カテゴリ:日記( 569 )
たーまやー
昨日、調布の花火大会に行った。
花火大会は、去年は行かなかったけど、おととしは行った。
おととしは、高崎の烏川だった。
その前の年だったか、もう少し前だったかには、隅田川の花火大会にも行った。
なんだかんだで、花火大会にはそれなりに行ってる。
一般人の平均くらいは行ってる。
もっとさかのぼれば、小学生の時は、間違いなく毎年行ってた。
前橋市民にとって、お盆の利根川花火大会は、大きすぎる存在感のイベントだった。
利根川花火大会は、見やすいし、時間も長い。
わしは、小さいころは、花火大会が大好きだった。
なんであんなに、大好きだったのだろう?
小さい頃から、大人になるまで、断続的に体験している出来事は、
どう感じたかを思い返すことで、感受性の変遷を辿るバロメーターになる。
とにかく、小さい頃は、無条件に好きだった。花火大会。
大きさ、数、爆音は、どれも観客を無条件に圧倒しうる要素だ。
とくに、小さな男の子が大好きな要素でもある。
花火大会のディティールだけを追って、原稿用紙5枚の日記が書けた。ほんとに。
いつしか、それほど魅力を感じなくなったのは、あれは高校生、大学生くらいのときか。
ああいう年頃は、もっとこう、自分に興味があったのだろう。
花火は、風景の一部分、ストーリーの背景描写に過ぎなくなった。というような覚えがある。
あすなろ白書的な。アイズ的な。
実家の子機で電話をしながら横目で見ていた記憶がある。
大学の彫刻科を卒業する時、同級生の女の子が一人、花火師になった。
あの人はなぜ、花火師になったのだろう?
とにかく、花火大会には、ただ行けばいい。
予約もチケットも要らない。そこがいい。
手続きは、わしが人生でもっとも苦手とする物事の一つだ。
そういう面で、花火大会はけっこう特殊な種類の大会だとも言える。
自然現象に近い。
わしはただ、混んでいる京王線に乗ればよかった。
花火は、上がっていた。たくさんの人が、それを観るために、ああだこうだもめながら斜め上を見上げていた。
(そう、人々は一様にもめていた)
空に上がった火の玉は、何百メートルの高さで、爆発して、
何万人の人が目撃する。
音は、もっとたくさんの人が聞く。
やっぱり、自然現象を連想した。雷とか、オーロラとか、流星群とか。
でも、あれは自然現象じゃない。あれは確かに、人が上げている。花火の一玉には、持ち主がいる。上げ主がいる
あの、火の玉が上がる、根元には、花火師がいる。
暗闇で、花火師が、大砲に火を付けている。

花火師は、どんな気持ちで花火をあげるのだろう?

壮大ないたずら小僧の気持ちか、自然を操る神様の気持ち?
わしの脳内は、大砲が設置された多摩川の中州で、
暗闇の中にシルエットでうごめく花火師のイメージでいっぱいになった。
でももちろん、わしが見ているところからは、火の玉の根元は見えない。
わしは、すごく遠くの客席から見ていたんだ。
でも、花火大会が終わる頃に、はっと気づいた。
花火って、今の時代、コンピュータ制御で上げるんだっけ?
大砲の根元には、花火師はいないのか?
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by syun__kan | 2009-07-19 22:56 | 日記 | Comments(0)
悲しさについて
日記には、いつもおもしろいことを書こうと思っている。
おもしろいこととは、人と違うこと。みんなが興味深いと思ってくれること。
しかし、世界一おもしろい、興味深い人物が亡くなってしまった直後には、
わしは、おもしろいことなどは全くできず、考えられず、
ただただ凡庸な反応を示すことしかできなかったのであった。
だから、これは、一マイケルファンが、彼の死の翌日以降に、どのような行動を取ったかという、
一つの標本である。
エルヴィス・プレスリー、マリリン・モンロー、ブルース・リー、ジョン・レノン、
彼らの死の翌日に、彼らの熱狂的なファン達は、いったいどのような行動を取ったのかという記録は、
少しは歴史的な価値があるだろう。
今回のわしの日記も、それと同じ価値を持ってくれればいい。

6月26日に彼の死を知ったわしは、その日の夜にネットで、翌日土曜日27日午後6時から、
代々木公園で追悼集会が開かれることを知った。
同時に、同日夜10時半より、青山のバーでお別れ会もあることを知る。
わしは、どっちも行くことにした。

