際にそうなのかもしれず、世界はどんどん大きくなっているのだけど、
わしは未だにスマホではなくガラケーを使っていたりするので、
時間の流れが人より遅く、
なんかちょっと小さい。

10、立っている所が低い。
なんだかいつも人より低い所に立ってしまう。
誰かの家でも、自分は土間にいて、他の人は上り框にいるみたいな。
わざとそうしてるんじゃなくて、いつの間にかそういう役回りで、何か低い所にいるみたいな。
あるいは精神的に、何かそうなっちゃうみたいな。

11、高オニが流行っている。
自分がほら、ガラケーとか使っていて最先端に疎いから、
知らないだけで、
DA PUMPのU.S.A.も最近見たばっかりみたいな人だから、知らないだけで、
実は今、高オニが大流行している。
24時間。
だからみんななるべく高い所にいる。

12、厚底サンダルが流行っている。
時代が一回りして、
2000年くらいに流行っていた厚底サンダルが今再び脚光を浴びている。
自分はガラケーだから流行に気付いていないだけ。

13、柔らかいところにいる。
自分が立つところが、いつも柔らかくて沈む。
わざとそうしてるんじゃなくて、いつの間にかそういう役回りで、何か柔らかい所にいるみたいな。
あるいは精神的に、何かそうなっちゃうみたいな。

14、自分の足から、地面を柔らかくする何かが出てる。
足の裏から波動みたいなのが出て、いつも地面が柔らかくて沈んでいる。

15、みんな少し浮いてる。
何かでそうなっていて、時代はそうなっていて、自分がガラケーなだけ。

ちなみに今、少しだけ発泡酒を飲んでいる。

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by syun__kan | 2018-11-17 22:40 | 日記 | Comments(0)
教職論2年目
昨年に続き、多摩美の教職論で講義を行った。

2年生150人くらいを前に、
一コマ90分なので、そのくらいの間、喋り倒す訳だが、
昨年は、
授業前半にマジメな話をし続けてしまったため、
学生の三分の一くらいが寝てしまった。

これについて、わしは何も怒らない。
学生は制作やバイトでとても疲れている。
というか、
自分の学生時代の学習態度を思いだしたら、怒れるはずもない。

そしてだ、
子どもの様子に学び、自分の指導に工夫を加え続けるのが、特別支援教育の真髄である。
彼らが寝てしまったのなら、
寝かさないための工夫を考えるのだ。

昨年の講義で、前半のマジメな話の後、
後半にわしの職場の生徒たちの図工美術作品をスライドで見せたら、
多摩美の学生たちはみんな起きた。
みんな、絵を見るのが好きなのである。

だから今年は、
「前半マジメな話、後半作品の紹介」
みたいに分離させず、
まぜまぜにしてマジメな話にちょいちょい作品のスライドを織り込んで進めた。

これは一定の効果があったと思う。
しかしだ、
用意したパワーポイントが、
保存が上手くいってなくて完成の一歩手前版を使うことになっちゃって、
全体の流れが今一つスムーズではなかったことが悔やまれる。
結果としては、
寝てた学生は2割くらいだったか。

まだ改善の余地がある。
来年もぜひ呼んでいただきたい。
来年は1割くらいに持っていきたい。
授業始まる前から寝てる人とかもいるわけだが、
その人がつい目を覚まして見入ってしまうような授業ができたら、
理想的だ。
これはわしの、
年一回の「多摩美生寝かさないチャレンジ」にもなっている。

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by syun__kan | 2018-11-16 07:03 | 日記 | Comments(0)
まとわる
わしの作品は、何か大きな形に、
小さな形がたくさん纏わり付いている、
というパターンが多い、
というかそればかりである。

初めて、そうなったのは、
2006年の卒業制作、「瞬間寺院」で、
西洋の大聖堂やインドの寺院の、
てんこ盛りの表面彫刻に触発されて作った。
よっぽどそのパターンが気に入ったのか、
以降そればかりである。
「必勝パターン」みたいなものだ。
寺院ではなく、
人型を作っても人魚を作ってもヤマタノオロチを作っても、
表面に小さな形が、
必ずたくさん纏わる。

