3日ほど寝込んでしまった。
病院に行き、インフルエンザの検査も受けたが、陰性だった。
あんまり体を省みなかったから、体からツッコミが入ったのだろう。
発表会の委員長だったし、
劇の背景画に電飾を仕込んだり、舞台に紙を降らせる仕掛けを考えたりするのが、楽しすぎたのだ。
他学部では、プロジェクターで映像を投射したり、
デジタル機器を駆使した演出も登場し、効果を上げていた。
しかし、「ゴジラvsビオランテ」や、
小学生の頃に再放送されていた昭和の初代ウルトラマンといった、
手作り特撮映画に感化され、ものづくりの道に入った関口は、
どちらかというと、ちまちました、
人の手の痕跡としての表現が好きなのだ。
手作業は祈りであり、それによって作品に念が込められると信じている。
「3日寝込み」内2日は、休日を消化したが、
出勤日になっても治りきらず、
ついに11年くらい働いていて、今日初めて欠勤した。
非常に悔しい。
生徒にも申し訳ない。
布団で、向田邦子さんのエッセイを読んでいる。
向田さんは昭和の脚本家で、エッセイの天才的名手である。
すると、わしも長年疑問に思っていたテーマについて、向田さんが考察していた。
それはすなわち、
「雨の中、走った方が濡れるのか、歩いた方が濡れるのか」
という疑問だ。
「算術が苦手」と自認する向田さんは、数行で解決を放棄していたが、
わしもこの機会に、
寝込んでいるという機会に、
改めて考えてみたい。
わしも算術は憎たらしいほどに苦手だが。
つまり、雨の中、
A地点の軒下から、100m先の軒下Bに移動したとき。
1分で移動するのと、10分間で移動するのとでは、どちらが濡れるか?
それは、10分かける方が濡れるだろう。
何しろ、10分間も雨の中に、身をさらし続けてるのだから、
その間雨が、頭上に降り注ぐ。
では、速い方が良いのか?
極論、1秒で高速移動したら?
頭上に雨はほとんど降り注がない。
しかし、100mの進路上にある、空中に浮いている雨粒を、
顔とかお腹とか、体の前面で、全て受け止めることになるだろう。
雨の中、人の形の雨粒のない空間が、トンネルのように、
一瞬できるに違いない。
そしてすぐまた、雨降りの情景に戻る。
B地点の軒下にて、
彼は、背中はかなり乾いているが、前面はびっしょびしょのはずだ。
びっしょびしょというか、何かダメージを負っている気もする。
大丈夫だろうか?
10分でも相当濡れるし、1秒でも相当濡れる。
ほどほどが良いのかもしれない。
ほどほどというのはどのくらいかというと、
こう、身をかがめて、さっさっさーと、行く感じ、
そのくらいが良いんじゃないだろうか。
と、こういうようなどうしようもない結論になるくらいなら、わざわざ考察しなけりゃ良かったんじゃないかという思いが湧き、
向田さんが数行しか考察しなかったのは、
長く書いてもどうしようもないということを、悟ったからではという気もしてきた。
書かないことが機微というか品というか徳というか知恵みたいな。
そして、今の時代には、発達したインターネットがある。
きっと、「歩いた方が濡れるのか、走った方が濡れるのか」について、
わしや向田さんの他に、疑問に思った人が存在しているはずで、
すでにネット上で考察が行われている可能性がある。
中には、かなり科学的に信ぴょう性の高いものもあるかもしれない。
でもわしは、検索しない。
目の前にパソコンあるけれど。
知らないということの余韻を楽しみたい。
わしも6歳までは昭和を生きた。
最後の抵抗だ。
情報化や効率化ばかりが何かを生み出すのではない。
未知や矛盾からも、人は色々生み出してきた。