27日、6時15分頃原宿駅に着くと、すでにマイケルTシャツや黒いハットを身につけた人たちがちらほらいた。
代々木公園につくと、入り口前に人だかりがあった。
中心には、マイケルの写真を抱いて泣き崩れるファン。
みんなで『ヒール・ザ・ワールド』(世界を癒そう。もっと良くしよう、という歌だ)を歌っている。
ただし、通りすがりの人たちが「ああ・・・マイケルファンだ」とか言って冷やかしながら通り過ぎて行ったり、
報道各社が写真を撮ったりしていたので、
わしはなんとなくいたたまれなくなってその場を離れ、
公園に入ってしばし散歩していた。
しばらくして戻ってくると、通りすがりの人らもいなくなり、
周囲も暗くなり、追悼集会ができる環境が出来上がっていた。
集まったファンは、200人以上。
皆で持ち寄ったろうそくを、マイケルグッズや写真の周りに並べていく。
確かにしんみりしてはいるが、ふわふわした、掴みどころのない雰囲気だった。
おそらく、みんなまだ、昨日今日のことなので、マイケルが不在の世の中に馴染めないでいる。
わしもそう。実感など全然湧いていない。
すごい数のろうそくが並んだけど、ボーっと見ているだけだった。
そして、久し振りにマイケルファン達の集団に加われて少し嬉しくなっているだけだった。
踊りたいなー、と思ってチャンスをうかがっていた。
そのために、ちゃんと細い黒いズボンと、スニーカーと、ハットを身につけてきたのだ。
なんとなくみんなも、しんみりしたり、ろうそくを並べたりするのに飽きて、ダンス待ちの雰囲気だった。
そのうち、黒人が一人ムーンウォークし、それをきっかけにして、わしは『ビリー・ジーン』(ビリー・ジーンは僕の恋人じゃない、だからその子どもも、僕の子どもじゃない、という歌だ)を踊った。
他のみんなも踊り始めた。
「リーさん」という、マイケルモノマネのセミプロのような人が中心になり、
その日来た、ダンスができる人たちがバックダンサーになり、
マイケルのビデオクリップやライブの再現をした。
初対面なのに、完コピできる!
うちらは、
『スムース・クリミナル』(アニーが殺されて、アニー大丈夫かい?という曲だ)と、
『ビート・イット』(けんかをしても、ケガするだけだがら、逃げよう、という曲だ)と、
『デンジャラス』(彼女はデンジャラスだ、という歌だ)と、
『スタート・サムシング』(何かを始めよう、じゃないと君は、野菜みたいなやつだ、という曲だ)と、
『スリラー』(今夜君に、どんなオバケよりもすごいスリルをあげるよ、という曲だ)の集団ダンスをコピーした。
『JAM』(私は寺だ、という歌詞のある歌だ)と、
『ヒューマン・ネイチャー』(この街が一つのリンゴならば、僕にかじらせてくれないか、という歌だ)と、
『BAD』(お日様の下に、顔を出してみろ、という歌だ)のダンスは、
難しいのでリーさんが一人でやった。
そうして、夜の9時になった。
わしは青山のバーでのお別れ会に行くために、渋谷に向かった。
渋谷で、Hさんを待った。
渋谷の人たちは、マイケル・ジャクソンのいない世の中を、ちゃんとそれなりに歩いていた。
Hさんが来ると、お腹が減っていたので、とりあえず渋谷のクアアイナに行った。
通常のバーガーにパイナップルをトッピングした、ハワイアンスタイルのハンバーガーを食べていると、
すぐに店内にかかっていた英語のラジオが、『スリラー』になった。
続いて、『リメンバー・ザ・タイム』(覚えてるかい?ビーチで、君と僕!イェー!という歌だ)。
さらに、『ワーキング・デイ・アンド・ナイト』(昼も夜も働いて、あー疲れた疲れた、という歌だ)も流れた。
世の中全体が、マイケルの人生の総まとめに入っているようだった。
マイケルの曲が、クアアイナの良い音響で大音量で聞けるのは純粋に嬉しかったけど、
わしは大好きなサムシングを奪われて、実感が湧く前に後片付けをされているみたいで、
小学校のクラスで教室の後ろの棚の上で青虫を飼っていて、
飼育係のわしは大事に葉っぱをあげて育てていたのに、
わしが休んだ日に青虫が死んでしまって、
わしの知らない間にクラスの女子が勝手に庭の隅の木の下に埋めてしまったことを知らされるような気分だった。
そろそろな時間になったので、Hさんと青山のバーに行った。
バーは、想像していた広さの4分の1くらいで、中はすし詰めだった。
そこで、マイケルが87年に来日した時に、日本テレビで放送された、横浜スタジアムのライブ映像が流されていた。
バッドツアー87、横浜。有名な映像だ。
このときのマイケルは、ものすごく楽しそうに歌い踊っていて、かわいくてかっこよくて、ひとつの究極の状態だった。
ごく控えめに言って、天使だった。
すし詰めの中で、わしはみんなと一緒にマイケルと一緒に歌い、
狭いから大きな動きはできないので、指を立てたり、指先をこすり合わせたりしながら、
はあ、我ながら、なんでここまで細かく、指を立てたり、指先をこすり合わせたりするタイミングを覚えているんだ?と思ったりした。
そしてマイケルは、
「アイルゴナギブユー、ザオールドソングス、ザオールドファッションウェイ」
と言って、ジャクソン5時代の最大のヒット曲である『アイル・ビー・ゼア』を歌った。

(この歌は、愛がある場所に、僕はいるよ、という歌だ。

しかし、ユーアーノットゼアー!)