何故それがそんなに気に入ったのか、
自分でもよく分からないけど、
「何か物事は、
それ自体が完全に独立して存在しているのではなく、
小さい要素が無数に付随しているものである」
という、
何というか、わしの世界観が影響してるのかもしれない。

例えば昨日は仕事から帰ったら、
急に奥さんと娘も明日の前橋でのワークショップに行くという話が持ち上がり、
わしは一人で行くつもりで様々な案件を頭で計算していたので、
急にそれはできないと、
それを抑えて、
そしたら別件で、
わしの家の、
隣の家の人が、
自分ちの屋根やら壁やらを高圧洗浄機で高圧洗浄していたとのことで、
その水が関口家の窓にも壁にもザンザン掛かっていたとのことで、
奥さんはそれが非常に嫌だったようで、
しかしわしは、
例によってわりとぼんやり生きているから、
「ふーんそうなんだ、
さあ、
明日は前橋でワークショップだから早く寝よう」
くらいにしか受け止めておらず、
相手に共感するというプログラムの発動が遅れ、
何やら険悪になったし寝るのも遅くなるやらで、
朝起きて洗濯畳んで自転車で新座駅に行って前橋へ、
浦和で乗り換えたりしながら向かうわしは、
心身の疲労をたっぷりと身に纏ったまま、
道中、
実家から電話がきて、
今日夕飯一緒に食べようということで、
また急だなと思ったけど、
いいよと答えて、
9時22分に前橋に着き、
レンタサイクルを借りてアーツ前橋へ、
向かいのフレッセイで昼ごはんと、
エナジードリンクを買ってクイッと一杯やり、
モヤモヤを全て払拭して、
ピカピカの心で、
バックヤードで、
ワークショップで使う、
塔の芯棒を作り、
制作場所に新聞紙を撒き、
午後1時から、
17名のお子さんと共に、
新聞紙で遊んだりデザイン画を描いたりしながら、
オリジナルの「今日の塔」を作り、
大体の形ができたら、
そこにくっ付けるための小さいオブジェのアイデアを得るために、
皆でわしの「サンタワー2020」を鑑賞に行き、
わしは、
この作品が身に纏っているたくさんの小さな形について解説し、
また制作場所に戻って、
みんなが作った小さな形、
自由でかわいく、
実に素敵な形たちを、
「今日の塔」にくっ付けて纏わせていき、
16時に素晴らしい塔が完成し、
外から見える場所に飾り、
子供たちは帰り、
わしは使い残ったテープを、
来月ワークショップを行う川口市民ギャラリーアトリアに送付するために箱詰めし、
また、
参加者のお母様が、
わしが学生時代に進研ゼミを作る現場でバイトしていたときの上司で、
びっくりしたりして、
わしはその後、
塔をしばらくの間その場に飾れるように補強し、
補強が済んで、
事務の方に必要書類を提出し、
そしたら両親が車で迎えに来て、
車に乗って前橋駅近くの飲食店に向かい、
車中で、
本日18時から、
WOWOWでX Japanのライブが放送されるので、
実家はWOWOW入ってるから、
録画をお願いしようと思ってたことを思い出し、
でもその時点で18時を過ぎていて、
両親は一緒に車中にいるわけで、
仕方ないやと諦めて、
そしたら次は、
今朝駅からアーツまでレンタサイクルに乗って行ったことを思い出し、
アーツまで引き返してもらって、
自分は自転車に乗って駅に向かい、
自転車を返却してからビッグボーイに行き、
両親と鬼のようにチーズが詰め込まれたハンバーグを食べ、
車で東京の家まで送るよと言う父を、
往復の切符買っちゃったからと制し、
電車に乗って、
深夜家に帰ってきたら、
わしの髪の毛に小さなカマキリが付いていて、
早送りみたいな動きで威嚇してきて、
それを外に逃がしてから、
奥さんと仲直りをして、
今に至る。