そう思った瞬間、わしの目から涙が爆裂し、鼻孔から鼻水が暴発し、
わしの顔はあっという間にグシャグシャになってしまった。
マイケル、顔面崩壊は自分だけにしてくれよ。
ライブ映像でマイケルが『ビリー・ジーン』を終えて帽子を客席に投げると、
そろそろ終電なのでわしらは家に帰った。

週末が終わると、またいつもの生活が始まった。
しかし、2・3日経ってから、実感が湧きはじめて、がくっと悲しくなった。
そして、昨日あたりまで、微熱とだるさが続き、体のあらゆる箇所が痛むようになってしまった。
18歳の時に、ジャイアント馬場さんが亡くなって以来、
今まで何人かの、わしが好きだった「有名人」が亡くなるニュースを聞いた。
ジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、ホーク・ウォリアー、クリス・ベノイ、エディ・ゲレロ、橋本真也。
そのたびに、わしはとても悲しかったけど、
非常に不謹慎な言い方になってしまうが、ほんの少し、1%だけ、ウキウキした。
どうしてウキウキしたのか?考えてみると、
わしの頭が、好きな有名人の逝去を、どう消化するのかに、興味があったのだろう。
重ねがさね、大変不謹慎な考え方だとは思うが、
わしは今まで、地面に伏して泣き叫ぶような、何も手につかなくなるような、
本物の悲しさを味わったことがなかった。
だから、自分が味わったことのない感情を経験することに、ほんの少しだけ興味があったのだ。
でも、今回のマイケルの件(もしかしたら、三沢光晴の件も含まれているかもしれない)は、
本当に、わしを部分的に損なっていった気がする。
感想を言わせてもらうと、こんな悲しみは、もう二度と、味わいたくない。

でも、わしはポジティヴイズムで生きているので、
何としてでも、今回の件を、わしの人生にとってプラスにしていかねばならない。
それがミッションだ。
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by syun__kan | 2009-07-12 13:06 | 日記 | Comments(2)
はいはい、ちょっと待ってねー
今日ほど、みんなから話しかけられたこともない。
わしは今、心配されている、と同時に、感想を述べることを求められているのかも知れない。
でも、わしもまだ、よくわからない。
三沢が死んだ時も、一週間経ってからでないと、文に表せなかった。
だから今日という日なんかは、まだ全然無理だ。
でも、わしは今、心配されている、と同時に、早急に感想を述べることを求められているのかも知れない。
だから、とりあえず何か書いておいたほうがいい。
と思って、今日の日記を書こう。

家にテレビがなくて、携帯でニュースを見ることもしないわしは、
なんにも知らずに職場に出向き、
授業の準備をしていたのだが。
みんなが、わしを見つけると話しかける。
でもその内容が、あまりにもばかばかしくて、
全然、その内容を頭に取り込めない。
その内容に向き合えない。
向き合ってしまったら、今日一日、仕事できなくなる。
だから、聞こえないふりをする。
でも、生徒でさえ、話しかけてくるんだから!
無理もない、体育の創作ダンスで「スリラー」を取り入れたのはわしだし。
おととしの体育で「スリラー」のダンスを考えて、今では定番になっている。
でも、みんなよく話しかけるけど、話しかけられても、わからない。
わし自身、その話を、人づてにしか聞いてないから、まだ信じられない。

はいはい、ちょっと待ってねー。

それに、職場はあくまでも公の場だから、公人として振舞わなくてはならない。
わしとその話をできる人は、ここにはだれもいない。

お仕事が終わると、西新宿のブート屋さんへ行った。
その店のレジに、いつも立ってる、くるくるパーマのお姉さんとは、その話ができる。
ブート屋さんで、今までまだ買ってなかった映像を、2つ買う。
そのうちの一つは、96年にヨーロッパで「アース・ソング」をパフォーマンスしている映像だった。
ちょっとロボットダンスをするとお客がすごく盛り上がることに気づき、
地球の環境破壊や紛争を憂いてる歌なのに、たくさんロボットムーヴしちゃう映像。
おちゃめすぎる。
お客の反応の良さに気を良くして、口パクなのに、それを無視して肉声で「ハーッ」と叫んじゃう。
かわいすぎる。
そんなあなたが、好きだったよ。
最後に、アドリブで入れた「Tell Me Why About It」…
あなたを知って、少なからず、わしの人生変わったよ。
なんでまた、再び、あなたがいない世界で生きなきゃならないのか。
やれやれ。まだ全然わかりません。
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by syun__kan | 2009-06-26 23:47 | 日記 | Comments(0)
6月14日のエルボー
その日わしは、プロレスを観にいくことにしていたんだ。
5月の終わりに、一人の時間があったので、
ふらりと後楽園ホールの新日本プロレスを観にいったら、
飯伏幸太や、プリンス・デヴィットなど、
わしと同年代の若い選手の試合がとても良くて、
「また観たい!」と思って、14日のチケットを取ったのだ。
Hさんまで誘って、後楽園ホールの一番高い席を買ったのだ。
そしたら、14日の朝に、三沢光晴が亡くなったというニュースを知った。

三沢さんは亡くなった。みんなが知ってる通りだ。報じられている通りだ。
しかしわしは、幼稚園児のころからプロレスファンだったので、
みんなが知らないことも知ってる。みんなが感じないことも感じる。

三沢は、受け身の天才だった。
受け身の天才とはどういうことかというと、
相手の危険な投げ技を受け、真っ逆さまにマットに落ち、それでも怪我をしない、という技術の、第一人者だった。
90年代の日本テレビ 全日本プロレス中継30では、毎週のように真っ逆さまにマットに落ちる三沢の姿があった。

スティーブ・ウィリアムスのバックドロップを食らい、
小橋健太のオレンジクラッシュを食らい、
川田利明のパワーボムを食らい、
田上明の断崖ノド輪落としを食らい、
秋山準のエクスプロイダーを食らう。

お客は、そして視聴者も、三沢の身を案じつつも、熱狂した。
もちろん、相手も三沢の技を受ける。

スティーブ・ウィリアムスは三沢のエルボーを受け、
小橋健太は三沢のジャーマンスープレックスを受け、
川田利明は三沢のタイガードライバー91を受け、
田上明は三沢のエメラルドフロウジョンを受け、
秋山準は三沢の雪崩式タイガードライバーを受けた。

どんなに技を受けても立ち上がり、反撃する。三沢をはじめ、彼らはスーパーヒーローだった。

一流のプロレスラーは、耐久性のある体と技術を持っているので、致命的な怪我は負わない。でもダメージはたまっていく。体はすり減っていく。
三沢の首は、普通の人には無い、たしか「こっきょく」という骨ができて、
下を向きにくい状態になっていたと聞く。
本人は、飄々としたところがあるので、「べつに大丈夫。階段を降りる時に少し不便なだけ」と言っていた。
心配されることを拒んでるみたいに。
そして09年に、広島でなんてことはないバックドロップを受けて、首が限界に達してしまった。

これは、悲しすぎる。どれをとっても悲しすぎる。
簡単に抱えきったり、描写したりできるものじゃない。
今日プロレスする選手達のことを思っても、あんまりだ。
今日観にいくのは、新日本プロレスで、三沢はプロレスリング・ノアの選手。
別の団体とはいえ、同業者が殉職した次の日に、自分達は相手を頭から落っことしたり、殴り合ったりしなければならない。
穏やかな気持ちで試合に臨める人は、いないだろう。
でもわしは、観にいく前からわかっていた。
選手達は、いつもと変わらず、目いっぱいプロレスをする。

実際、観にいったら、思ったとおりだった。
第一試合の前に黙祷があって、超満員のお客さんは、みんな泣いていたけど、
試合が始まると、負の要素は全部吹き飛んだ。
愛を込めて相手を頭から落っことし、祈りを込めて殴り合いをしていた。
とくに、わしと同年代の選手は、とても頑張っていた!
飯伏幸太はムーンサルト・ムーンサルトでリングを跳ね回り、
プリンス・デヴィットはトペコンヒーロで客席まで飛んできた。
全9試合、2時間半、彼らはお客の全部を忘れさせてくれていた。

90年代、ヒーローだった三沢は、09年に、試合中のアクシデントで亡くなってしまった。
今日、大活躍して、みんなの気持ちを吹っ飛ばした飯伏やデヴィットは、
どんな2010年代、2020年代を迎えるのだろう。
というか、わしも、どんな2010年代、2020年代を迎えるのだろう。
でも、プロレスラー達は、とにかく、すごく月並みな言い方だけど、今を生きていたのだ。
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by syun__kan | 2009-06-19 17:16 | 日記 | Comments(0)
携帯が壊れたポジティヴィスト
「一つの扉が閉じたとき、必ずもう一つの扉が開く。
でも人は、閉じた扉ばかり見つめて気にしていて、
もう一つの開いた扉に気がつかない」

と言ったのは、ヘレンケラーだっけ?わしはこの言葉が好きだ。
あと、ブッダの

「暑さと寒さと、飢えと渇きと、その他全てのものに打ち勝って、
ただサイのツノのように前へ進め」

という言葉も好きだ。
要するに、ポジティヴィストなのだ。
何事も、プラスに捉えようとする。

そんなわしが、先週火曜の夜に、自転車に乗りながら、携帯電話を落とした。
自転車の後輪が、携帯を踏んづけてしまい、ひびが入ってしまった。
そして、画面が、虹色のサイケな感じになってしまった。
どうした?直れーと、携帯をコンコン叩いているうちに、画面は真っ黒に。
ああ、携帯の画面が死んでしまった。
で…、よく考えると、これは大変なことだ、と気づいてきた。

まず、メールが読めない。
電話はできるだろうか?知っている番号を押してみたら、つながった。電話を受けることもできるっぽい。
でも、アドレス帳が見れないから、記憶している番号以外のところには、電話できないということだ。

あらら。これは要するに、昔の黒電話といっしょだ。
ダイヤル回して、電話をかけることはできる。
電話がかかってきたとき、その場に居れば、電話に出ることもできる。
しかしそれ以外は、何にもできない。
文鎮と、ペーパーウェイトと、カップラーメンのふたの重しにはできるかもしれないが、
そんなことは求めていない。

困ったことになった。マイナス100ポイント。
ああ、落ち込む。でも、ポジティヴィストとしては、なんとかして、この「携帯が壊れた」という事実を、プラスに捉えたい。
携帯が壊れたことで、何かプラスに作用したことがあったはずだ。
それらを換算して、このマイナス100のビハインドを回復しなければならない。

翌日水曜日、早めに仕事を切り上げて駒込のドコモショップへ。
対応してくれたのは、マチスのようなタッチでファンデーションをつけている女性。仮にマチ子さん。
わしは故障した携帯を五千円で新品に交換する保障に入っていたらしく、その手続きに入る。
新品の携帯が届いたら、古いのと一緒にドコモショップに持ってきて、データを移す操作をすることに。
しかしマチ子さんは、わしの携帯の機種が「ノキア」であることがわかると、慌てだす。
どうやら、ノキアは、データが移りにくい機種で、
アドレス帳なんかも、もしかしたら、新品の携帯に移らないかもしれないとのこと。
とりあえず、契約者がわしの父の名前なので、父からドコモの修理・交換センターに電話して確認を取ってもらう必要があるとのこと。