ほら、
前橋に、行って帰るだけで、
これだけの要素が付随する。

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by syun__kan | 2018-11-10 23:43 | 日記 | Comments(0)
同期の動悸2
下駄を鳴らしてやつが来る、
腰に手ぬぐいぶらさげて、
学生服には何も染み込んでいないが、
というか学生服は着ていなかったが、
同学年だった、同い年である、というような連帯感は、
わしはわりと感じるタイプだ。

奥さんは、多摩美の同級生だが、
一浪しているので歳はわしより一つ上だ。しかし、
一つ二つくらいの違いは同世代だ。
すなわち、
マイケルが「スリラー」をリリースした1982年から、
プリンスが「パープルレイン」をリリースした1984年くらいに生まれた人に、
わしは同世代という意識を持っている。
プロレスラーで言うと、内藤哲也や飯伏幸太だ。

奥さんは4歳の娘を育てる主婦だ。
「おかあさんといっしょ」で、
今月からタスマニアデビルをテーマにした歌が始まって喜んでいる。
タスマニアデビルは、オーストラリアのかわいくて凶暴な有袋類だ。
奥さんはタスマニアデビルにそっくりで、本人もタスマニアデビルが好きなのだ。
娘はもう寝たが、
娘も、奥さんの影響を受けてか動物好きで、もちろん奥さんのことも素直に好きで、
この歌も気に入っている。
夕食後、奥さんはわしに、録画しておいた「デビル・ビビる・ガンバる!」を見せてくれる。
わしは「ついに君の時代が来たね」と声を掛ける。
これが、奥さんの人生における36歳の姿。

わしはパソコンの電源を入れる。
いくつかのサイトをチェックするのが日課だが、
三宅感君のブログは必ず見る。
そして、何も更新されていなくてほんのりがっかりするところまでがパターンだったが、
最近、3か月ぶりくらいに更新されて安心した。
同じく小中学校の同級生の小池正典君のブログものぞく。
どちらも、わしと同じ年齢にして、わしと同じくアーティスト活動をやり続けている人だ。
人生において受けるフィーリングは、共通している部分が多い。
男35歳でアートをやり続ける。ということは、
それ自体でそれなりに限定された状況であり、
赤い糸のような素敵なものではなく、切れかけのシュロ縄みたいな荒いサムシングで、
離れていても何かしらでつながっている。

二人の言葉には、
苦しみもにじむ。
わしもわしで、何かしらの成長をしようとして。
喜んだり苦闘したりして35歳のアート活動を、試行錯誤してる。

今年、やってみた新しいことは、
自分がアーティストを呼ぶ側になることだ。
先月、わしは兼ねてから呼びたいと思っていた、
切り絵作家の水口ちはるさんを、自分の職場の美術の授業に、講師として招いた。
大変お忙しい中、時間を割いて、
静岡からわざわざ来ていただき、
特別授業をやってもらったのであった。
水口さんの切り絵パフォーマンスは、本当に素晴らしい。
水口さんからは、後日電話で「たくさん発見があった!」というお言葉をいただき、
わしの職場と水口さんの邂逅は素敵なものになった。
そして水口さんも実は、
わしと同い年の1983年生まれのアーティストであり、
アーティストとして生きる喜びも大変さも語ってくださった。

もう一人の、同期のライバル、戸坂明日香さんに、
わしが出品しているアーツ前橋での展示を宣伝してみたら、
「年末年始はボルネオに行く」とのこと。ボルネオ?

わしが多摩美彫刻科諸材料専攻を卒業する際、
同級生8人の進路は、見事にてんでばらばらだった。
教職を目指したのはわしで、
ひとりは花火師、ひとりはホンダの原型師、ひとりはとりあえずアメリカ、
劇団の事務、とりあえず京都、その他いろいろ。

ああ、夢よ、同級生たちよ、
お前今ごろどの空の下で、
わしとおんなじこの雨空、
いや、星空かもしれないし、昼間かもしれないけど、
この空見上げて、何思う?
とりあえずわしは、疲れたので倒れ込んで寝るぜよ。

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by syun__kan | 2018-11-06 23:09 | 日記 | Comments(0)



現代芸術家、関口光太郎の日記。
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