ああ、アドレス帳が移らなかったらどうしよう。さらに落ち込む。
でも、マチ子さんとは、この機会が無かったら、一生会話することはなかっただろう。
携帯の修理・交換の手続きは、「困った」「どうにかしたい」という感情を共有することになるので、
普通のレジよりもコミュニケーションとして面白みがある。
マチ子さんとの邂逅は、やはりプラスとして捉えてよいだろう。プラス21ポイント。
そしてこの機会に、実家にも電話できた。それもまあ、良いことかもしれない。プラス18ポイント。

翌日木曜日に、父からわしに電話があり、修理・交換センターには電話をして確認を取ったものの、
わしが再度修理・交換センターに電話して、修理・交換センターに自分の住所を伝えなければならない、とのこと。

そして、修理・交換センターには営業時間というものがあり、その日はもう電話できなかった。
さらに、翌日金曜も、家に帰るのが遅くなり、電話できず!ああ、ややこしい!

結局土曜に電話し、新品の携帯は日曜にゆうパックで届くことに。

しかーし、日曜は外出して帰宅が遅くなり、ゆうパックを受け取れず!

ああ、わしはとにかく手続きというものが苦手なのだ。ダメージが溜まってきた。
それに、メールを読めない日も、積み重なってきた。
普段、あんまりメールは使わないのだけど、万一、大事なことが送られてきていたらどうしよう、という不安感も募ってきた。

不在票によれば、新品の携帯が保管してあるのは、王子郵便局。
もう、再配達とか嫌だ。取りに行ってしまおう。
電話してみると、「23時以降なら受け取れる」とのこと。
明日仕事で5時半起きなんですけど…。

でもこれ以上手続きが長引くのは嫌なので、わしは地下鉄に乗って、夜22時半に王子郵便局に向かったのだった。
しかし王子郵便局、駅から若干離れてる!ついでにメインストリートからも離れてる!
道に迷った!たどり着いた場所は、暗くてよくわからんかったけど、
児童相談所や大学の寮なんかが隣接する界隈で、微妙に怖かったなりぞ。
新品のノキアは手に入れたが、わしは疲れきって、家に着いたらすぐにふて寝した。

まあ、わしはひとけのない夜の道を散歩するのは割と好きなので、この経験はプラスと捉えよう。
夜の王子の街なんて、こんな機会じゃなきゃ絶対訪れないもんな!プラス36ポイント!!

翌日、今週月曜日の帰りに、データを移すために、仕事場から最寄り駅のドコモショップへ。
対応してくれたのは、短いパーマのお姉さん。
しかし混んでて待ち時間30分…。やれやれ…。この待ち時間を、どうにかして有効利用できないだろうか?
そうだ、話題の、村上春樹の新刊を買いに行こう。読みたい。
そしてわしは、近くの小さな書店へ。
売り切れの店も出てる、というニュースも見ていたので、はたしてあるだろうか?
あった、村上春樹。購入した。なかなか買いに行くチャンスがなかったので良かった。プラス17ポイント。

ドコモショップに戻り、携帯のデータを移す。
やはりノキアはデータが移りにくいようで、時間がかかる。
短いパーマのお姉さんも、真剣な表情。
結果的に、アドレス帳は新品に移すことに成功した。良かったーー。
「ありがとうございました」とお礼を言って、店を出て、村上春樹を読みながら帰った。
じゃあ、この際、短いパーマのお姉さんと一期一会できたことも、プラスポイントにしてしまおう。プラス15ポイント。

そしてわしは、再び、現代人らしい、携帯電話のある生活を手に入れたのだった。
そして、話題の村上春樹の新刊も読んでる。
まさにイマドキの日本人だ。21世紀人だ。ハハハ。

今日、池袋の大型書店を歩いていると、村上春樹の新刊が売っているのを発見。
やっぱり売れてるんだなー。
しかしよく見ると、カバーデザインが二種類あるぞ?

なになに、上巻?下巻?

村上春樹の新刊は、上下巻に分かれていたのか!知らなかった。
そしてわしが自信満々に読み進めていたのは…下巻だったなりぞ…。
今週月曜に購入した小さな書店は、上巻は売り切れていて、下巻しか置いてなかったのか…。
それをわしは、てっきり一冊で読みきりだと勘違いして、購入し、読み進めてたのだ。
これは痛い!
なにしろ、もう118ページまで来てしまってる。青豆はもう、ゴムの木に、最後の水やりをしたのだ。マイナス49ポイント!

結果発表ー!
携帯が壊れてから、今夜までの、プラスマイナスを換算すると…

マイナス40ポイント…。

だめだ、携帯を壊してしまった事実は、どうしても、わしの人生にマイナスに作用している・・・。

じゃあ、こう考えよう。
携帯が壊れたことをネタにして、わしはこの日記を書くことができた。
この日記を読んだ人が、笑ってくれたら、それも良いことだから、プラスポイントにしよう。一人1ポイント加算。

めざせ41アクセス!!
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by syun__kan | 2009-06-05 23:36 | 日記 | Comments(6)
金箔の肉片の記憶の断片
今になって思い返してみると、
あれはとっても…

・おもしろかった。
・不思議だった。
・悲しかった。
・楽しい時期だった。
・チャンスだった。
・怖い体験だった。
・貴重だった。

……など。
昔の出来事について、久々に思い返して、新たな感慨を抱く。
そういうことってある。

最近、夕飯を食べながら、大学時代のことを思い出した。
わしは、多摩美術大学の彫刻科、諸材料専攻だった。
彫刻科は、木とか、鉄とか、石とか、素材ごとに専攻が分かれているのだけど、
「諸材料専攻」は、ようするに材料的に「なんでもあり」なことをしたい人が集まるところで、
一番自由度の高いところだったと思う。
諸材料専攻では、年に4作品くらい作るのだけど、
制作に入る前に、メンバーと教授の石井先生、客員教授の池ヶ谷先生で小さい視聴覚室に集まって、イスを輪に並べて座って、
メンバーがそれぞれ、自分が作ろうとしている作品を、教授にプレゼンするのだ。
それを聞いて、教授が意見したり、みんなで考えたりする。

あるときは、Tちゃんが、
「肉に金箔を貼りたい」
と言った。
金箔を貼って、生の大きな肉片を覆い、作品にしたいとのこと。
教授が、「金箔…!T、肉に金箔だと?金箔…うーむむ…」と、うなる。
肉に金箔。その意味について、みんなで考え込む。

この世の中に、金箔で覆われた肉片を存在させることの意味を考える。
金箔で覆われた肉片が存在している世の中を想像する。
金箔で覆われた肉片が存在する世の中と、存在しない世の中を比較する。

みんな、「ふーむ…」と黙り込む。
頭の中を、一時的に、肉と金箔で満たす。
肉とはなにか考える。
体の一部だし、食品でもある、などと考える。
過去に誰か、肉に金箔を貼った人はいなかったけか、と自分の記憶をチェックする。
(先に誰か、やったことがあることは、価値ががくんと落ちてしまう)
視聴覚室には、沈黙が満ちる。
肉と金箔がもたらした沈黙…

教授が、「関口、どう思う?」と、わしに意見を求める。
わしは、
「ええと…食べられますね。金持ちの料理みたいに。
高いお酒に、金箔が入ってたりするから、金箔を貼った肉も食べられるはず」
と言う。
教授が、「なに、食べられるだと?」と言って、目を少し大きく開く。
そして、またみんなで考え込む―――

平日の夕食時に思い返したので、
その記憶は、なんだかとっても、精神的に離れたところの記憶に感じられた。
何しろ、明日も仕事だし、何時までにお風呂に入って、何時までに寝て、
明日は5時半に起きて、朝のうちにあの仕事を片付けなければ…。
そのためには今、あと10分で、この回鍋肉の肉片を食べきらなくては、なんて考えている時だったから。
たかだか、4年前の、自分自身の記憶なのだけど。

今になって思い返してみると、
あれはとっても…素敵で不敵で危うい時期だった。
離れてはいるけど、いつでも行き来は可能、ではある。
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by syun__kan | 2009-05-30 11:13 | 日記 | Comments(0)
うさんくささとは何か
この間、ギターを購入した。
学校で使っているギターのネックが、折れてしまったから、
池袋の楽器屋さんで、一番安い9800円の青いアコースティックを購入。
帰りの山手線に乗り込もうとしたら、すれ違った降りる人の中に、ちょんまげの髪型の人がいた。
今のは何だったのだろう?と思いながら席に座ると、
となりに座っていた外人に話しかけられた。
「ハウ アー ユー?」
わしは反射的に、
「アイムファイン」と答える。
外人は、白髪交じりの、真ん中分けで、ブラックスーツの男性。
そこから、しばらくの間、片言の英語での会話が始まった。

外人は、ギターを指して「それは、マシンガン?」とジョーク。
わしは「そうだよ」と。
「それで、電車の中の人を片っ端から撃つの?」
「そのつもりです」
「じゃあ、はじめは私からどうぞ」
「ええと…」
「ところで、名前はなんですか?」
「光太郎です。あなたは、デヴィッド・ボウイですか?」
「デヴィッド??その名前は知らない。私はディック。あなたは何の仕事をしてるの?ミュージシャン?」
「いやいや、私はギターは超初心者です。
なにしろ、このギターは、今日手に入れたんだから。
私は、養護学校の教員なんだ。クラスで、子どもたちと一緒に歌うために、ギターを弾くんです」
「本当?私の娘も、ハンディキャップがあるんだ。
でもとてもスウィートだ」

そんな感じで、しばらく、何のための会話なのかわからない会話をしていると、
わしが降りる駅の駒込に着いた。
わしが「じゃあ、私は降ります」と言うと、
ディックも立ち上がり、荷台に乗せてあったかばんからパンフレットを取り出して、
「何かあったら電話してください」と言って、名刺と一緒にそれをくれた。

ディックは幸い、一緒に降りてこなかった。ああ、良かった。
パンフレットには、案の定、
宇宙だの、
神だの、
光だの、
平和だの、
イエスだの、
書いてあったとさ。
なーむー
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by syun__kan | 2009-05-25 12:32 | 日記 | Comments(0)
とくになし
ここしばらくの間、特筆すべきことは、何も起こらなかった。
いや、いろいろあったのかもしれない。
でも、それらについて掘り下げることを頭の中でしなかったので、
全部忘れてしまった。

フォゲット

そう、たまに、
「自分は、忘れた。覚えてない。それについて、記憶や感覚を、失くした。ああ、失くした」
と実感した時に、わしは

フォゲット

と言う。
好きな英単語なのだろう。フォゲット。みんなも声に出して言ってみるといい。気持ちいいから。
他に、気持ちいい英単語は、もう一つある。イナフだ。

ああ、もう自分は充分だ、と思ったとき
…GWで5日間よく休んだときとか、食べたかった物をいっぱい食べたとき、などに、

イナフ

と、力を込めて言う。

「はあ~、ずっとエビ食べたかったんだ。
久々に食べられて良かった。もう、お腹いっぱいだ。イナフ

など。
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by syun__kan | 2009-05-16 14:54 | 日記 | Comments(0)
自分のビジュアルについて
なんだか最近、自分のビジュアルに飽きてきた…というか、関心がなくなってしまった。
ろくに鏡も見ないので、今の自分の髪の伸び具合も、あまり把握していない。
(でもまあ、まだ大して伸びていないだろう。お風呂あがりに髪を乾かすのに、そんなに時間がかかっていない)
昔はもっと、自分のビジュアルに関心があったはず…

小さい頃は、長州力の長髪に憧れて、髪を伸ばそうとしては、
母に切られて涙していた…。
小学校の卒業アルバムを見ると、
わしの顔写真は、
(自分で言うのもおこがましいけど)
半端じゃなく可愛い。
端正な顔立ちではないけど、
沖縄から上京してエイベックスのダンススクールに通ってデビューを目指しているような(古いかしら?)
健全な初々しさがある。

中学を経て~、高校を経て~、
徐々におっさんくさくなったわしは、
高2で視力が低下してフチ無しめがねをかけ、
思春期的な悩みを抱えて丸坊主になり、
額には吹き出物が紛争を起こし、
ついに、ヒョロ長い、グランドボウズメガネになってしまったのだった…。

やれやれ。
クラスメイト達は、頭にワックスをつけてツンツンさせ、
まゆ毛を細く剃り、隙を見て髪の脱色を視野に入れていたというのに、
なんでまた、わしは、とことん垢抜けない、ぶっといまゆ毛のボウズメガネだったのだろう?
別に、野球部や柔道部に入っていたわけではない。
完全自発性のボウズだったのだ。

でもまあ、それはそれで、自分のビジュアルに関心があってのことだった。
ボウズにすることも、周りから見られることを意識した一つの表現だったのだろう。

大学に入ったわしは、引き続きボウズメガネ。
加えて、ファッションへの興味の無さ(もしくは、興味はあったのだけど、明らかに間違った解釈をしていた)から、
いつも黒いウィンドブレーカーを着ていた…。

…。

しかも、そのウィンドブレーカーには、…ええと…そうそう、
「HEAD」という、謎のメーカー名がでかでかと刺繍されていたのであった。
なんだったのだろう、あれ?

しかし、徐々に周囲の人々に感化されたわしは、メガネをコンタクトに変更。
さらに髪を伸ばし始める!!!
そして、すぐさま脱色!
なぜかわしは、白髪のロン毛になりたくなったのだった。
しかし…美容院へ行けばいいものの、
お金を節約したい時代だったので、すべて自分でブリーチ剤を買って脱色、染色を行っていた…。
しかしわしの髪の毛の色素は強く、なかなか思い通りに染まらず、
茶髪になったり、金髪になったり、ムラサキになったり、わしの髪の毛はえらいことに。
結局、1年くらい試行錯誤していたが、理想の「白髪」だった期間は、数日間だった気がする…。

ボウズの時にわしをアルバイトとして雇った、近所のスリーエフの店長は、
勤めている間にどんどん変貌していくこのバイト店員について、きっと、きっと…あれ?どんな気持ちを抱いたのだろう?想像つかない。

わしの髪は、ダメージヘアを通り越して、
ビニールテープを裂いて作る運動会のボンボンみたいになっていた。

そしてある日、「やめよう」と思い、黒の短髪に。
今度は、脱色中に試せなかった、パーマを探求する旅に出た…。
わしは、長いモサモサ髪になったり、80年代男性アイドルのようになったりしたが、
大学卒業の頃にはやっぱり黒の短髪に戻った。
コンタクトも面倒なので、メガネに戻った。(この現象を、メガネリターンと名づけよう)
わしは教員を目指し始めていたので、変な格好をできなくなっていたのだ。

それに、ある程度歳を取ると、
「自分の男前度は、こんな程度。
どういじくりまわしても、キムタクにはならないし、阿部寛にも、小池徹平にも、
渡部篤郎にも、福山雅治にも、松田優作にもならない」
というように、自分の外見の限界を、ある程度把握し、
ある意味であきらめてしまうのだろう。

そんなわけで、わしはここ3年くらい、黒の短髪でフチのあるメガネというスタイルのままなのだが。
でもわしはまだ25歳だし、
25歳といえば、マイケルでいうと、まだ肌も黒く、カーリーヘアだったころなのだ。
わしはこれから、もっと変わっていったほうがいいのかもしれない。
キムタクにはなれないにしても、
何かもう少し今よりも魅力的なサムバディになれる可能性はある。

よね?
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by syun__kan | 2009-05-06 19:09 | 日記 | Comments(2)
DVD観賞をしよう
今日は、お休みの日だ。
Hさんは、仕事で出かけてしまった。
なので、家で、DVD観賞をした。
今日見たのは、2タイトル。

一つ目は、出ましたー。
Perfumeの、「BUDOUKaaaaaaaaaaN!!!!!」
はい、出ましたー。
Perfumeは、良い。
武道館ライブのDVDを購入してしまった。
思えば、今までの人生で、CD屋さんでちゃんと定価でCDやDVDを購入したのは、
嘉門達夫と鈴木彩子とYMOと細野晴臣とジュディ・アンド・マリーと、
マイケル・ジャクソン関係とプリンスとマドンナと
ジェームス・ブラウンとクラフトワークとジャネット・ジャクソンだけだ。
あとは、プロレスのテーマ曲集とか、映画のサウンドトラックとかしか買ったことない。
Perfumeは、おもしろいと思う。
メンバーの3人はもちろんすごいバイタリティーを持っているけど、
それをプロデュースする人や、振り付けの人、その他の人たちが一体になって、
総合的に作り出す世界観がとても良い。
歴史を踏まえ、新しいものを作り出す、ちゃんとアートになってる。
DVDの武道館ライブ、オープニングは、マイケルの「ヒストリーツアー」によく似ていた。
そしてマネキンの演出は…クラフトワーク、YMOの時代から続く、テクノポップグループの伝統なのかしら?
ライブが始まると、腕を真っすぐに伸ばすと、ヒジが少し逆に曲がるような、
お人形さんのような女の子が、髪を振り乱して踊る。
わしはパッと見て、「そんなに踊って、大丈夫なの?」と感じる
マドンナも踊るけど、あの人は大丈夫。きたえてるからー。
もちろんマイケルも大丈夫。あの人は無理しないし、それに男性だ。
そういう、踊るべき肉体にダンスが宿ってる映像はたくさん観たことあるけど、
あんなに普通そうに見える体格の女性が、操り人形のように踊る姿は、
小さなカルチャーショックだったかもしれない。
2曲目のedgeという曲のダンスは特に凄かった!
他の曲も、パントマイムや手話のような、ちょっとレトロな要素がふんだんに散りばめられていて、ツボだった。
ダンスは、かしゆかと呼ばれている樫野さんという方が、一番うまい。
首や手足が長いし、衣装もすごくダンスに映える。
だから、3人が同時に無機質なダンスをしている時は、樫野さんばかりに目がいく。
しかし顔の表情は、あーちゃんと呼ばれている人が一番豊かで、ハッピーな感じがする。
このPerfumeというグループ、プロジェクトに、口パク云々で批判的な意見をするのは、ちょっと視野が狭い。
マドンナもジャネットもマイケルも、ダンスパフォーマンスに集中する時は口パクになる。
それに、テクノポップのグループは、汗をかいてはいけない伝統があると思う。
コンサート中のほとんど身動きしないで小さなキーボードをいじるだけのクラフトワーク、
眠る寸前のような伏し目でベースを弾く細野さん、
あのクールでドライでシステマティックな感じこそテクノポップの真髄だとすれば、
これ以上Perfumeに身体的な負担を増やすと、テクノポップでなくなってしまう。
というか、歌うことに力を割くのは、テクノポップ的にはちょっと泥くさすぎる。
だから、これで良い。
ただ!ただ、バンドが誰もいないのはどうしたものか?
いくらすべて打ち込みで作った曲だとしても、
例えばYMOはコンサートでは生演奏だったし、なんかあってもいいんじゃないか。
とかなんとか。ありきたりな感想を書いてしまうほど、今日は鑑賞者に徹した。

二つ目のDVDは、TSUTAYAで借りてきた、WWEの、クリス・ベノワというレスラーのドキュメント。
この人は、数年前に亡くなった。というか、衝撃的な自殺をしてしまった。
生前は、派手さはないものの、ストイックで、誠実な人柄を感じさせる、すごい試合をしていた。
日本にもよく来ていたから、わしも何度か生で試合を見る機会に恵まれた。
今日見たDVDは、生前、バリバリだったころに発売されたものであり、本人やその家族、仲間のレスラーのインタビューを挟みながら彼のレスラー人生を振り返る内容だった。
仲間のレスラーとしてインタビューを受けていたエディ・ゲレロという選手も、ベノワより先に亡くなってしまっている。
エディ・ゲレロの場合は、ステロイドのせいだ。
はあ、なんでみんな自分の体を大事にしないんだろう?
DVDの中にも、サブゥーという有名な選手が首を負傷するシーンが映っていた。
ベノワも、マットに背中を強く打って首を負傷していた。
というか、ケガは嫌だ。
この間買った、平成時代の日本のプロレス史を振り返る週間プロレスの増刊を読んでいても、
ケガの記事を見るたびに気分が沈んだ。
グレート・サスケがデスマッチで背中に穴を開け、
ハヤブサがムーンサルトを失敗して頚椎損傷し、
プラム麻里子が試合中の事故で亡くなった。
だめだよ、怪我しちゃ。ましては亡くなってしまっては。
小さい頃、わしがテレビにかじりついてプロレスを見ていたら、
母が「光太郎、将来プロレスラーにだけはならないでね」と言っていた。
見るからに危なそうな職業だからね。
でもまあ、東京の通勤ラッシュの電車も、時々人身事故で止まる。
仕事が原因で体をすり減らしたり、命を落とすリスクは、どの職業でもあるのだろう。
プロレスは、その瞬間が見えるから、目立つだけだ。
生命を危険にさらすくらい、仕事に打ち込む人はよくいる。
覚悟はかっこいいかもしれないけど、みんな、体には気をつけよう。
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by syun__kan | 2009-05-03 16:07 | 日記 | Comments(0)



現代芸術家、関口光太郎の日記。
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